ニッケルハルパを知るためにスウェーデンの歴史を知ってみよう!ということで、スウェーデン国営放送の特番「Historien om Sverige」からメモしたことを書いていっています。
前回は中世に入ったところまで(12世紀初め~半ば頃まで)でした。まだ王にあまり権力が無かったこと、人々が豊かな暮らしを送っていたこと、聖人エリンの話を書きましたね。
★これまでの内容
・石器時代~鉄器時代→スウェーデンの歴史①石器時代、スウェーデンの歴史②青銅器時代、スウェーデンの歴史③鉄器時代
・ヴァイキング時代→スウェーデンの歴史④ヴァイキング時代への移行、スウェーデンの歴史⑤ヴァイキング時代(略奪と交易)、スウェーデンの歴史⑥ヴァイキング時代の終焉~中世へ(9~11世紀)
今回は12世紀終わり頃までみていきます。
前回よりも具体的で細かいトピックがたくさん出てきます。話題があちこちに飛ぶし、全体的に単語が難しくて、調べるのにかなり時間がかかってしまいました。少し間が空いてしまってすみません!
ではいってみましょう♪
修道院(知識や学問の場)
キリスト教の流入は、信仰(宗教)だけではなく、スウェーデン人の日々の暮らしや社会全体の発展にも大きく寄与しました。
その1つが、カトリック教会がもたらした「修道院(kloster)」と、修道院を通して入ってきた「新しい知識や学問」です。
修道院では、読んだり書いたり、勉強をすることができました。
修道院は当時唯一の「教育機関」であったのと同時に、学問や研究の中心地でもあったそうです。
「ローマ=カトリック教会」との手紙、スウェーデン国の始まり
修道院ではラテン語といった言語も学ぶことができたので、「国境を越えたコミュニケーション」も可能になりました。
そこで、スウェーデンの修道院や教会が行っていたのが、ローマ=カトリック教会(Påvekyrkan)との「手紙の交換」です。
それら手紙の存在によって、スウェーデンの歴史が、文書からも読み取れるようになりました。
たとえば、スウェーデンで最初の大司教座(大司教区)がおかれた(ローマ教皇から認められた)のは、1164年のことだ、ということが手紙の内容から判明しています。
この大司教座の設置は、「スウェーデンがキリスト教の国として、(王の存在を含めて)初めて正式にカトリック教会から認められた」ことを意味しますが、これを「スウェーデンの国としての始まりである」とみなす歴史家も多いそうです。
つまり、教会の存在は、スウェーデンの「国としての成立」を後押しした、とも言えるのです。
(※これについて少し自分でも調べてみたのですが、大司教座(大司教区)は1164年以前にも、ルンド(Lund)に置かれていたそうですが、当時のルンドはデンマークに属していました。そのため、1164年にウプサラに大司教座(大司教区)が置かれたことで、初めて「スウェーデン国」として宗教的にも一国として認められた、ということになるそうです)
12世紀終わり頃~、鉄の生産量が増える
鉄をめぐる発展、ヨーロッパ初の高炉
この頃は鉄をめぐる交易が盛んでしたが、その背景として、「高炉(masugnen)」の存在(高炉が開発された)がありました。
高炉とは、「鉄鉱石を熱処理して鉄を取り出すための炉」です(→Wikipedia「高炉」)。
高炉が開発される以前は、熱して「半固形状」にした鉄を「鍛冶屋が1つ1つ鋳造する(打って成形する)」という製造方法でしたが、高炉により、「連続的な鉄の生産(大量生産)」が可能になり、たくさんの鉄製品を作ることができるようになりました。
(約150年の間に、300トンほど生産量が増えた、とも言われているそうです)
ヴェストマンランド地方のノールベリィ(Norberg)にあるラップヒッタン(Lapphyttan)は、中世の高炉の史跡だそうですが、ここは「ヨーロッパでも最初の高炉が使われていた場所」と言われています。
(つまり、ヨーロッパで最初に高炉を使い始めたのはスウェーデン人だ、と言われているのだそうです)
★ラップヒッタンの史跡↓
労働形態の変化(給料)、高炉を中心とした社会の形成
また、メーラレン湖北方のベリィスラーゲン(Bergslagen)にも高炉があり、人々が鉄の生産のために働いていましたが、ここでは対価として「(お金での)給料」が支払われており、ある種の「貨幣制度(penningsystem)」があったことがわかります。
それ以前(農業の場合など)は、労働の報酬はお金ではなく、「食料や住む場所」でした。
ベリィスラーゲンの仕事は、「給料の出る仕事」としてはかなり早い段階のものだったとも考えられます。
また、ベリィスラーゲンでは、男性だけでなく子どもや女性も同じように働いていました(鉄鉱石を細かく砕く仕事など)。
高炉の存在によって、ベリィスラーゲンの森には多くの人々が住むようになりました。
ヨーロッパでの鉄の需要はどんどん大きくなり、高炉の持ち主たちは、時とともに新しい社会階級(bergsmännen)を得るほどまでになりました。
祭り・祝祭
冬になると川(水)が凍ります。
高炉の動力源である水車も止まってしまうため、冬の間は高炉の稼働もありませんでした。
(その間も、鍛冶屋として労働を続けてはいたそうですが)
暗く寒い冬、人々が楽しんだのが、祝祭等のお祝い(högtider)でした。
「祭りの会場」としての教会
こんにちの教会とは異なり、昔は教会が「お祭り(パーティー、宴)の会場」でもありました。
当時の教会や、地域の有力者は、「祝祭の時に食べ物やお酒を振舞い、寛大である」ということが求められていました。
結婚式や葬式だけでなく、すべての聖なる日は教会で式が行われ、音楽が演奏され、ダンスが踊られたそうです。
また、たくさんの酒(ビール)が振舞われ、人々は大いに飲みました。
たとえばクリスマス。
ある中世の暦を見ると、各祝祭日がシンボルとともに描かれているのですが、クリスマスの欄には「ビールを飲むためのコップ(ölstop)」が描かれています。
クリスマスがお酒(お酒を飲む日)と結びつけて考えられていたことがうかがえます。
(クリスマスを意味する「jul(ユール)」という言葉も、詳しい語源は不明だそうですが、ゲルマン祖語の「juhla=お祭りをした/騒いだ/パーティーをした」という単語からきているかもしれないそうです)
また、祝祭の日に、もしも罪(過失致死や窃盗など)を犯してしまうと、非常に厳しく罰せられたそうです。
法的な保護を完全に失い(誰か他の人に殺されても仕方がないとみなされる)、重い罰を受け、最終的には社会から追放されました。
中世初期の都市…ルンド(Lund)
12世紀終わり頃、今のスウェーデン南部の「ルンド(Lund)」はすでに確立された都市でした。
(※ただし、さきほども書いた通り、当時のルンドはデンマークに属していました)
他国からもたくさん人がやってきて(ドイツ、イングランド、スラヴ系の人たちなど)、交易が盛んでした。人が集まり、物流が増え、消費も増加していました。
都市部の交易の盛り上がりは王にとっても経済的な利益をもたらしました。王は「侵略者たちから都市を守ること」を約束し、その代わりに徴税を行いました。
衛生面も重要でしたが、当時はまだゴミや下水処理は各自で行っていたため、都市部のにおいはとてもきつかった、とも言い伝えられています。
医療
・発達した医療技術
当時、ケガや病気は「医者」が診てくれました。
傷口を処置したり、縫ったり、骨折を治療したり。
骨折に至っては、当時のほとんどのケースで、「現代とほぼ同等とも言えるような治療を受けることができた」とも言われています。
手術に使った道具類も発掘されているそうです。
当時、最も良い治療を受けることができたのは、修道院でした。修道士や修道女たちは、大陸からの医学的知識をたくさん身につけていたからです。
また、修道院に限らず、社会のあちこちで、経験に基づいた医学的な知恵が親から子へと受け継がれていきました。
・限界もあった
しかし一方で、中世の知識には限界もありました。
たとえば、当時よく使われた治療法に「瀉血(しゃけつ)」があります。瀉血は、「人体の血液を外部に排出させることで症状の改善を求める治療法の一つ」です(→Wikipedia「瀉血」)。
この瀉血が、ありとあらゆる症状に対して使われていました。
(※瀉血という処置自体には、効果がある場合もあるそうですが、中世の場合は「風邪でもなんでもとりあえず瀉血」という感じで使われていたそうです)
また、今のルンドの中心地にある、あるレストラン(バー)の地下には、「中世初期に建てられた教会の廃墟(Drottens kyrkoruin)」があります。
この廃墟の横には墓地があり、そこに埋められた骨の中には、たとえば骨折の後、適切な処置がなされず(誤った処置がされてしまい)、膝が曲がったまま生活していたであろう人の骨なども見ることができます。
★その教会の廃虚↓
(※ちなみにこの教会廃墟について調べたら、本当にルンドの町の中心地にありました。私はルンドに1年間いたので、近くを何度も通っているはずですが、こんな所があったなんて全然知りませんでした。「行けば良かった!」と思いました)
未婚の妊娠と社会の目
カトリック教会は婚前交渉を禁止しているため、未婚の妊婦とその家族は、社会的な恥、差別、排除の対象となりました。
そのため、妊娠したことを隠し、家でこっそりと産み、生まれたばかりの子を埋葬する、ということもありました。
ルンドの、ある家の土地から掘り起こされたのは、秘密裏に埋葬されたと思われる乳幼児の骨でした。
これは家の「暖炉の中」に埋められていたと見られています。
当時、子どもに対しては大きな敬意が払われていて、たとえ流産や事故で亡くなったとしても、法律にのっとり、丁重に埋葬されるのが一般的でした。
暖炉の中に埋葬されるというのは非常に珍しく、おそらく、その子を産んだ女性、女性の家族、その子ども自身にとっても、当時の社会がいかに生きづらい社会であったかということを、見て取ることができます。
…ということで、ちょっとまとまりが無い感じなのですが、今回はこんな感じです。
次回、13世紀初めの社会について見ていきます。
鉄の交易が盛んになったり、都市部が発展したり…といった今回の内容が、また次の流れにつながっていきます。
次回も2~3日後に更新できたら良いなと思っています♪
