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「楽しんでもらいたい」と思う気持ちが自分を変えてくれる。

/ ニッケルハルパ奏者

先日のつながる市で弾いた際に思ったのですが、目の前にお客さんがいてくれるという状況が、自分の演奏にとても大きな影響を与えてくれるのだということに気が付きました。

演奏中ほとんど無意識に、また感覚的に「お客さんに楽しんでもらうためにはどうしたら良いのか?」ということを考えていて、演奏が練習の時よりも良くなっていたと感じました。

普段練習している時にも、目の前に聴いてくれている人がいるというのをイメージして練習しているつもりでしたが、実際にお客さんを前にすると(わざわざ立ち止まって聴いてくださっているというのもあって)「もっとできる。もっとやろう」と思うし、「もっとやる」にしてもただ単に音量を大きくするのではなく、その「もっと」の種類や幅が増えているのを感じました。

考えてみれば、私が今まで練習の時にイメージしていたお客さんって、なんとなく留学先のクラスメイトのこととか、スウェーデン民族音楽を少し聴いたことのある人のこととかだったのかもなと思います。そういう人が聴いていると思うと、「正確に弾かなきゃ」という気持ちになります。演奏を楽しんでもらうというよりは、技量を試されているとか、細かい部分をチェックされている感じです。(実際そんな意地悪な人はあまりいないと思いますが)

でも日本で普通に演奏する場合、多くの方にとってはニッケルハルパもスウェーデン民族音楽も初めて見る・聴くものです。そうすると、「この音楽をどう楽しんでもらうか?」という所に私の意識が向き、その目的を達成するために例えばリズム感を出すとか(初めて聴いた方がノレるように)、きれいな曲をなるべくきれいに弾くとか、音を正確に弾くとか、強弱をつけるとか、そういうことが全て「手段」として見えてきます。

しかも、それらの手段をただ単に「完璧にこなせば良い」というのではなく、「それをすることによって楽しんでもらう」という前提(目的)があります。だから、「こういう弾き方が『正しい』かどうかわからないけれど、実はこういう風に弾きたいと思ってたんだよね。勇気が無くて今までできなかったけど」というような弾き方もすることができました。

(私、弾き方に関して普段は人目や正確さを気にしているのだな…と思いました)

「お客さんがいてくれることでこんなに表現が変わるものなんだ」と自分で弾いていて思いました。お客さんに楽しんでもらいたいという気持ちが、演奏をこんなに変えるんだということを学びましたし、普段の自分がしないような弾き方(でもおそらく心の中には既に存在していた弾き方)をたくさんすることができました。


日本でニッケルハルパを弾いていて、私はしばらくの間(今でも?)「ニッケルハルパを弾いている日本の人達の反応」ばかりが気になっていました。こういう弾き方をしたら誰かになんか言われるのだろうかみたいな、ちょっとネガティブな。実際に言われたことは少ししかありませんし(ほんの一部の方だけですし、そう言う人は誰に対しても同じことを言います)、その言葉も根拠の無いものだったとわかるのですが。

そういう考え方って、周りに目がいっているようで結局は「自分のこと」ばかりに意識がいっているんですよね。自分がどう言われるかとか、どう見られるかとか。

自分のことを考えるのはまず最初の一歩でとても大切なことですが、そこでとどまっていては越えられない壁があるのだと思いました。

自分がどう思われるかよりも、目の前の相手にどう楽しんでもらえるかを考えることによって、結果的に自分が成長できるのかなと思います。だからこそ、普段の練習の時から自分の世界にこもっていてはもったいないと思います。もっと外の世界に意識を開け、勇気を持て、自分、と思います。本当はもっと弾きたい弾き方があるのだし、自分なりの意見があるのだから。

今日の動画は「Vagnshusschottis(ガレージのショッティス)」です!

あとご紹介する動画はVäsenの「Carl Linnæus Polones」です!

今日もお読みいただき、ありがとうございました