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スウェーデンの歴史⑨ビルイェル・ヤール、聖ビルギッタ、ペスト(13~14世紀)

/ ニッケルハルパ奏者

スウェーデンの歴史について、国営放送の特番「Historien om Sverige(スウェーデンの歴史)」からメモしたことを私の方でまとめながら、ブログに書いています。

(一応目的としては、「ニッケルハルパのことを知るために」ですが、ニッケルハルパとスウェーデンの歴史が関係しているかどうかは少し謎です笑)

前回は中世の12世紀終わり頃までを見てきました。鉄の交易が盛んだったことや、中世の都市(ルンド)の様子でしたね。

今回は13~14世紀を見ていきます。だんだん難しくなってきて(というか私が世界史を全然覚えていなくて…)、進みが悪くなってきました。が、構わずいきたいと思います!

(世界史用語など、もし間違えていましたらすみません)

13世紀…王と国の力が強まる(ビルイェル・ヤールの台頭、法整備)

13世紀初め、現在のフィンランドがスウェーデン領になりました。

これは、(※番組の歴史学者によれば)スウェーデンがフィンランドを占領したわけではなく、当時拡大していたロシアの勢力を怖れたフィンランドが、税金を払う代わりにロシアから守ってもらう、という名目でスウェーデン領になったのだそうです。

(※ただし、いつからスウェーデン領になったのか?という具体的な年代はよくわかっていなかったり、スウェーデン領になった経緯についても、諸説ありそうな感じです)

当時のスウェーデンは、「農作物がたくさんとれた豊かな時代」「鉄の生産と交易が順調」「新しい都市の勃興」などにより、税収が増え、王や国の力が強まっていました。

(※前々回の記事では「王の力はまだそんなに強くなかった」と書いていたので、この時代にかなり変化してきたことがわかります)

ビルイェル・ヤール(Birger jarl、1200年頃~1266年)の時代

当時の実力者として有名なのが、ビルイェル・ヤール(Birger jarl)です。

彼は王ではなく政治家でしたが、いつも王のそばで決定をくだしていました。

残虐な面もありましたが、外交に強く、スウェーデンを「強く安定した国」にしようとつとめました。

例えば、バルト海からの海賊に侵略されないように今のストックホルムのあたりに要塞(Helgeandsholmen)を築いたり、君主をおびやかすような人を処罰しました。

また、ビルイェル・ヤールは「民衆の支持」を得ることの重要性を認識していました。

民衆の支持を得るために必要なもの、それは「安心感」です。

人々が安心して暮らせるように、法律を作り、秩序を生み出しました。

ビルイェル・ヤール以前のスウェーデンの法律は、地域ごとにそれぞれ細かく異なるものが使われていましたが、彼は国全体で共通の法(fridslagar=平和法、平和のための法)を制定しました。

人々はこの法律に基づき、各地で議会や裁判を行いました。

その際、王を代表する(代理する)者として地域の法律家たちが議会や裁判を行っていたらしいことから、人々がビルイェル・ヤールの法律をよく知っていた(親しんでいた・理解していた)ことがうかがえます。

処罰・刑罰

当時、都市はどんどん大きくなっていました。

都市が大きくなればなるほど、犯罪者に対する処罰もより厳しく・重くなっていきました。

なぜなら、「よく知らない人」に対しては、人は重い処罰を与えやすい(精神的負担が少ない)からです。

処罰の種類としてあげられるのが、たとえば「晒(さらし。skamstraff)」です。

これは、罪人をさらし者にして名誉や社会的地位を奪うための処罰で(Wikipedia「晒(刑罰)」)、その人が何の罪を犯したのかが、一目見てわかるようになっていました。

例えば、窃盗罪は耳を切るとか、姦通罪は髪を切る、もしくは鼻を削ぐ、など。

また、当時最も怖ろしかった刑罰の1つが、「車輪はりつけの刑(steglad)」です。

これは、骨を折られ、処刑場の車輪に身体をくくりつけられるのです。

その状態でもたいてい数日間は生きることができましたが、大きな苦痛を与えるものでした。

(※stegladの訳語が上手く見つけられなかったので、とりあえず意味のそのままに書いています)

★残酷な絵が苦手でない方は、こちらに少し絵が載っています→https://varldenshistoria.se/kriminalitet/vilka-forbrytare-domdes-till-stegel-och-hjul

ほとんどは罰金で解決

こういった中世の処刑・拷問や、それらの方法というのは有名ですが、一方で、ほとんどの犯罪は「罰金」により解決されていた、とも言われています。

さきほど書いたような怖ろしい処罰(車輪はりつけの刑など)というのは、実際に使われることはほとんど無かったそうです。

人々は現実的であり、法の力も借りて衝突を上手く解決し、それによって社会が成立していました。

そんな風に、ビルイェル・ヤールの法は人々に受け入れられ、国が整っていきました。

彼は法を使って、スウェーデンを「国王のいる国」としてまとめあげた最初の人物とも言えます。

(※その他、ビルイェル・ヤールについて詳しくは→Wikipedia「ビルイェル・ヤール」

息子のマグヌスが王へ

当時の王が亡くなった後も、ビルイェル・ヤールは自身の息子マグヌス(Magnus Ladulås)を王にし(=マグヌス3世)、王の力と国としてのスウェーデンの力の、安定をはかりました。

当時スウェーデンには軍備が欠けていましたが、このマグヌス3世は地域の有力者たちや力のある農民たちと交渉し、免税を条件に戦争の際に兵士となる約束をとりつけ、軍を備えました。

これが、アルスノー勅令(Alsnö stadga、1280年頃)です。

このアルスノー勅令は、のちのスウェーデンの貴族制度の基礎になった、とも言われています。

14世紀初め…小氷期、聖ビルギッタの登場

14世紀初め、気候が寒くなり、農作物が減り、動物が減りました。

食べ物が減り、人々は飢えと寒さに苦しみました。これが「小氷期」と呼ばれるものです。

(※小氷期について→Wikipedia「小氷期」

人々は、この気候の変化を「神が不満/怒りを感じているからだ」と考えました。

聖ビルギッタ(Heliga Birgitta)

そんな折に現れたのが、聖ビルギッタ(Heliga Birgitta、1303-1373)です。

彼女はもともと裕福な家庭に生まれており、母が王の親戚でした。

(※ウップランド地方の知事の娘として生まれたそうです)

彼女は幼い頃から特別で、他の人には見えないもの(幻視)が見えていました。これを「気が狂っている」と言う人もいましたが、「神とやりとりができる」と言う人もいました。

それでも、夫が亡くなるまではまだ普通の女性でしたが、夫を亡くした際、彼女は神からの啓示を聞く(見る?)のです。

その不思議なことが起きた時、最初彼女は「悪魔がやってきたのだ」と思いましたが、すぐにそれがイエスだとわかり、彼女はイエスの妻となります。

ビルギッタはイエスとマリアの言葉を聞くことができました。彼女の役割は、イエスとマリアの言葉を人々に伝えること、そして彼らの名のもとに修道会の基礎を作ること、でした。

人々はビルギッタの言葉に真剣に耳を傾けました。小氷期の寒く厳しい、困難な時代において、どのような道を進むべきなのか、彼女にアドバイスを求めました。

ビルギッタは、「今このような厳しい時代になっているのは、(教皇・教会・王といった)力のある人物たちが、ただ自分の権力と富のことしか考えていないからだ。もしもこの厳しい時代を終わらせたいなら、自分たちのことよりももっと神のことを考えるべきだ」と言ったそうです。

啓示を伝える彼女の言葉は非常に強く、時に攻撃的な(挑戦的な)言葉も使われていました。

教皇・教会・王、様々な権力者たちに対する批判の言葉でしたが、人々の彼女への信頼はあつく、批判した彼女自身が攻撃されることはありませんでした。

ビルギッタはスウェーデン国内だけでなく、国際的にもよく知られる存在でした。

14世紀半ば…北方十字軍の遠征とペストの流行

ビルギッタは王の親族にあたるため、王のそば(城など)にも自由に行き来することができました。

14世紀半ば、王はマグヌス4世(マグヌス・エリクソン、Magnus Eriksson)でした。彼は力があり、スウェーデンとノルウェー両方の王であり、東はフィンランドから、西はグリーンランドまで、非常に広大な土地を統治していました。

ただし、デンマークからスコーネを購入した際、教会(教皇)に多額の借金をし、これが彼を悩ませることになります。

そんな王(マグヌス4世)に対し、ビルギッタは「東方(ノヴゴロド)への十字軍遠征に行けば良い」とアドバイスをしました。

十字軍(korståg)はカトリック教会の神の名のもとで行われる遠征だったため、遠征に行っている間は教皇への借金の返済を待ってもらえたのです。

また、もしも遠征が上手く行けば、教皇にもマグヌス4世にもお金が入ることになります。

十字軍遠征はもちろん宗教(信仰)のための意味合いもありましたが、政治的な意味合いも含まれていました。

様々な国がそれぞれの領土を広げる際に、十字軍遠征が使われた、と言われています。

ペストの感染拡大

彼は東方への十字軍遠征(北方十字軍遠征)に踏み切りましたが、結果は芳しいものではありませんでした。

ペストがやってきたのです。

スウェーデンにペストがきたのは1350年頃。

ネズミについていたノミを介して広範囲へと広がったり、人の飛沫感染によって感染しました。

14世紀半ば、ヨーロッパ中でペストの感染が拡大し、スウェーデンでは約1/3の人が亡くなりました。

人々はこれを「神からの罰だ」ととらえました。

マグヌス4世は十字軍の遠征をやめ(戦争を続けることができなくなったため)、借金を返済することは難しく、様々な不幸が彼におとずれました。

(※マグヌス4世について、Wikipediaによれば、ペストの流行までは彼の治世は平和な時代が続いたとも書かれています。詳しくは→Wikipedia「マグヌス4世(スウェーデン王)」

また、その間、ビルギッタは修道院設立のためにローマへ行き、教皇へと願い出ていました。

1373年、彼女はローマで亡くなりましたが、ビルギッタの評判はヨーロッパ中に広まり、本にもなり出版されたそうです。

(※聖ビルギッタについて→Wikipedia「スウェーデンのビルギッタ」


という感じでした。おそらく色々端折って説明されていると思うのですが、中世についておおまかに見ていきました。

今回はビルイェル・ヤールと聖ビルギッタの存在が中心でしたね。

国の範囲(領地)も色々変化しているみたいですが、それについては番組ではそこまで詳細に触れていなくて、やっぱり「社会の様子」や「特徴的な人物」に焦点を当てた作りになっているみたいです。ドラマ仕立てで。

というか、個人的には教会の建設や壁画の話とかになったら良いなと思ったのですが(ニッケルハルパと関係しているかもしれないので)、全くそんな話にはならなかったですね。ニッケルハルパと関係無さそうな話題が続いています。

最近、この「スウェーデンの歴史」以外にもブログに書こうと思うことがあるのですが、時間が無くて書けずにいます。という言い訳ですが(笑)色々都合をつけながら、次も3~4日後くらいに更新できればと思います♪