引っ越してから自分の部屋が和室になったので、椅子ではなく畳に座るスタイルになりました。それで今まであまりとらなかった姿勢もとることになり、あらためて身体のことを考える機会が増えました。
私はアレクサンダー・テクニックというものを習っていて、身体のことを色々教わっています。
私が受けているレッスンは特にそれを「楽器演奏に活用する」ことを目的としていて、さらにそこで学んだことを実際に自分のレッスンで活かす実践用のグループレッスンなども受けています。
楽器を演奏しているとどうしても指先や楽器だけに意識がいってしまうのですが、結局のところ問題の原因はたいていその人の普段の身体の使い方にあり、いくら頑張って練習してもその原因が改善されなければ技術的に伸び悩んだり身体が痛くなったりします。
私は留学中に特に肩こりがひどくなり、一時期はあごまでもが痛くなっていました。もともと肩こりはあったし、留学中は特に長時間弾くことが多かったので無理が重なったのだと思いますが。
痛いのももちろん嫌なのですが、痛みの最も怖ろしいところは「慣れていくこと」だと思います。
私は痛いところが色々あるにも関わらず「しょうがない」とか「自分の筋力不足・技術不足だ」「身体が硬いからだ」としか思っていなくて、その痛みを直視していなかった時期がありました。するとそのうちその痛みにすら鈍感になってしまって、「ああ、痛くなくなってきた。治ってきた」と思うようになりました。
でも今考えれば、痛いのを無視していただけでした。アレクサンダー・テクニックのレッスンを受けて、そのことに気が付きました。
痛いところへの対処法は様々にあると思いますが、アレクサンダー・テクニックのすごいなと思う所は「その場ですぐに痛みを自分で軽減できる」ということなんです(アレクサンダー・テクニックというか、私が教わっている先生の独自メソッドもあるかもしれませんが)。これはつまり、「結局その痛みを作り出していたのは自分自身なんだ」と実感することでもあります。うまく表現できないのですが、痛い箇所付近の筋肉を自分で意識することによってゆるめたり反対に働かせたりして、その場であっという間に痛みをひかせることができるので、「ああこれは『慢性的で自動的で仕方のない痛み』だと思っていたけど、結局は『自分があえてそういう風に身体を使っていた』だけなんだな」と実感するんです。もちろん痛みの種類にもよると思いますが。
そうすると、痛みだけでなく、演奏も良くなります。音も良くなるし、それまでよりも格段に、イメージした通りに弾けるようになります。
ただし改善があっという間な分、普段の自分の「痛みが出るフォーム」にもあっという間に戻ってしまいます。普段の何十年分の癖がしつこく染みついているんですね。それをまた改善して、またすぐ戻っちゃって、改善して、戻って、改善して…というのを繰り返していくうちに次第に「自然と改善できている時間」が長くなり、「改善する割合」が大きくなります。
レッスンを受けると、「自分は痛みの被害者だと思っていたけど、その筋肉を傷めつけていたのは自分自身なんだ」といつも私は実感するんです。凝るような筋肉の使い方を「自分が」している。
該当部分の筋肉さえ働いてくれれば『ちょこっとの力』で済むのに、そこを無視して全然使えていないから、代わりに他の筋肉に無理な方向性での負担がかかる。
身体のどこかが痛いことを認めるのは勇気がいるし、プライドが高い人は特に「全然痛くありません」と言いがちですが(私も含めて)、そこに素直になることが上達の一歩目だなと思います。「痛い」って認めちゃいなよ、認めさえすればあとは改善していくしかないんだから、と思います。
今日の動画は、私が思う、ニッケルハルパ奏者の中で一番身体全体の使い方が良い感じの人Josefina Paulson(ヨセフィーナ)です。(Davidと一緒に弾いているのに、Davidについては特にふれず大変恐縮ですが。Davidも好きです。もちろん)
身体について考えるのはとても大切なことだなと思います。
今日もお読みいただき、ありがとうございました!
番外編④は「Djävulspolska från Flen」です!昨日と同じ部屋を別の角度から撮りました!