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Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳③

/ ニッケルハルパ奏者

Bosse Larssons minneskonsert(ボッセ・ラーションの追悼コンサート)の和訳③です。

①と②はこちら↓

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳①

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳②

動画

前回の続きから(16:25~)です。

(Bengt):Bosseの追悼を続けます、次はCajsa Ekstav(カイサ・エークスターヴ)の出番です。

Bosseにまつわる思い出と音楽の演奏をしてくれます。

Cajsa、どうぞ。

(Cajsa):ありがとうございます。

私はBosseとは長い付き合いになります。

(※↑「○○の頃からの付き合い」と言っていて、聞き取れませんでしたが、「物心ついた頃からの」みたいな感じではないかと思います)

(Bosseに関する)一番最初の記憶は、Vendel(ヴェンデル※地名)の私たちの家にBosseとLasseがやってきたことです。

Annika(アンニカ)、私の父方の祖母ですが、彼女はViksta-LasseとSysslingでしたので。

(※Syssling=「それぞれの親同士がいとこ」という関係性の親戚。曾祖母・曾祖父が同じ)

時々、LasseはBosseにこう言っていました。

「この家系はここに行きついているんだ」と。

その後、私たちは年齢を重ねました。

Bosseに会えることは、私たちにとってとても光栄なことになりました。


Robertがさきほど、「BosseはViksta-Lasseが教えてくれたすべての話を録音していなかったことを後悔していた」と言っていましたが、それはまさに演奏家ならではのことで、曲の周りにたくさんのエピソードがあるのです。

でもBosse自身も、(録音していなくても)それらをすぐに思い出すことができました。

Viksta-Lasseは素晴らしい話や説明をたくさんしてくれていて、その多くがViksta(ヴィークスタ※地名)にちなんだ話でした。

すべてがここVikstaに由来していた内容だったんです。皆さんもご存じの通り。(笑う)

(※「実は○○の由来はVikstaにあったんです」という話が多かった。歴史的な事実というより、日本昔話的な、とんち話のような話)

そしてBosseは、古いポルスカなどと結びつけて、歌詞とメロディをつけて、これらのお話を伝えようとしました。


昨年2021年の9月、私はBarbro(バルブロ※Bosseの奥さん)とBosseの家を訪ね、ダイニングテーブルのイスに座り、それらの歌の一部を書きとめていました。

いくつかの歌が「Ljusapolskan」というポルスカのメロディをとっていました。

Vikstaにはたくさんの、良い農夫(dräng)たちがいました。(※dräng=雇われ農夫)

たとえば、オーディンとトール(※)、彼らも最初はVikstaの農夫たちだったんですよ。

(少し笑いが起きる)

(※オーディンとトールは、それぞれ北欧神話の神々です。Viksta-Lasseの話では、彼らもViksta出身ということになっているみたいです)

それからGustav Eriksson(グスタヴ・エーリクソン)という農夫。

彼はのちに王様となり、Gustav Vasa(グスタヴ・ヴァーサ※グスタフ1世)と呼ばれるようになりました。

(少し笑いが起きる)

(※Gustav Vasaはとても有名なスウェーデンの王様)

そして、もう一人。農夫でJan(ヤーン)という名前の人がいました。

彼もまた印象を残した(エピソードを残した)人物なのですが…。

さて、私、これを歌いきれるでしょうか(笑)。

昨夜、座ってこの歌を練習しました。

Bosseが歌詞をつけた歌(visa)です。

Viksta出身の農夫Janについて歌ったものです。

(ちょっと音出しをする)

ここにカンニングペーパーも用意していますので、こうして見て歌うのが良さそうですね。

(※ニッケルハルパの側面にスペースがあるので、カンニングペーパーを貼ることができます)

④(19:04)Cajsaの歌と演奏1:VikstaのJanについての歌・ポルスカ(Bosseが歌詞をつけた)

歌詞の内容もぜひ聴いていただきたいので、できる範囲で書きました↓歌を聴きながらご覧いただけたらと思います。

意味がわからない・単語の聴き取りが曖昧な部分だけ「?」で書いています。

(歌詞の内容)

ヴァイキング時代、皆さんご存じVikstaでは、皆が漁網(漁をするための網)を作る技術を持っていました。

そこに一人の農夫がいました、彼の名前はJan。

JanはVikstaからダーラナ地方へと引っ越しました。

しかしダーラナ地方では、誰も網を使って魚をとることができませんでした。ほとんどはただ大きさを測る(?)か、そう、溺れるだけでした。

そんな風に、普通の人々は魚が捕まえられませんでしたが(?)、Janはそこに自分の網を持って現れたのです。

Janはたくさんのニシン(sill、タイセイヨウニシン)をとることができました。

そのようにして、「Sill-Jan」という名前で呼ばれるようになりました。

彼はたくさんの人々に網での魚のとり方を教えました。Sill-Janは周辺地域でとても有名な人になりました。

また、その湖はまだ名前がつけられていなかったので、人々はときおり、湖のことを「Sill-Jan」湖と呼ぶようになりました。

そうして、湖はSiljan(シリヤン湖)と呼ばれるようになったのです、彼にちなんで。

Siljan(シリヤン湖)はSill-Jan由来のものだったんです。

(笑いと拍手が起きる)

(20:13~ニッケルハルパでの演奏)

ダーラナ地方にある有名な湖で、「Siljan」(シリヤン湖)というのがあります。

この湖は有名なので、Janとsillの話題が出てきた時点で聴いている人は「あれ、もしかして」となり、Sill-Janが出てきた時点で「なるほど~」となっているかなと思います。要するにダジャレです。

もちろんこの話も、事実というよりは昔話的な、冗談のようなものなのですが、とてもおもしろいです。

参考:シリヤン湖について→Wikipedia「シリヤン」(日本語)(もちろんJanのことはWikipediaには一切書いてありません)

(続きはまた明日)


私が力尽きたので、今回の訳はここまでにしたいと思います。

最初にこのコンサートを通して聴いた時は、話の意味が結構わからないものも多く、しかも人によって話の文脈がコロコロ変わるので、「これ訳すの無理かも…」と思っていました。

そう思いながら始めてみました。「無理かも」というのは今でも思っています(笑)。

今回で言えば、「オーディンとトール」の部分がわからなくて、「きっと何回聴いてもわからないだろうな」と思っていたのですが、昨日たまたま思いつきました。

そんな感じで綱渡り的に訳しています。

おもしろくてとても良いコンサートなので、ちょっとずつでも、多少間違えても、紹介できればと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。