今日は、動画を見ていて思ったことについて書きます。
ニッケルハルパの音を出す時に怖がってはいけないのが、音が「キンキン」した感じに聴こえたり、雑音が入ることです。
ここを乗り越えるか乗り越えないかで楽器の響きが大きく変わります。
「キンキン聴こえることや雑音が出ることを怖がらないようになると、音が汚くなるのではないか?」と思うかもしれませんが、それは違います。
そもそもキンキンすることや雑音がすることを怖がっている人は「小さく、やわらかく」弾きがちですが、それって「そういう風に弾かないとキンキンしたり雑音が出るような弾き方を実は既にしてしまっている」ということです。残念ながら。
根本的にそういう弾き方を既に身に着けてしまっていて、それを「小さく弾くことで顕在化しないようにしている」だけです。(そうでないなら、意識して常に小さく柔らかく弾く必要ないですよね。普通に弾いても良い音が出るなら)
つまり、「既にもうそういう弾き方しているのだから、だったら隠すよりも自分の弾き方と向き合って変えていった方が早くない?」ということです。
キンキンしたり雑音がすることを怖がっていると、楽器本来の響きも失うことになります。のぺっとした音や、ぼうっとした音や、芯の無い音です。これは具体的には、アタックが弱すぎたり、弓の速さが足りないことによって、楽器本来の響きをうまく引き出せないことなどが関係しています。(ただ、今回はどちらかというと意識の問題について書いています)
また、「キンキンしたように聴こえる」とか「雑音が入っている」とかって、誰よりも「自分」に一番よく聴こえるのです。『自分が思っている自分の声と、他人に聞こえる自分の声が結構違っている』ように、楽器と一番近い距離にいる自分に聴こえている音と、数m離れたところにいるお客さんや聴いている人との間で、音の聴こえ方には差があります。
これは「雑音が入っていてもお客さんにはばれないから良いじゃん」ということではなく、「弾いている時に聞こえてくる自分の音の自己判断は、合ってないことも多いからほどほどにね」ということです。
正直なことを書けば、音がキンキンしたり雑音が入ることを気にしている人は、普段から人の意見を気にしたり人に気を遣うことが多い人が多いように思います。気にしすぎて自分が無い、自分の良さすらも隠している、という感じ。もったいない。
キンキンすることや雑音を怖がらなくなると、まず音が「生きて」きます。そういう生きた音は、多少の失敗(弾き間違える、変な音になる、など)をカバーするくらい魅力的なものになりますし、演奏がより楽しくなり、弾いている本人の自信もつきます。
そこを突き詰めていくと、結果的に「キンキンしていた音」が「張りのある柔らかな音」に変化していきますし(そもそもそれまで小さく柔らかく弾いて隠せてきたのだから、そういう人はそれなりに耳が良く、技術があることが多いです。うまく使えてなかっただけで)、雑音も少なくなっていきます。演奏が色々な意味で「ピンポイント」になっていくので、余計な雑音が減っていくのです。
そんなことを、今日の動画を見ながらあらためて思いました。
(「やっぱり音がめちゃめちゃ良いんだよなあ」と思いまして)
今日もお読みいただき、ありがとうございました!
221曲目は「Polska från Västmanland」です!Josefina Paulsonという奏者が、よく「Första polskan」という名前で演奏している曲です。