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「『自分はできている』という思い込みを持っている人って、見ていて恥ずかしくなるな」→あ、自分もだ

/ スウェーデンの民族楽器「ニッケルハルパ」奏者

前回のブログで、ダメ出しを受けた際に、同時にアドバイスもいただいた、ということを書きました。

それがまた自分にとっては衝撃的で、かつ、とても大きな学びになったので、今日はそのことについて書きます。

共通していること

いただくアドバイスには共通していることがありました。

まず、私は相手にアドバイスを求めてはいなかったけれど、相手は良かれと思って親切心でアドバイスをしてくれた、ということ。

これはよくある話ですし、アドバイスの内容はともかく、親切心で言ってくださっているそのお気持ちはありがたく受け取りたいと思っています。

そして次に、アドバイスの内容が「自分ならもっとこういう風にできる」という内容のものであった、ということです。

これは例を挙げると、「自分ならもっとお客さんを盛り上げることができる」「自分ならもっとおもしろい内容にできる」「自分ならもっと”人を踊らせる音楽”を奏でることができる(スウェーデンの音楽はダンスの音楽だから、だそうです)」などがありました。

そしてこれらの言葉が、私に衝撃を与えました。

「自分はできている」という思い込みを目の当りにして

この、「自分ならもっとこういう風できる」とか、「自分は普段からこういう風にやっているよ」という言葉が、私に大きな衝撃を与えました。

「え。…そうか、この人は自分ではそれができていると思っているのか…」と。

それまで、本人がそのことで多少失敗しているところは見ないフリをしたり、そのことも話題に出さないように気をつけていたつもりだったのだけど、そうか。

本人は「自分はできている」と思っていたのか、と。

なるべくフォローするように気を遣っていたんだけど、それも、おかど違いだったのか、と。

そして、ここで私は大きな学びを得ました。

「私もそうなっているかもしれない、いや、絶対なってる!」と。

恥ずかしい…

私もそうなってるってことは…

それってすごく恥ずかしいじゃん!!

ということに、遅ればせながら気付いてしまいました。

偉そうなことを言ったり、自信満々っぽく振る舞う方が良い感じに見えるのではないか、と思っていた時期が私にもつい最近まであったのですが、あれって今から振り返ると恥ずかしさの極みじゃん、と思いました。

また、別にそうしようと思ってなくても無意識に「自分ってこんなことができちゃうんだよね☆」みたいな状態で発言している時も何度もあっただろう、と思いました。

そんな時、周りは何も言わずに見守ってくれていたのかもしれないけど…。

気を付けよう、と思いました。

目の前の人に起きていることは、私にも起きていることなのです。

相手と自分は同じ

「自分はデキる!」と思い込むことは別に悪いことではなくて、過去の自分と比べたりして、できるようになってきたことを自分で認めたり、自分で自分を褒めたり、自信を持ったりすることはとても良いことだと思います。

むしろ、それは積極的にやった方が良いと思います。

ただ、この場合はそれとは少し違っているような気がします。

詳しいことはわかりませんが、とにかく、「自分はこれができている」と思っている時って、本当に心の底からそう思い込んでいるんですよね。

できていないかもしれない、という可能性すら思いつかないし、相手がそれで気をつかってくれているとか、周りが見守ってフォローしてくれている可能性にも、思い至らないことが多いのかな、と自分を省みて思うのです。

だから、相手ができていないから相手が悪いって思ってしまったり、あの人はできていないからアドバイスしてあげよう、と思ったり。

ということから考えてみると、アドバイスをしてくる人も私自身も、実は同じなのではないか?という風に思ったりもします。

「自分はできているけど相手はできてない」ってお互いに思ってるだけじゃない?という…。

相手は、アドバイスをしなきゃと思ってアドバイスをする。

私は、黙ってフォローしなきゃと思ってフォローする。

行動の内容は違うけど、考えていることは同じかも、という。

相手の良いところを見ろ!

そうなると、どっちができているとかできていないとか、考えること自体が不毛だということがよくわかります。

だって、お互いにそう思っているんだから。

正直、どんぐりの背比べなんだから。

嫌でも、そのことを認めざるを得ません。

ではいったいどうしたらいいのか?

私なりに考えた結果、「相手の良いところを見つけ、それを見続けること」しかないのでは、という結論に至りました。今のところ。

お互いのできていないところなんて、いくらでもありますし、程度の差でできていたりできていなかったりに見えるだけで、実際のところ何かに完璧に秀でている人はいません。

できていないところを探して他人をジャッジしたり、誰かと比べて自分はできていると思って安心したり、誰かと誰かを比べて批評して、いい気になったりするのは、私も今までたくさんやってきましたが、結構ストレスがかかることだというのを、実感しました。

一時的に腹が立ったり悲しくなったりして、誰かを批判したくなる時はあるし、それはしょうがないのですが、

辛くても、相手の良いところを見つけて見続けられるように、踏ん張った方が良いのかもな、と思います。

その方が、事態が良い方向に進むのかもな、と。

相手が自分をどう見ているかは、そこでは、全く問題ではありません。

すっきりした気分になってしまえば、どうでもよくなる

相手の良いころを見ようとすると、だんだん気分がすっきりしてきます。

そうやって、とにかく一度すっきりとした気分になってしまえば、過去のごたごたも目の前もごたごたもわりとどうでもよくなるのではないか、と思います。

似たような出来事は何度も起きるかもしれませんが、その度になんとか頑張れ、と。

相手のためというよりは、自分自身のために、周りの人の良いところを見るようにしろ。

そう考えるように、意識していきたいと思っています。


他人からのアドバイスにいちいち腹を立ててへこむ私ですが、それがきっかけでこのようなことを考えてみました。

色々なことに気付かせていただいたな、とこれらの経験に感謝しています。

誰の言葉にも動じない仏のような人には憧れますが、その一方で、怒ったりへこんだり、はたまた他人のオラオラ発言をネタに思い出し笑いしてしまう性格の悪い私もいて(すみません)、やれやれです。それはそれでしょうがないかとも思います。たぶん、他人の良いところを見続ける人になるのには先が長いでしょう。頑張ります。

そしてまた、このブログをお読みいただきありがとうございました。少しでも参考になれば幸いです。