演奏させてもらえる機会をもらう、とか、依頼されるのを待つ、という方法は限界があるなあと感じています。
実際選択肢はたくさんあって、「自分が行動してきっかけを作っていく」ということもできるのだ!と最近は感じています。
(今まではあまりそうは思えなかったのですが、最近変化しました)
依頼されるのを待っていたら受け身になってしまうし、相手に振り回されることも往々にしてあります。我慢や犠牲をしてしまう時もあるし、「自分だけでは何もできない」と思い込んでしまって、自分きっかけで行動するのが怖くなるような気もします。
何かに一生懸命な時ほどつい「一つのやり方」にこだわってしまって、「それしか正解が無い」みたいに思ってしまうのですが、よく考えればやり方はいくらでもあるし、人の価値観は多様なので、共感しれくれる人は必ずどこかにいるわけです。(今目の前にはいないかもしれませんが)
どんなやり方をとったとしても。
だとしたら、自分らしい方法をとることが、自分にも周りにも良い結果に結びつくではないか、と思います。
そう考えると、誰かと意見が合わないとか相性が合わないということへの恐怖も薄れるし、「次がある」と思えるし、一つのものに執着しなくて済むし、自分の「好き」だという気持ちを人質に何かを我慢しなくて済むかも、と思います。
自分が「価値がある」と思えるものは、やはりどうしたって、「価値がある」んです。(←自分の好きなもの、自分自身など)
共感してもらえてももらえなくても、その価値や魅力は変わりません。
そこで、わかってもらうために無理して「合わせ」たとしても、それによって届く相手は、自分が心から届けたい相手ではないかもしれません。(合わせることが悪いのではなくて、自分が無理しているかどうかです)
もし今、周りにいる人たちが「人に合わせてきた自分」に共感してくれる人達ばかりだとすると、自分らしい方法を取り始めた途端に、その人達との縁はなくなっていくかもしれません。
お店の仕入れ商品が変わったら、客層が変わるのと一緒です。
それでも、自分がその新しい商品を好きでいたら、一時的にお客さんが離れたとしてもどうにかしてやっていこうと思えます。自分がその商品を好きな分商品に対する自信もつくし、嘘がなくなるし、それが安心感や信頼感に繋がって新しいお客さんとの縁ができます。
私はニッケルハルパもスウェーデン民族音楽も、すごく価値があるというか素敵な音楽だと思うし(他のジャンルの音楽と同様に)、それは無理してわかってもらおうとしなくても、自然に伝わるもの、という風に最近感じています。自分の演奏にも少しずつ自信がついてきて、私自身も伝えたいものを伝えられるようになってきた、と思うからかもしれません。
そこで変にわかってもらうとすると、かえってわかりづらくなってしまう時があって。わかってもらおうとするよりも、ただ自分が自分らしくあり続ける方が、「あの人はそういう人なんだな」と認識してもらいやすくなると思います。
我慢して無理して何かにしがみつくのではなくて、もっと楽しい方へ。自然体で楽しくいられる方法へ。間違えても失敗しても大丈夫。
方法はいくらでもある。