スウェーデンが自分の中で中心を占めることが多くなりましたが、考えてみれば10年前まで私はスウェーデンとは全く関係のない生活を送っていました。
そもそも私がなぜスウェーデンに行くことを決めたのか、その経緯を書きます。長くなるので何回かに分けます。
2008年、私は第一希望の大学に入学しました。受験中は髪を短くし(勉強の邪魔なので)お風呂やトイレでも参考書を読み、ダイエットも受験と同時に強行するという僧侶のような生活をしていたので(かなり痩せましたが、その後戻りました)、大学入学がとても嬉しかったのを覚えています。
ただし僧侶の延長線上で大学に通い始めたので、とにかく真面目、悪く言えば完璧主義の塊のような感じでした。授業は一番前の席で受ける、お弁当を食べている時も授業のノートを読む、成績も良い、でも授業に真面目に出ない学生たちのことを内心軽蔑するという尖り具合でした(あらためて書くとひどいですけど。これは高校生の時からそうで、後で反省しました)。真面目に授業を受けない人とは友達にならなくてもいいや、みたいな一匹狼も貫いていました。
中学・高校と吹奏楽部(クラリネット)に所属していた私ですが、吹奏楽部時代にコンクール一直線になっていた時期があり、大学入学時はちょっと自分の中で音楽との付き合い方を考えていました。コンクール一直線になることが悪いわけではありませんが、その過程で色々な人を傷つけた気もしたし自分の視野も狭める気がして、「音楽に一生懸命になること」が少し怖い気もしました。
大学入学時は音楽サークルに入る気は無かったのですが、友達に「入らないの?」と聞かれたり、なんかサークルやっておいた方が良いのかな?と勝手に思い込んで、結局は音楽サークルに入ることにしました。良いなと思ったゆるい音楽サークルは入部する人を選ぶ内輪サークルでひどかったし、今度は良い人そうな人達がたくさんいるサークルも見に行ったけど、そちらの音楽もちょっと違う感じがしました。
結局廊下でクラリネットを吹いていた女性が所属しているジャズサークルに入部することにして、私はその日からジャズのことを一生懸命勉強し始めました。
もともと私はかなり情熱的な一面を持っているので、ジャズサークルの練習も必死にやりました。どうやったらジャズっぽく演奏できるんだろう、どうやったらもっと良い音が出せるんだろう。先輩たちのライブも見に行ったし、授業の時間以外は練習に打ち込みました。飲み会だって、別に好きじゃないけど勉強だと思ってソフトドリンクでほぼ毎回参加したし、先輩たちのバンド練も見学させてもらった。移動中はジャズの音源をたくさん聴いた。サークル棟の学生会館の受付のおばちゃんたちには名前も覚えてもらって優しくしてもらったし、掃除のお兄さん(だかおじさんだか)もいつも挨拶して話しかけてくれた(でもちょっと頻繁すぎて引いた。すみません)。もちろん勉強も頑張った。
でも無理していました。なんか辛かったです。本当は。でも辛いなんて言えなかった。頑張らなきゃと思っていた。何者かにならなきゃ、すごい自分にならなきゃと思っていました。せっかく早稲田にいるんだし、という思いもありました。今頑張れば後で何かになれる、今頑張れば後で楽しいことが待っている。そう思っていました。