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私は「本気で弾く」のが恥ずかしいらしい。

/ スウェーデンの民族楽器「ニッケルハルパ」奏者

まず今日のブログの内容とは別のことなのですが。

昨日、「身体の使い方のことで疑問に思っていたことを質問してその回答を頂いた」という内容の記事を書いた際に、「身体のことを『考える』というのは、最終的には『頭で(視覚的なイメージや言語化して)考える』ことを意味してない」(もっと感覚的なものなので、私的には「意識する」という言葉がしっくりくる気がする)ということを書きました。

そして、「そう言われてみたら確かに頭で考えない方が良い感じな気がする」ということも書いたのですが、なぜそう思ったかというと、私は頭で考えようとするとどうやら「その部位」だけを切り離して意識してしまうようなんです。肩なら肩だけ、首なら首だけ。でも身体は基本的に色々な部分が連動してうまく動いているので、「その部位」だけを切り離して考えてしまうとうまくいかないんですね(一時的に、意図して切り離して考えるのは良いのですが、私の場合は常に無自覚にそれをやっていたので)。だからか、と思いました。

そんなことを今日、補足的に考えました。


さて、今日は人とセッションをしたのですが、そこで気が付いたことが一つあります。

私は人前で演奏する時や、動画を撮る時、あと「これから人前で演奏する曲」を事前に練習する時にはある程度本気で弾く覚悟が決まっているのですが、そうでない曲をセッションなどで弾くと、ちょっと「本気で弾くのが恥ずかしい」と思ってしまうらしいのです。

(私だけではなくそういう人は結構たくさんいると思います。「好きなことに夢中になるのが恥ずかしい」という…)

音楽を心から楽しむこととか、音楽に没頭することに躊躇してしまう自分がいました。「人前で弾く」「お客さんに聴いてもらう」という大義名分があるとそれができるのですが、無いとつい「恥ずかしいかも」と思ってしまい、結果的に不完全燃焼するという感じです。

私は弾いている間、笑顔でいる時があるかもしれませんが、あれは「お客さんがいるから笑顔にしよう」と思ってしているわけではなくて、「お客さんがいる時は『本気になって良い』という許可を自分に出せるので、それで弾くのが楽しくてたまたま笑顔になっている」だけなんです。「笑顔にしよう」とすると全然楽しくないので、「笑顔にしよう」とは思いません。その方が結果的に笑顔が増えるのですが。

(仏頂面で弾く人も私は好きです。それがその人のスタイルなら、顔がどうであれ身体のリズムがどうであれ、なんでも良いと思います)

お客さんもいない状況で別に本番も何も予定していない曲を弾く時にも、本気になって良いし遠慮しないで楽しんで良いのだということを自分に許可したいです。許可しようと思います。

実際のところ、ついこの前まではお客さんがいる状況でもそれがなかなか許可できなかったので、その頃と比べると成長したかなとは思いますが…。

誰に聴いてもらうわけでも無い演奏をしている時でも本気で楽しんで良いし、本気で遊んで良いし、本気で没頭して良い!恥ずかしいことではない!というのを自分に言い聞かせます。

「上手く弾く」というのは一つの到達点であると思うのですが、それとは別に「いかにその場を楽しむか」というのもまた、今の自分を「もう一歩前」に進めるための決め手のような気がします。ここ、進んでおきたいです。

今日の動画(曲)は、私がよくご紹介しいるJosefina Paulssonがイタリアのアコーディオン奏者の方とデュオで演奏しているアルバム「Pastrocchio(デュオ名はCiumafina)」から。この曲はスウェーデンの曲ですが、アルバム自体はスウェーデンとイタリアの曲が両方入っていて(2曲で組み合わせていたりしておもしろい)、二人のアレンジもされているので、なんだか「ちょっと昔のかわいい映画音楽」みたいな雰囲気の曲が多くて好きです。すごく楽しいしほんわかした気分になります。

私の動画は245曲目「Västanmadspolska」Byss-Calle作曲です!Byss-CalleはVästanmads-Annaという女性のことを好きになりましたが、彼女は別の男性と結婚することになりました。Byss-Calleはその結婚式での演奏を頼まれ、この曲を作り、結婚式の間中ずっとこの曲だけを弾いていた、と言い伝えられています。

今日もお読みいただき、ありがとうございました!