昨日、曲のテンポ感やリズムについて書いたのですが、その続きでまた考えたことがあったので、さらに書いてみたいと思います。
テンポ感に気をつけて弾くととても良くなる
昨日の記事で、「自分の録音を聞いて『走ってる(テンポがだんだん速くなってしまっている・小節が微妙に短い)』ことに気づいて、びっくりした」書いたのですが、その後、気になる曲を全部録音し直してみたんですね。
そしたら、テンポ感に気をつけただけで曲の雰囲気がかなり良くなったように感じて、とても嬉しくなりました。
そうそう、こんな感じだよ!と思いました。
やっぱり、私が普段演奏している曲は、ダンスの曲なんだな~、というのをあらためて認識しました。
ポルスカもワルツも3拍子なので、スウェーデンの伝統曲は拍子としては3拍子の曲が多いのですが、このタンタンタン…のリズムがずっと安定して心地よく聞こえるかどうかで、曲の聞こえ方が全く違うんですね。
リズムが安定していて、かつ「わかりやすい」感じで聞こえると、聞いている時になんだか嬉しくなります。とても聞きやすい。
反対に、リズムの感じを私自身がとらえられないまま弾いていると、それが録音にあらわれるので、音楽的にはちょっとした違いかもしれないのですが、聞いているとそれがよく伝わってきます。
こういう、良い意味での「わかりやすさ」とか「明瞭さ」ってすごく大事だなと思っていて、今回このことにあらためて気づけて良かったなと思いました。
「わかりやすさ」について―演劇学科のダンスの授業を思い出す
話がそれるのですが…
昨日の緩急の話(勢いを大事にする曲と落ち着く曲、それぞれを活かすなど)もそうなのですが、この「わかりやすさ」とか「明瞭さ」「メリハリをつける」ということを意識する時、私はいつもスウェーデン留学2・3年目の演劇学科の「ダンスの授業」をよく思い出します。
(私はスウェーデンの学校の演劇学科に2年間ほど留学していました)
ダンスの授業―「動き」や「位置」で関係性を表現
演劇学科でやっていたダンスは、今の私が演奏しているようなフォークダンスではなくて、コンテンポラリーなダンス(現代ダンス)でした。
リズムに合わせたステップなどは無く、「動き」でパフォーマンスをするんです。立ったり、座ったり、はいつくばったり、走ったり、あえてゆっくり歩いたり。
そういう動きをすることによって、同じ空間にいる別の誰かとの関係性を、距離感や動きで表現したり、表情をつけずに「動き」だけで感情を表現したりしました。
(計画的に意図して何かを表現するのではなく、即興的に動くことで、その空間でどんな空気が生まれるのか、パフォーマー自身も楽しみながらやる、という実験的なものでした)
たとえば、誰かが立っているとします。
そこで自分は、その相手から、「(舞台上の)できるだけ遠いところ」まで行って、「相手に背中を向けて」立ってみます。
それだけでも2人の関係性が見えてきます。
もしくは、反対に今度はその立っている相手の「足元」まで行って、そこで「体育座り」をして、その立っている相手を「見あげる」とか。
そうするとまた違う関係性の2人のドラマがその後ろに見えてくる感じがしますよね。
明瞭さ・わかりやすさ(tydlighet)
そういうダンスの授業が2週間に1回くらいあったのですが、その時に、先生(若いダンサーさん)によく言われたのが、「明瞭さ・わかりやすさ(tydlighet)」でした。
あえて遠くへ行く/近くへ行く。立つ/座る。動く/止まる。目をそらす/見つめる。
中途半端なことをするのではなく、「コントラスト」をつけて、わかりやすく行動する。自分の立ち位置や姿を明瞭に、わかりやすく伝える。
そうすることで、見ている人が色々と想像することができる。
これ、自分がやってみると最初はまあまあ恥ずかしいのですが、他の人がやっているのを見ると、「無表情で色々動いているだけなのに、舞台のワンシーンみたいだな」と、その2人(2人じゃなくても良いのですが)の関係性を色々と想像できてしまうのです。とてもおもしろかったです。
今、自分が弾いている曲はどんな曲なのか?―自分の中で確信を持って
その授業のことを、自分がニッケルハルパを弾いている時も思い出すんですね。
同じ3拍子でも、この曲は、ポルスカなのか/ワルツなのか?によって、3拍子の感じ方は全然違うし、ポルスカの中でも色々な種類や違いがあります。
その違いについて、自分が確信をもって弾けると、聞いている人にもわかりやすく伝わるだろうと思っていて。
逆に「これで良いのかな?」という気持ちだと、ちょっと中途半端な感じに聞こえてしまうのだろうなと、自分の録音を聞きながら思いました。
(確信が持てないこと自体はしょうがないし、悪いことではありませんが、そういう曲のリズムをつかんで、確信を持って弾けるようになると、とても嬉しいです)
違いがあるのなら、その違いをあえて明確に出す、ということですね。中途半端なところで終わりにするのはもったいない。やるならやるで、堂々とやる。
セーンポルスカの話
私がよく弾いている曲で、「ラーシュ・サールストルム伝承のセーンポルスカ」という曲があります。
この「セーンポルスカ」というのは、「ゆっくりめのポルスカ」という意味で、そういうダンスの種類名になるのですが、ダンス動画を見てみると実際にゆったりとしたダンスなんですね。
曲は違う曲ですが、ダンスの動画↓
(ダンスを見ていると、あまりゆったりしているように見えないかもしれませんが、他のポルスカの演奏に比べてゆったりしたテンポの演奏になっています。踊り方も、この動画以外にも色々あるかもしれません)
話を戻しますが、私がよく弾いている「ラーシュ・サールストルム~」の曲自体は、実は必ずしもセーンポルスカとしていつも弾かれているわけではなく、普通にポルスカとして弾いている人もいたりするので、結構速めのテンポで弾く方もいらっしゃるのですが。
私にこの曲を教えてくれた先生(ソニア・サールストルム)がゆっくりめに弾いていて、かつ、この「セーンポルスカ」のダンスの雰囲気が私は好きで、この曲にとてもよく合っているな~と思うので、私はあえて「セーンポルスカ」としてゆったりと弾きたいなと思っています。
とはいえ、私も流れでなんとなくテンポ速めに弾いてしまう時もあり、「あえてゆったり弾く」というのも結構難しかったりするのですが…
このゆったり感をあえて出せると、とても良いな、と。
おそらく、ただ「ゆっくり弾こう」と思って弾くだけだと、中途半端になってしまうと思うんです。ただゆっくり弾いているだけの人…。
これも、やるならやるで、このダンスの動画のような雰囲気で「あえて、ゆったりと弾こう!」と思って、堂々とゆったり弾けるととても良いなと感じています。
同じテンポで弾いても、そういう気持ちの持ち方で、曲の聞こえ方は全然違うと思います。
わかりやすさ、明瞭さ、メリハリ。こういうのを1曲1曲でそれぞれ確信を持って弾けると良いですね。
ということで、テンポ感やリズムについて、演劇学科の頃の話や、セーンポルスカの話をまじえながら書いてみました。
参考になりましたら嬉しいです。
私は、11月は週末に知り合いの方のライブやコンサートを見に行く機会が多いので、今からそれをとても楽しみにしています。
では、良い週末をお過ごしください。

