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自分の音楽の聴き方が変わってきました。

/ スウェーデンの民族楽器「ニッケルハルパ」奏者

8/7のコンサートの情報を書きました。

とても楽しいコンサートになると思います。ぜひお越しくださいませ!


ここ数日で、自分の音楽の聴き方や本の読み方が変わってきました。

ついこの前までは、今の自分の気持ちに合う音楽を聴いたりとか、今の自分のテンションに合う本を読んだりしていました。

その方法がダメというわけでは全く無いのですが、なんとなく、その楽しみ方の背景に「曲や本と自分のテンションが一致していないと楽しめない」という思い込みがあるような気がしたんです。

そうすると、例えば曲としては好きな曲なのに、自分があまりそういうテンションにならない=聴く機会が作れない曲が増えてきたり。

本も一緒ですね。

それがすごく「もったいないなあ」と思うようになりました。

昨日、「好きなものを好きだと思う気持ちを封印しないように」と書いたのですが、それももしかしたら「対象物と自分を同じテンションに持っていかないといけない」と私が思い込んでしまって、それができないから、好きなものだけど遠ざけてしまうのかなあとか思いました。

それで、「自分のテンションと曲(本)のテンションが一致していなくても、楽しみたいなあ」と思ったんです。

その音楽や本(だけでなくなんでもいいのですが)が与えてくれるものを、いつでもどこでもできる限り受け取りたいなあと思ったんです。(似たようなことを数日前にも書きましたが)


で、そう思っていたら音楽の聴き方や本の読み方が変わってきました。

どう変わったかというと、例えば音楽なら、普通にまず聞こえてくるのは耳からで、それから頭に響いてきます。歌なら歌詞が頭に思い浮かんだり、情景が浮かんだりします。ノリの良い曲なら頭でリズムをとる時もあります。ここまではおそらく一般的だと思います。

でもそれと同時に、自分の胸とかお腹とか足の方まで、聞こえてくる音とは違うものによって満たされている感覚を感じるようになりました。聞こえてきていない部分も同時に聴く、みたいな感じでしょうか?

曲の根底に流れている空気を感じとるような感じ。

例えるなら、(と言っても、わかりにくい例えかもしれないのですが)氷山の一角みたいな感じです。

聞こえてくる曲は氷山の上の見えている部分で、その下にあるもの(曲の根底にある空気)を自分の身体で感じている感じです。

そしたら、テンションが同じでなくても楽しめるようになったんです。元気な曲も、悲しい曲も、変な曲も、その「根底にある部分」が、すごく優しくて温かい感じがします(曲によっては少し変わりますが、基本的に一定で、心地よいです)。

これは音楽よりも、もしかしたら本の方がわかりやすかいかもしれません。よく言いますよね、「行間を読む」とか、「書かれていないことを読む」とか。

「行間を読む」と同じかどうかわかりませんが、私の場合は書かれていない空気を味わう、という感じです。書かれていること全てに共感しなくても、理解していなくても、楽しめる、という感じです。内容を読みながら、同時に作家さんの持つ空気感全体を楽しむ、というか。(好きな作家さんがいる人はこれを自然とやっているかもしれません)

そしたら、「読みたいんだけどなんとなく積んだままにしていた本」に手が出せるようになってきました。

もともとそういう楽しみ方をしている人もいるかもしれないのですが、私にとっては新鮮で、楽しいなと思います。

あとそれによって、自分の演奏の仕方もちょっと変わってきたなと思っています。おもしろいです。

今日の動画は「Vals efter Lasse i Lyby」です!

今日もお読みいただき、ありがとうございました!