先日、「音色のイメージが大事」というようなことを書きましたが、
最近、練習中に意識している2つのことー「安心して弾く」ことと「音色(響き)を聴く」こと
今回もイメージに関連して、私がよくやりがちな失敗と、それへの現時点での対処法を書いてみました。
また、比較の参考になればと思い、過去のYouTubeの動画と、同じ曲を弾いている最近の動画も載せています。
もしよければ、参考にしていただければ嬉しいです。
うまくいく時といかない時があると感じた
留学中に教わった曲などを練習している際に、「うまくいかない」と感じることがよくありました。
そんな時、いったい自分に何が起きているのか、どうしてうまくいかないのか?
反対に、うまくいっていると思う時は、何が違うと感じるのか?
考えていた時に、一つ思いついたことがありました。
うまくいかない時は、曲や音のイメージよりも、「どのキーを弾くのか」とか「弓をどう動かすべきか」を考えている、ということです。
反対に、うまくいっていると感じる時はメロディや音の響き、音楽の流れをイメージしていて、どのキーを弾くかとか、弓をどうすべきかとかはあまり考えていませんでした。
丁寧に教わった曲ほど、指や弓ばかり考えてしまう癖→練習により強化される
皮肉なことに、留学中に手取り足取り丁寧に教えてもらったり、弾き方のポイントを教えてもらった曲ほど、「キー」や「弓」やその他教えてもらった細かいことだけに意識がいき、音楽として認識できていないと感じました。
そして、誰にも教わっていなくて、CDで聴いていただけの曲などの方が、音楽としてよりイメージできていて、弾きやすいと感じました。(弾き慣れてはいないので、細かい部分は弾けていないのですが)
しかも、留学中に教わった曲は、スウェーデンでも日本でもすでにたくさん練習してしまっているので、『演奏中に「キー」や「弓」や細かいことだけに意識を向けて弾く』というその弾き方が、頑固な癖のように自分にこびりついているのを感じました。
弾き始めると、ほとんど自動的にそれらのことだけを考えてしまうのです。
練習すればするほど、そのイメージの仕方が強化されてしまったのだと思います。
また、教わった当時の自分の弾き方の癖なども、曲と紐づいてイメージしてしまっていると感じました。
練習中の自分の音(自分が出したい音じゃない音)が頭に残ってしまって、出したい音ではなく、「自分が普段出している音(出したい音じゃない音)をイメージして弾いてしまっている」という状態でした。
私は、これがとても悔しかったです。
人から教わった曲ほどポテンシャルは高い
一方、人から丁寧に教わった曲というのは、CDから(ボーイングなどを自分で推測しながら)覚えた曲よりも、自分の中で細かい部分がかなり弾きまれているし、ボーイングなど含めて「教わった」という安心感と安定感が段違いだとも思いました。
また、CDなどだとアレンジがかなり加えられていますが、人から教わる時にはそうでないシンプルなバージョンを教わることができるし、ステップアップのための細かいポイントも、教わっています。
「最低限これを弾く」というもの(シンプルバージョン)と、「そこにこんなことを加えられるよ」という選択肢(細かいポイント)の両方が与えられているわけです。
今の時点では悔しい弾き方しかできないとしても、やはり人から教わった曲(留学中に丁寧に教わった曲)というのは、そうではない曲に比べて自分の中でのポテンシャルはすごく高い、と感じていました。
だからこそ、留学中に教わった曲の自分の弾き方(イメージの仕方)を、なんとかしたい!と思いました。
①自分のイメージの仕方を自覚する
なんとかするうえで、まず意識したのは、演奏中に自分がどんなイメージの仕方をしているか、現状を自覚するということです。
Sonia(ソニア)という先生に習った「Pintorpafrun(ピントルパフルン)」という曲で、私の例を書いてみます。
こちらがその曲を弾いた時の、3年前の動画です。
この曲は、最初に「ソッミ・ミー」という音があります。
曲を教わった時、この2拍目の「ミー」ところで『ソの音も一緒に(重音で)弾いてあげてね』とSoniaに笑顔で言われました。
なので、私はここを弾く度に「あー、Soniaにこう言われたからこう弾かなきゃ!でも音程と音量のバランスをとりながら重音で伸ばすの難しい…」と思っていて、うまくできないと「あーまたできなかった…」と、いつも思っていました。
そして、「ソッミ・ミー」の後に、ドローン弦で低音のC(ド)をバーンと弾いています。
このCの音も『変な音(爆発音みたいな音)になって大丈夫だからバンっと弾いていいからね』とSoniaに言われたものの、
「どれくらいの強さでやっていいんだろう?」ということと、「Cのドローン弦を弾く時にいつも弓が身体に当たっちゃうから、ついキーボックス側の位置で弾いちゃうんだけど、それってどうなんだろう?」などと、考えながら弾いていました。
曲が始まって最初の2小節が、こんな感じです。
メロディの流れや響きをイメージするというよりも、「言われたことをうまくやること」に思考がいっていました。
他の曲でも、「ああ、ここは指がいつも届きにくいんだよなあ」とか、「次の音は普通に弾くといつも音程が下がっちゃうから、下がらないように下がらないように、お願い!ああ、下がっちゃったー…」みたいなことを考えていました。
音のイメージや、今の自分の音を聴くということよりも、うまくいきますように!と願いながら行き当たりばったりで頑張る、みたいな場合が多かったです。
②イメージの仕方を変える
そのようにして、現状を認識したら、次はイメージの仕方を変えるように意識します。
変え方は色々あると思います。
私は以前も書いたように、とにかく「音色(響き)」と、身体の状態などに意識を向けることにしました。
例えば、「次にこのキーを上げる」と思うのではなく、
- 「次はどの音で、どんな響きにしたいんだっけ?」
- 「メロディの流れはどうなるんだっけ?」
- 「ここで重音が入ったら、どんな響きになるだろうか?」
- 「今弾いている音の響きと次の音の響きが混ざったら、どんな感じになる?」
- 「今ここが教会だとしたら、どんな感じに響くだろうか?」
などということを想像しながら弾きます。そして、指は動くがままにしておきます。
他にも、「弓をこうする」というよりは、
- 「今、右手の上腕に力が入っているな。楽にしてみよう」
- 「身体の中心を意識できている?」
- 「肩のあたりが少し痛い。肩甲骨は肋骨に沿っているから、肋骨のラインを意識しよう」
- 「リラックスして、地に足を着けて」
などを意識します。
イメージして弾いているだけで、力の入れ加減や抜き加減、ニュアンスの作り方、などがより自然にできるようになります。
すぐにはできなくても、「もう少しでできそう」「前のやり方より良くなってきた気がする」という風に思えてきます。
また、「指や弓をどうするか?」と思考で考えてしまっている時と言うのは、「この音はこれで、次の音はこれで」みたいな感じで曲を断片的にとらえてしまいがちなのですが、響きなどのイメージを想像しながら弾いていると、曲全体が見えてきて、弾きやすいと感じます
弾きながらイメージの仕方を変えている過程で、人に言われたことや、細かく教わったこと、教わった当時の記憶が頭に浮かぶと思いますが、それらは一旦置いておいて、今自分が出している音と、自分なりのイメージを意識し続けます。
新しい方法に慣れてしまえばOKです。
③教わったことと融合させる
イメージの仕方を変えるように意識し、新しい方法に少しずつ慣れてきたら、そのうえで教わったことを再度ちょっとずつ意識したり、取り入れたりします。
ただ、これはあらためてやらなくても大丈夫かもしれません。
というのも、「教わったこと」を一旦置いておいて自分なりに弾いたとしても、音色(響き)などをイメージして弾いていると、自然と「教わったこと」が一緒にできるようになってきたり、自分のイメージと「教わったこと」が混ざってくるのではないか、と私は思います。
一度教わったことというのは、おそらく、「知っているか知らないか」で結果に差が出るのかな、と思います。
知ってさえすれば、自然とできるようになるけど、知らないままではできないまま、というような。
だからこそ、特にスウェーデンの伝統音楽や、ニッケルハルパの弾き方などは、聴いたり見たり、教わったりすることが大事なのかなと思います。
あくまでも私の考えですが。
そして、上記の①~③のプロセスを試みている途中で撮ってみた動画が、こちらです。
さきほどの「Pintorpafrun」の2023年2月7日バージョンです。
立って弾くのは座って弾くのよりも難しいので(多くの関節がより自由になる分、安定しないことが多い)、練習もかねて、立って撮ってみました。
私は響きを止めながら弾いてしまう(今の音を終わらせてから次の音を弾こうとしてしまう)癖があると自分で思ったので、音を重ねるにつれ響きを重ねていくようイメージしました。
また、以前動画を撮っていた時には、「良いものを撮りたい」と思うあまり、できていないところを見せないように強がって弾いていたところがありました。
「できていないところを見せないように」ではなく、今の自分にできる演奏をするよう、最近は心がけています。
響きと力の抜き加減はかなり良くなってきたので、また続けて挑戦したいと思います。
以上、「演奏中のイメージの仕方を変える」について書きました。
ぜひ参考にしていただけましたら、嬉しいです。
お読みいただき、ありがとうございました。