前々回に続き、「怖い」気持ちについてです。
AIが概要してくる
スウェーデンのことや伝統音楽関連のことをネットで調べている時に、ありがたくも、このHPのブログの記事が上の方に出てくることがあるのですが、
最近は「AIによる概要」で、私が書いた記事の概要が勝手にAIによって説明されていたりして、正直、「怖っ!」って思っちゃうんですよね(笑)
勝手に概要されていることも怖いのですが、一番気になるのは、
「もしも私が間違ったこと書いてたら、大変じゃん…」
ということなんです。
間違ったことを発信してしまうことへの恐怖
間違ったことを発信してしまうことへの恐怖は、私は、演奏活動を始めてからずっと持っています。
ただ、この恐怖は乗り越えなくても良いとも思っていて、むしろ「一生持ち続けた方が良い」ものの1つかなとも思っているのですが。
どちらにしても、間違えてしまうことって、やっぱりどうしてもあると思うんですよね。
そのたびに謝って修正するしかないのですが、あまり過去のブログに何を書いたのか、私も覚えていなかったりするし、読み返すのは恥ずかしいし…。
考え方とか、結構変化している部分もあるので。
ブログも、昔の演奏家の事実関係は調べて書いたりしているのですが、調べた先が間違っていることもあるかもしれないし、調べた時と同じ情報を、必ずしも後から追えないかもしれないので…。
そうするとわけわからなくなってしまうなとも思います。
じゃあ何も言わずに黙っていれば良い、発信しなければ良いということになるのですが、そういうわけにもいかず(笑)
スウェーデンのCDでも、「あれ?」みたいな情報が書いてあることがたまにあるし、これはもう「しょうがない」と割り切るしかないんでしょうけど。
できる限りで、頑張るしかない、って感じですかね。曖昧ですね(笑)
重箱の隅をつつかれたら、というのも怖い
情報が間違っているだけではなく、過去のブログとかで、自分が何をどう書いているのか少し恐怖でもあって。
なんか変なこと書いてないかな?とか、誰かを傷つける内容になってないかな?というのをいつも思っています。
つい勢いで書いてしまったけど、まずかった、みたいなこともあるかもしれないので…。
それはいつでも気をつけないと、と思います。
重箱の隅をつつかれたら怖いし、私は書いた側として何も言えないな、と。
一方で、うわべだけの飾った内容にするのもあまり書く意味が無いとも思っていて。
表面的な言葉ばかりになるのも書いている意味が無いので、そのあたりのバランスが難しいです。
嘘は書きたくないし、正直に書きたいけど、書く内容はある程度選ばないと、誰かに迷惑がかかってしまうといけないと思います。
最近は、YouTubeでVlogとか、個人で情報発信する方も本当に増えているので、そういう意味では発信することに対する抵抗感は薄まっているし、
発信している人に対して重箱の隅をつつくような人も、以前に比べたら、減っているようにも思います(むしろ重箱の隅をつつくような人に対する風当たりが強くなっていたりとか、正直に発信している人や誠実な人への共感や信頼が増しているような気もします)。
私自身は、自分をさらけ出している人の言葉は結構信用できるような気がしていて、好感を持つことが多いし、学ぶことが多いので、私も正直でいたいなと思っています。
自分が楽しむ側だと、そこまで気にしない
私自身は、受け手側に立った場合、細かいことは気にしないような?気がします。
CDとかも、音楽が聞ければそれで良いかな~って感じで、ブックレットに書いてある内容が正しいかどうかとか、あまり考えないですね。
楽しむ時は自由に楽しむのが大好きです。
人の伝えてくれる情報とかも、まあ人によって違って当然だよね~くらいに思っていますが、それは自分が発信者側でもあるから、寛容になれているだけかもしれませんね。
人によってスタンスは違うので、細かいことが気になる方もいらっしゃるとは思います。
たまに、私が知り合いの方のライブに(お客さんとして)行った時に、演奏者の方が冗談で「この情報、間違ってないよね?」と私に聞いてくださることがあるのですが、
もしも違うと思ってもたぶん私言えないので…(笑)冗談でもこっちに振らないで欲しいよ~って思っています(笑)
他の人のコンサートに私が口出すのって、興ざめだと思うんですよね。
別に違っていても良いと思うんです、その人がそう思っていて、信じているなら。
(たとえ私が違うと思っても、私が知っている情報が間違っているだけかもしれないし、わからないですよね)
他の人のコンサートだったら、楽しく演奏が聞ければそれで私は満足だし、MCも演奏も、その人らしさって結構違うので。
やり方って1つじゃないなって思っています。
最後少し話がそれましたが、間違ったことを発信することへの恐怖心などについて書いてみました。
この恐怖心は持ち続けながら、自分にできる範囲で誠実に発信していけたら良いなと思っています。