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自分の掲げる看板を、自分自身に合うように作り替える。

/ スウェーデンの民族楽器「ニッケルハルパ」奏者

ブログとかSNSって、基本的にトラブルが絶えないように思います。

文字の言葉って、実際に会って話すよりも誤解が生じやすいし、音声と違って「その時の一時的なもの」感が少ないので、本人はその時ものすごーーく切羽詰まっていてめちゃめちゃ苦しくて「そういう書き方をせざるを得なかった」だけなのに、後から別の人がその状況を知らずに読んで誤解する、ということもありがちかなと思います。


それでも私がブログをまた再開しようと思ったのは、「自分の掲げる看板を自分自身に合ったものにしていきたい」と思ったからです。

これは他の人の表現をそのまま引用しているのですが、「掲げている看板と本人の中身が違う」ということがよくあるのだそうです。

つまり、「自分はこういう人です」と自分で言っている内容と、言っている本人の中身とが微妙に食い違う、という。(そして、食い違っていることに本人は気付いていない)

例えば、本人は「私は明るく社交的で人と話すのが大好きです」と言っていても、実際は家で静かに本を読んでいる時間が一番好き、とか。「明るい」のも「社交的」なのも「人と話すのが好き」なのもたぶん全然嘘ではないんだけど、何も知らない人が紹介文だけ読んだらあなたのこと勘違いするかもよ?ということです。

勘違いして何が起きるかというと、「出会う人やモノとのミスマッチ」です。

この例で言えば、じゃあ良かれと思って周りの人はランチや飲み会にたくさん誘ってくれるのに、本人はそういうつもりではないからそこでストレスがかかる、とか。

ミスマッチって、自分も相手も悪くないのにお互いにちょっと損した気分になるというか、複雑な心境になることが多いかと思います。もちろん勉強にもなりますが。たいていはお互い傷つくし悲しい。場合によっては引きずる。

ここで重要なのは、「最初から自分の中身に合わせた看板を掲げていれば、ちゃんとそれに惹かれた人やモノと出会う機会が多くなるのに、自分が自分をよくわかっていなくて間違った看板を掲げていると結果的にミスマッチが増えて自分が傷つく」ということです。

私の場合はどうなんだろう、と考えたら、(ブログに関わらず)結構自分の中身に合ったことを発信できていないかもなあ…と思いました。(つまり、過去の問題の原因は自分にもあるのだと気付いてしまったわけですが)

正確には、発信しようと焦るあまり、自分がどういう人なのか・自分が本当に何を思っているのだか、わからずに発信していることが多いし、(人とのやり取りだと)つい相手に合わせてしまうかな…と。

私の場合、こうしなきゃとか、こうであるべきというのが強いから、つい本当に自分が思うことを言えなくなってしまうのだと思います。もしくはその反動で、抑えていた気持ちが爆発して後悔する。あと相手の望む答えについ合わせてしまって、後で苦しくなるパターンも多いです。一応、私に悪気はないのですが…


「ああ、じゃあこの人は自分には合わないな」と最初から相手に思われることを怖れず、自分が自分らしい看板を掲げることが、結果的にストレスが少なくお互いを幸せにするのだと思います。

その一環として、ブログだったら自分らしい発信がしやすいかなと思いました。練習も兼ねて。

ちなみに私は基本的に家にいるのが好きです。静かな環境でコーヒーを飲みながら好きな音楽を聴くのが好きで、自分の気持ちを整理する時間が日常的に必要です。

ひと気の少ない落ち着いたおしゃれな場所(古い場所も新しい場所も)と、あとは反対に自然のある場所に行くのも好きですが、山奥や熱帯雨林みたいな昆虫の宝庫は苦手です。騒々しい場所も苦手です。

親しい人と話すのは好きですが、知り合ったばかりの人に最初から距離をつめられると逃げます。適度な距離感が落ち着きます。

頼まれごとを断るのがとても苦手で、一度嫌なことを頼まれると(断るのが苦手だから)「頼んできた人と距離を置く」という選択肢をとりがちです。

早寝早起きが好きです。

音楽や歌を聴く時は、最初は曲や音楽よりもまず音色と声を聴くことが多いです。曲や音楽を聴くのはその後になります。音楽以外のこともそうで、その人のそのモノに接する姿勢をまず見て、好きかどうかを判断します。(そこで辛辣な自分が出てくることがよくあり、そんな自分が嫌になりますが、半分諦めています)

そして、一度心から好きになったものは、その後もずっと好きでいることが多いです。そんな私です。