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余裕が出てくると、焦りや不安も一緒に出てくる。

/ スウェーデンの民族楽器「ニッケルハルパ」奏者

留学していた時はだいたいどの学校も約1年(10か月)スウェーデンに滞在をして日本に帰国、という感じでした。

Blekingeという所にいた時だけは、途中で夏休みに一回日本に帰国はしたものの、トータルで約2年間同じ学校にいました。

そんなBlekingeにいた時、ふと思いました。

私は同じ学校に2年いるのはだめだ、と。

なぜかはわかりませんが、なんかたぶん無理…なんだなあ…と思ったんです。

学校が嫌だったわけでも、クラスメイトが嫌だったわけでもありません。授業もとても楽しかったし。

学校のほとんどのクラスは1年で修了なので、「自分は2年生だけど周りの友達は1年」という状況に温度差を感じたのかもしれません。

1年目よりも精神的に余裕が生まれて、心が暇になったとか。

皆が知らないことを私は知っていて、皆が驚くようなことが私にとっては全然新鮮ではない…という状況に少し飽きていたのかもしれません。

でも、そういう問題ではなかったような気もします。


余裕が生まれたり、暇になるのはある意味良いことなはずなのに(その分新しいことができるから)、私は「余裕が生まれてからの方がストレスをため込んでいた」ような気がするんです。余裕が無かった頃よりも。

なぜなんだろう、と考えて、今ふと思い当たるのは「焦り」です。

余裕が無い頃は、生活に慣れるのに必死で、その分毎日「何かをしている」「日々何かを学んでいる」感がありました。「これを積み重ねていけばきっと何かに繋がる」という感覚です。

一方余裕が出てくる頃というのは、生活にある程度慣れた頃なのですが、それって時期としては「留学生活の終わりを意識している時期」とも重なるんです。つまり、「これを重ねていって、果たして本当に何かに繋がるのだろうか?」「私はこのままで良いのだろうか?」という焦りや不安が出てくる時期、です。

YouTubeを見たりするのって、それが本当に自分の楽しみに繋がっていれば良いのですが、ストレス解消目的で見ても結局ストレスは溜まる一方だ、という感覚が私にはあります。なので、そういうのを見たがる時期というのは何かストレスを抱え込んでいる時期なのだ、と自覚しています。

余裕が出てきたら、本来は心が休まって良いもののはずです。なのになぜあの頃の方がストレスが溜まっていたのかと言えば、「自分の中に湧いて出てくる焦りや不安を見てみぬふりしていたからなんだろうな」と今は思っています。

同じ学校に2年いるのが無理、ではなくて、「2年いたからこそ最初は埋もれて見えなかった焦りが不安が出てきたのだ」と思うし、「それを見ないようにしていたから、なんかモヤモヤしていた」のです。


余裕が出てきたと言っても、日々学んでいることはあったし、大学の勉強も、演劇も音楽も練習していたのですが、焦りや不安が心の大部分を占めていたので、自分の成長に気付けなかったのだと思います。

余裕が無いと、目の前のことをこなすのに必死で、それだけを目指して頑張っていれば良いのだけど、余裕が出てきた時に余裕とセットになって顔をのぞかせる、焦りや不安があります。それらとどう向き合うのか、が私の課題なのかもしれません。

とりあえず自分の経験上、見ないふりをしても良い気持ちではいられないことがもうわかっているので笑、直視した方が良いのだろうなと思うし、焦りや不安を解消するために一時的なその場しのぎのストレス解消をするよりも、地道な努力の方が自分にとってはストレス解消になるのかもしれません。

また、Blekingeにいた頃は、なぜか「余裕があってはいけない」と思っていたので笑、目標設定を高くしてよりストイックに生活する、ということもしていたのですが、それも違うのかなと思って。それよりも、「余裕がある状態を楽しめる」方が良いなと今は思います。(つい「自分を追い込んで頑張る」という行動パターンが癖になっているので)

この壁を乗り越えるのが、今の自分にとっても、とても大切だと感じています。私はどうしたいのか、自分に問いかけ続けます。