今回は、以前もブログに何度か書いたことのある内容なのですが、とても印象深いことなので、また書きたいと思います。
知り合いのコンサートで
伝統音楽関係で、知り合いの方のコンサートを聞きに行った時のことなのですが、ある曲の演奏で、「あ、すごく良いな」と思った瞬間があったんです。
何が良かったかというと、その知り合いの方がその時出していた「音」や「雰囲気」ですね。それがすごく良かったんです。
やっていること自体は非常にシンプルだったのですが、そのシンプルな演奏が、「楽器の良さ」を引き出しているように思いました。
「この楽器の良さって、こういうところなんだ」「この人って、こういう演奏もできるんだ」と私は思い、その瞬間は会場も一つになったような気がしました。
結局、そのコンサート全体を通して、その瞬間が私の中で一番印象に残る瞬間でした。
コンサートの後で
コンサートの後で、演奏していたご本人と話したら、本人は「いや、大変だった」みたいな口調で、
「実はあそこでハプニングがあって…」と言っていました。
話を聞くと、まさにその曲の演奏中に楽器のチューニングがずれてしまって、本来演奏するはずだったかっこいいコードやフレーズが全然演奏できなかった、とのことでした。
本人は「失敗した。もっとカッコいい感じに演奏する予定だったのに」と、へこみながらおっしゃっていたのですが、それが「私の印象」(=「あの瞬間がこのコンサートの中で一番良かった」)とあまりにもずれていて、とてもおもしろいなと思いました。
(ご本人には「いや、あの瞬間が一番良かったですよ」と言うと逆に失礼になるかもと思い、言っていないのですが)
演奏者と、聞いている人とで、感じ方が全然違う時がある
「演奏している本人」が思っていることと、その演奏を「聞いている人」の間で、感じ方が全然違う時もあるんだ、と思った出来事でした。
一応、ご本人にも「いや、でも良かったですよ」くらいはお伝えしたのですが、おそらく私の言葉は、その人には「慰め」にしか聞こえていなかっただろうと思います。
慰めではなく、私は本当に「あの瞬間が一番良かった」と思ったのですが。
私も、自分で演奏していると気づかなかったりするのですが、人の演奏をそばで聞いていると「あ、今のこの感じすごく良いな」と思う時がよくあるんですね。
演奏しているご本人は自信なさげだったり、演奏するのに必死で気づいていなかったりしますが。
「良いな」と思わせる瞬間が確かにあるのです。
何が良かったのか?
ちなみに、その演奏の何が良かったのかを、一応私なりに考えてみたのですが、
「ハプニングが起きたことで、即興演奏に近いような、『その場の音や空気を聞く』演奏になっていた」
というのが大きいかな?と勝手に思っています。
カッコいいフレーズとかコードって、思いついた時は「良いぞ!」と思うし、演奏している側は「どや」って感じになるのですが、それだけになってしまうと、かえってお客さん(や演奏相手)とのギャップが生まれてしまう時もあると思うんですね。
(その知り合いの話ではなく、一般的に)
自慢するために演奏している、みたいになってしまったりとか、お客さんの雰囲気を見られなくて暴走してしまったりとか。
でもあのコンサートのあの瞬間、「会場が一つになったような気がした」と私が感じたのは、きっとその知り合いが「その場の空気」みたいなものを必死に聞いて、「なんとかハプニングを乗り越えよう」ともがいた結果なんじゃないかな?と思うんです。
そういう「伝えようとしている必死さ」ってなんとなく伝わるじゃないですか。「届けようとしている感じ」とか、「どうにか乗り越えようとしている感じ」とか。
お客さんを前にすると、「自分がどう見られるか」を意識してしまうのが普通だと思うのですが、「どう見られるか」以上に、音楽に集中していたから、ああいう「良い音」(私的には)が出たのではないかな、と思ったんです。
(あと、ハプニングの関係で「シンプルな演奏」を余儀なくされた分、技巧的な部分に気を取られずに、「1つ1つの音の音色」に意識が向いた、というのもあるかもしれません)
自分では失敗だと思っても、良いと思う人もいる
「決められたことを、決めた通りにやる」のも大事なのですが、人前に出て何かをやる時って、ハプニングがつきないですよね。
周りの人やお客さんの反応1つとっても、自分が一人でリハをしている時とは違う反応だったりするし、リハの時には見られない「人の顔」がいくつも目の前にあるわけなので。
私は、事前準備の段階で「流れを決めておく」こと自体はとても大事だ、と思っているのですが、同時に、「決めた通りにやらなくても良い(変えても良い)」と思えるのも大事なんだなと今回感じました。
全部を全部決めた通りにできなくても、落ちこまなくて良いし、その中でひねり出されたものの良さにも、気づいていきたいですね。
やっている本人は「失敗した」「だめだ」と思っても、案外その中に「良い」ものがあったりするし(普段の自分からは出てこないものとか)、それが誰かの癒しになるかもしれません。
あまり早い段階で諦めたり、「これではだめだ」と思いすぎずに、そのままで、もうちょっと続けてみても良いのではないか?なんてことを考えたりました。
今回は、私の経験したエピソードをもとに、思うところを書いてみました。
ブログに何度か書いているので、「またこの話か」と思う方がいらっしゃったらすみません。そんなにも普段から読んでくださり、ありがとうございます、という気持ちですが。
おそらくこのエピソードは、私は一生忘れないと思います。定期的に伝えたくなってしまいます。
慰めの意味ではなく、自分が「失敗だ」と思うものを、良いと思ってくれる人は本当にいるので、気を張りすぎずに、諦めずに、やり続けていくと良いことがあるように思っています。