ニッケルハルパをよく知るために、スウェーデンの歴史も学んでみよう!と思い立ち、スウェーデンのTV番組「Historien om Sverige(スウェーデンの歴史)」を見てメモしたことをブログに書いています。
今回は鉄器時代です。
相変わらず私は世界史全般において全く詳しくないので、用語など間違えたり、とんちんかんなことを書いてしまうことがあるかもしれませんが(すみません)、なんとなくの時代の流れをつかめたら良いなと思っています!
(時代区分や年代などは参照する情報によって変わってしまうかもしれませんが、こちらでは番組の内容を軸に書いていきます)
紀元前500年~紀元後500年頃ー鉄器時代
(※鉄器時代を「いつまで」とするかは人によって違うようで、800年頃までとすることもあるそうです)
鉄…手に入りやすく、扱いやすい
さて、青銅をめぐって交易が盛んに行われていた時代から、鉄器時代に入ります。
この頃、人々は鉄の有用性に気づきます。
鉄に使われる鉄鉱石は、スウェーデンの自然のいたる所(特に湖のあたりや、沼地、湿地など)に存在していました。手に入りやすく、扱いやすい鉄は、たちまち青銅を駆逐しました。
また、青銅や金を中心として成立していた「交易の国際的なネットワーク」も消滅します。
さらに、手に入りやすい鉄が一般的になることにより、社会のヒエラルキーがゆるやかに。限られた特権階級だけが中心となっていた社会から、より民主的な社会が生まれました。
鉄は技術革新の象徴でもあり、農業・料理・武器など、あらゆる道具において鉄が使われました。
ローマ帝国
一方その頃、ヨーロッパ大陸ではローマ帝国が成長を遂げていました。
青銅器時代は「銅やスズ」を求めて人々はヨーロッパまで旅をしていましたが、今度は「ローマ帝国へ行くこと」がスカンジナビアの人々の旅の目的となります。
鉄器時代は、ローマ帝国の影響が色濃く反映されている時代でもありました。
スカンジナビアの若者の生きる手段ーローマ帝国へ旅をし、軍に入り、その戦術(技術)と報酬を持ち帰ること
ローマ帝国は紀元前100年頃(のはじめ頃)に当時最大の国となったそうですが、様々な民族(集団)間での戦争が行われていたため、北欧からの兵力も必要とされました。
(※「帝国」というのは、Wikipediaによれば「多民族・多人種・多宗教を内包しつつも大きな領域を統治する国家」のことだそうです。Wikipedia「ローマ帝国」より)
スカンジナビアの若者たち、とりわけ、土地や家を受け継ぐことのない次男・三男たちは、お金を稼ぐ(仕事を探す)ために、ローマ帝国の兵士になるべくヨーロッパへ旅をしました。
舟で川沿いに旅をして、ローマ軍へ入り、軍の規律や統制の仕方、戦術などを学びました。
そして、その後は兵士としての報酬である高価な品々を携え、故郷に帰り、故郷での戦に戦術を利用しました。
この一連の流れ、つまり「ローマ帝国へ長旅をする→ローマ軍で軍の戦い方を学ぶ→報酬とともに故郷へ生きて帰る」ことを成し遂げた人々(男性たち)は、故郷へ無事帰りつくと高い地位とともに迎え入れられたそうです。
ある男性の遺構ーローマの文化の影響が見られる
西スウェーデンのボーヒュースレーン地方にあるリッラ・ヨーレ(Lilla Jored)には、紀元前300年頃に生きていたと見られる男性のお墓(古墳)があります。
この男性は、おそらくローマ軍で戦ったのちに、故郷へ帰ってきた男性だと見られます。なぜなら、埋葬品には金(軍の報酬としてもらったであろうもの)を使った装飾品や、彼の自画像入りの、「ローマ風」のメダルなどがあったからです。
ただし、このメダルはあくまでも「ローマ風」。ローマ帝国の王に似せた彼自身の自画像と、ローマの文字に似せた、意味をなさない文字(フェイク文字)が彫られていることから、あくまでもスカンジナビアで作られたメダルだということがわかります。
(彼はおそらくローマ帝国の文化を故郷に持ち帰り、生活面でも「ローマ帝国風の暮らし」を実践していたのではないかと考えられるそうです)
ルーン文字
前述のメダルに彫られたフェイクの文字は、スカンジナビアの多くの人々が当時ローマ帝国の「ラテン語」の文字を理解していなかったからこその、「形だけ似せた、でたらめの文字」だったわけですが、一方で、ローマの字を理解した者も一部存在していました。
そんな人たちが、ローマの文字にインスピレーションを受けて北欧で独自に作ったのが、「ルーン文字(runorna)」です。
ルーン文字は、ローマ帝国の文字を(スカンジナビアの人々が)自分達の話し言葉に当てはめて変化させた文字でした。
このルーン文字の全文字が、完全にそろった状態で刻まれている最古の例が、ゴットランド島のシルヴェル(Kylver、番組ではシルヴェKylve)のルーン石碑(runsten)です。これは紀元後400~500年代頃のものだと言われています。
医療
ローマの文化は、知識、アイディア、物など様々な場面でスカンジナビアの人々に影響を与えていました。
それは医療においても同じでした。スウェーデンでは当時の外科手術の道具が(遺構から)見つかっており、ローマ軍での医療の様子を見て手術の方法も学んだとも言われています。
その1つが、たとえば「穿頭術(trepanering)」です。これは頭皮を切開し、頭蓋骨に穴をあけ、血腫を取り除き、脳内の圧迫をおさえる、というものです(圧迫をおさえないと、最悪死に至る)。
非常に激しい痛みを伴う手術だったと考えられますが、この手術をした痕跡のある頭蓋骨がスウェーデンでもいくつも発見されており、それらは「手術の後に何年も(何十年も?)生きた」形跡があるそうです(穿頭術によりあけられた穴が、その後成長した骨によって自然と少しふさがっているのが見て取れる)。
穿頭術は残酷な手術のように思えますが、これにより命が助かった例がいくつもあったのです。
(穿頭術ですが、時代や場所によっては「精神病の治療法」のような感じで、医学的な観点とは別の視点(神秘的な民間療法)で行われたこともあるそうですが、こちらのローマの手術の場合は、現代的な医学と同じ理由で(医学的な観点で)行われていたと見られ、実際に効果があったそうです。Wikipedia「穿頭」)
日常生活でのローマの影響
日常生活においても、ローマの影響がありました。
たとえば「パンを焼くこと」、これはローマの人に教わった文化だそうです。
それから、ガラス製品の輸入と使用。スウェーデンでは、約2000年前のガラス(コップなど)が見つかっています。
その他、高価な品々などもローマからもたらされたものがありました。
この時代の宝飾品として、多くの「金」製品が見つかっています。これも、ローマで兵士をつとめた人たちがスカンジナビアの故郷に持ち帰ったもの(そのままか、それをさらに加工したもの?)だと見られます。
この頃の金製品として最も有名なのは、「3つの金のネックレス(tre guld halskragar)」です。これらは、1つはエーランド島(Öland)に、そして残りの2つはヴェステルヨートランド地方(Västergötland)から見つかっていて、当時の北欧の金細工の素晴らしさを物語っています。
(※このページの2つ目の項目「Guldhalskragar」に写真が少し載っています→https://historiska.se/utstallningar/guldrummet/)
西ローマ帝国の滅亡
紀元後400年代(5世紀)の終わり頃、ローマ帝国は弱体化。
476年、西ローマ帝国が滅亡します。
(その後、東の方から別の民族がやってきて、民族移動時代(folkvandringstiden)に入るそうです)
このことが、スカンジナビア全体にも大きな影響を与えました。
まず、ローマ軍の兵士として働きに来ていたスカンジナビアの若者たちは職を失います。
ローマから来ていた金の流れも止まり、高価な品々がやってこなくなりました。
ヨーロッパとの繋がり(ネットワーク)も途絶え、人々は長旅をすることがなくなります(旅に出る目的が無いため)。
その結果起きた出来事の1つが、「サンドビーボルグ(Sandby Borg)の大量殺人」です。
島で起きた権力争いーサンドビーボルグの大量殺人(5世紀終わり頃)
サンドビーボルグ(スウェーデン語読みだとサンドビー・ボリィSandby Borg)はエーランド島(Öland)にあった環状要塞です。
当時、エーランド島には当時たくさんの人が住み、栄えていたそうですが、西ローマ帝国が滅亡し、金などの流入も途絶えた今、人であふれ・新しい土地の開拓も難しい「島」という状況下で、権力争いが起きます。
それによって起きたと言われるのが、5世紀終わり頃の、サンドビーボルグのこの事件です。(※ただし詳細な経緯はまだ調査中だそうですが)
エーランド島にはもともと様々な要塞跡があり、サンドビーボルグよりも有名なものがいくつかあったと思いますが、2011年の発掘調査により以下のことが判明しました。
以下、枠内だけWikipediaの文章をお借りします。
2011年より実施された発掘調査の結果、ここは5世紀後半に行われた大量殺戮の現場であることが判明した。
殺戮の犠牲者らの遺体は埋葬されず、殺害された状態のまま、住居の中や城砦内の道の上に捨て置かれていた。
これはサンドビーボルグの考古学上におけるきわめてユニークな特徴を表し、鉄器時代における暴力や紛争だけでなく、城砦内の生活などについても新たな考察をもたらすこととなった。
番組では、考古学者がこの発見について「最初は、考古学者として『うわあ、これはすごい発見だ。こんなものが見つかるなんて!』と興奮したけれど、同時に『こんな凄惨なことが起きていたなんて』というひどい気持ちにもなった。この2つの気持ちは考古学を続ける限り持ち続けるでしょうね」と言っていました。
遺構からは、金細工の製品がいくつも見つかっています。
このサンドビーボルグの大量殺人においては、わかっていないことも多いそうですが、
・金製品がいくつも残されていること→事件が起きた当夜、おそらく地位の高い人たちの会談やパーティーが行われていた?
・遺体が適切に埋葬されることなくそのまま無残に打ち捨てられていること(被害にあった集団への敬意がない・侮辱的である)
・遺体に抵抗した形跡が無いことから、不意打ちで狙われたものであること
・女性の遺体が(2023年現在で)まだ1体しか見つかっていないことから、女性たちはまとめてどこかへ連れていかれた可能性があること(集団内に女性が存在していたことは確かであることがわかっている)
などが特徴的だと言われているそうです。
さらに特筆すべきは、「全ての生活用品がそのままの形で残されていること」です。家具や食べ物など。なかには、「半分食べかけのニシン」がそのまま残っており、いかに突然の出来事だったのかがわかるのと同時に、考古学的には当時の生活を知るための大きな手がかりとなっており、今もまだ調査が続けられています。
★参考:サンドビーボルグについての英語の動画(日本語字幕もつけられます)↓
【おまけ】エーランド島に私が行った時の様子
これは鉄器時代とは関係ありませんが、2011年の4月にエーランド島に行きました。スウェーデン人の友達がエーランド島近くのカルマルの出身で、日本人の友達と一緒に、連れて行ってもらったのです。

当時はまだこのサンドビーボルグのことは話題になっていなかったか、話題になっていたとしても私に興味が無くて全然知らなかったので、たくさんある要塞跡地も「石がいっぱいあるな~」としか思っていませんでした。もったいないですね(笑)歴史に興味の無い人が歴史的なものを見ても、その価値がわからないという…。
この並んでいる石垣が元要塞(たぶん…)だと思います↓


ちなみに当時私たちは、歴史探索や観光のためにエーランドに行ったというよりは、ただ皆でピクニックをしに行きました。バスケットにジュースとタコスの材料を入れて、ブランケットを持って。
(スウェーデンでは、皆で集まるとタコスを食べるのが一般的です。タコスは準備するのも楽だし、日本で言う手巻き寿司感覚で、それぞれ好きな具材をその場で入れて食べられるので、個別に準備しなくて良いからです)
この方たちは全然知らない人たちですが、こんな感じでした↓

すごく平和な光景です。
私の中では、エーランドは昔の大量殺人の現場ではなく、「ピクニックをしに行った場所」という思い出になっています。
ということで、鉄器時代でした。
次回はヴァイキング時代に入るそうです。私もまだ全然見られていないのでどうなるかわかりませんが、やっぱり北欧といえばヴァイキングですよね。
明後日更新できるかどうかわからないのですが、3~4日以内には更新したいなと思っています!
