スウェーデンの歴史について知るシリーズです。
こんなに長引くと思っていなかったのですが、そろそろきちんと終わらせたくなってきたので、今回も真面目にやりつつ、ちょっと早送りも入れつつ、書いていきたいと思います。
今回は14世紀~15世紀にかけてです。主にカルマル同盟など、「スウェーデンがデンマークの統治下にあった頃の話」が中心です。
★これまでの内容
・石器時代~鉄器時代→スウェーデンの歴史①石器時代、スウェーデンの歴史②青銅器時代、スウェーデンの歴史③鉄器時代
・ヴァイキング時代→スウェーデンの歴史④ヴァイキング時代への移行、スウェーデンの歴史⑤ヴァイキング時代(略奪と交易)、スウェーデンの歴史⑥ヴァイキング時代の終焉~中世へ(9~11世紀)
・中世→スウェーデンの歴史⑦中世(12世紀~、王の力と神・豊かな社会・聖人)、スウェーデンの歴史⑧鉄・祝祭・都市部の様子(~12世紀終わり)、スウェーデンの歴史⑨ビルイェル・ヤール、聖ビルギッタ、ペスト(13~14世紀)
(※スウェーデンのTV番組「Historien om Sverige(スウェーデンの歴史)」(特別番組)からメモしたことをブログに記事に書いています。私が世界史に詳しくないもので、間違ったことを書いていたらすみません)
1361年、ゴットランド島ヴィスビーの戦い(対デンマーク)
14世紀半ば以降、ペストがヨーロッパ全土をおそいました。
スウェーデンのゴットランド島も例外ではありませんでした。
ゴットランド島はハンザ同盟都市として非常に栄えた島でしたが、ペストの流行により多くの被害が出ました。
そして、さらなる不幸が島の住民たちをおそいます。
ヴァルデマー4世(Valdemar Atterdag)による侵略
デンマークによる襲撃を受けたのです。
当時のデンマークは勢いに乗っていて、すでにスコーネ地方、ハランド地方、ブレーキンゲ地方、エーランド島を占領していました。
ヴァルデマー4世は2000人のデンマーク人兵士とドイツの兵士(外国で戦うために雇われた兵士)たちを率いて、ゴットランドまでやってきました。
農民たちが武装
ゴットランド島の軍は農民で構成されていました。襲撃を受けることがわかった時、農民たちは武装し、ヴィスビー(Visby、ゴットランド島の中心地・ハンザ同盟都市)へと向かいました。
★ヴィスビーについて→Källunge(シェッルンゲ)教会のレリーフについて①
この時、彼らがなぜヴィスビーに集合したのか?はよくわからないそうです。
というのも、同じゴットランド島といえども、当時の「ヴィスビーの都市の住民(=ドイツ系の商人など)」と、「ヴィスビー外に住む農民たち」との間にはわだかまりがあったからです。
都市の住民たちと農民たちは、バルト海の交易(にまつわる特権など)をめぐって衝突していました。
ヴィスビーの都市の周囲には城壁(砦)がありますが、これはヴィスビーの町から「農民たちを締め出す」ために設置されたと言われているそうです。
デンマークからの襲撃を受けた際、農民たちはヴィスビーの砦の外に集合しましたが、もしかすると「普段は関係性の悪かった都市からの応援を、それでも期待していたのでは?」と推測できます。
(ただし、都市住民はこの戦いに対しては静観していました)
武装した農民たち以外にも、家に残った人々(若者や女性など)は、地面の下に財産を埋めるなどして(侵略者たちに奪われないように・後から取り出せるように)、襲撃に備えました。
(この時に一体どれほどの宝が埋められたのかは、誰にもわかっていないそうです)
1361年…ヴィスビーでの戦い
1361年7月27日、「ヴィスビーでの戦い(Slaget vid Visby)」が起きました。
結果はデンマークの圧勝でした。彼らはプロの兵士たちで、強かったのです。
ゴットランド島では1800人の兵士たち(島のほとんどの農民)が亡くなりました。
そして、この戦いから約500年以上経った後、当時の兵士たちの集団墓地が発見(発掘)されました。
そこには約1200体の遺体の骨があり、最も若い骨は15~16歳の兵士のものでした。当時の戦いの凄惨さを物語っています。
(※Wikipedia「Slaget vid Visby」)
ヴァルデマー4世の娘マルグレーテ(1世)の治世…3国を統治。カルマル同盟。
ヴァルデマー4世は順調にデンマークの地図を拡大していきましたが、彼よりもヨーロッパ・北欧に対して影響力を発揮した人物がいました。
ヴァルデマー4世の娘、マルグレーテ1世(Margareta(Margrete), 1353-1412)です。
14世紀後半…混乱に満ちた時代
14世紀半ばのスウェーデンは混乱に満ちていました。
たびたび訪れるペストの流行、常に変わる国境。
(ただし、国境に関しては人々はあまり気にすることはなかったようで、国よりも小さい単位での「地方/都市/村」に関する出来事の方が重要でした)
1360年代には王が3人代わり、国内での紛争は絶えず、バルト海には海賊がいました。
1397年、カルマル同盟の結成(北欧3国でハンザ同盟に対抗)
そんな混乱の中で生まれたのが、前述のヴァルデマー4世の娘マルグレーテによる、「カルマル同盟(1397年)」です。
当時、彼女はすでにスウェーデン・デンマーク・ノルウェーの3国の(実質的な)女王となっていました。
(これは親族の力によるところが大きかったそうです。マルグレーテの場合、父は前述のデンマーク王(ヴァルデマー4世)、夫はノルウェー王(ホーコン6世)、そして義父はスウェーデン王(マグヌス4世)でした)
彼女は賢い政治家だっただけではなく、時に暴力的な(残虐な)手段を使うこともいとわない人でした。また、交渉人としても優れており、自身の計画に反発する貴族たちとも上手く交渉を進め、「カルマル同盟」を締結しました。
カルマル同盟とは、簡単に言うと、「3つの国(デンマーク・ノルウェー・スウェーデン)を1人の王が統治する」というものです。
それぞれの国が評議会(riksråd)を持ち、自立した国として機能したうえで、1人の王が外交的な面(外国向けの政治)をコントロールすることが目的でした。
ここでいう外交とは、戦争と交易です。
特にマルグレーテが支配下に置きたかったものは、「バルト海の交易」でした。
当時はハンザ同盟がバルト海の交易において中心的でしたが、マルグレーテはそのハンザ同盟に対抗するために、このカルマル同盟を作ったのです。
カルマル同盟はマルグレーテの計画通りに現実になり、その王として、彼女の息子(養子)エーリク7世(Erik av Pommern)が選ばれました。
(※カルマルはスウェーデンの地名で、カルマル城があります。今回の記事冒頭の写真がカルマル城です)
同盟のゆらぎ
しかし、同盟は安定しておらず、話し合いはなかなかまとまりませんでした。
エーリク7世はカルマル同盟の王でしたが、彼が実質的に統治できたのはノルウェーのみで、デンマークとスウェーデンは実質的にはマルグレーテの統治下にありました。
そんななか、おそらくペストを原因として、1412年にマルグレーテが交渉先のドイツのフレンスブルクで亡くなります。
マルグレーテの死後、権力がエーリクに集中しますが、彼はマルグレーテほど上手く同盟を仕切ることができません。
ハンザに対する戦争を仕掛け、そのために費用がかさみ、増税が行われ、国民も不満を抱いていました。
Bergslagenの鉱山労働者たちによる反乱
不満を抱いていた人たちの一部が、以前出てきた鉄の生産が盛んだった地域、「ベリィスラーゲン(Bergslagen)」で働く鉱山労働者たち(Bergsmännen)です。
★ベリィスラーゲンについて→スウェーデンの歴史⑧鉄・祝祭・都市部の様子(~12世紀終わり)
彼らはハンザ同盟で自ら「鉄に関する交易」を行っていたため、エーリクによるハンザへの攻撃、さらにそれにまつわる増税は、彼らにとっては迷惑なものでしかありませんでした。
そこで、ベリィスラーゲンの鉱山労働者の1人、エンゲルブレクト・エンゲルブレクトソン(Engelbrekt Engelbrektsson)が中心となり、エーリク7世に対する反乱が起きました。
エンゲルブレクトは「エーリク7世を退位させ、スウェーデンをデンマークの支配から自由にしよう」と働きかけ、途中までは上手くいきましたが、彼の影響力が日に日に強くなっていくことに危機感を覚えたスウェーデンの他の貴族たちが、エーリクの退位よりも前に彼を裏切り、エンゲルブレクトは殺されてしまいます。
その後、エーリク7世も王位を退き、カルマル同盟内での権力争いは続きました。エーリク以降の王は皆、王位を長く続けることができませんでした。
スウェーデンの貴族たちは、同盟の王(デンマークの王)に対して抵抗を続け、15世紀を通じてカルマル同盟内での衝突と混乱が続いたそうです。
次回、スウェーデン王として有名な「グスタヴ・ヴァーサ」の話へと入っていきます。
ということで、少し端折った部分もあるのですが、14~15世紀について簡単に見てきました。
前回の記事のあたりでは、少しだけ私の興味が少し薄らいでしまって進みが遅くなってしまったのですが、今回・次回の部分は時代の進みが早く、興味深い内容でした。歴史上の有名人がたくさん出てきます。
この辺の時代については、日本語の他のサイトに、もっと詳しい情報もたくさん出ています。
私も本来なら、もっとたくさん調べて情報を咀嚼してから書いた方が良いなと思いつつ、そこまでの時間がとれないので、番組で見たことをパパっと書きながら(適度に調べながら)書いていこうと思います!
次回の更新は明日・明後日あたりを予定しています。
