Ole Hjorthをしのぶコンサートの和訳②です。
今回はJonny Solingの思い出語り回です。
和訳①はこちら→Konsert till Ole Hjorths minne(Bror Hjorths Hus, 2022)の和訳①
動画
前回の続き(1曲目を演奏し終えたところ)から再生します。
(7:26~)
Jonny:ちょっとこれができるか、どうかな(※マイクが扱えるかどうか、マイクのスイッチがONにできたかどうか)。
(お客さんがちょっと笑う)
こうかな、たぶん。
ON(på)になっていますか?(とスタッフに聞く)
Mattias:もうちょっと高く持っていただければ。もっと口に近づけてもらえれば大丈夫ですよ。
Jonny:そしたら(マイクで)私が見えなくなっちゃうよ(笑)
(笑いが起きる)
ご紹介にあずかりました、私はJonny Solingと言います。Orsa(※地名。ダーラナ地方のオッシャ)から来ました。
人生のある期間に、ストックホルムのコンピューター会社の広報部長(※informationschef。違ってたらすみません)として働いていました。
それについては長い話になるので今日はお話ししませんが、働いている間に私は胃炎を患い、具合を悪くしていました。
それと同時期のこと。私はストックホルムのNorrtull(ノッルトゥッル※地名)のあたりのビルで働いていたのですが、その職場の7階の窓から外を眺めた時に、道行く人々の中にフィドルのケースを背負って歩く人々を見かけたのです。
彼らはBodenで買った服を着ていました。(※ここも違ってたらすみません。Bodenは服の会社です)
(笑いが起きる)
1960年代の終わりごろのことでした。
さて、その頃私はフィドル演奏のイロハ(ドレミ)を少しだけ自分で覚え始めようとしていて、Orsaの曲の録音も持っていました。
(※Jonnyは大人になってからフィドルを始めました)
楽譜も持っていました。楽譜は私は読めましたから。
でも耳コピーはできませんでした。耳コピ―ができる(絶対音感などの)人が一体どんな脳みそを持って生まれたのか、私にはさっぱり理解できませんでした。
耳で聞いて、演奏できるだなんて、と。
さて、ストックホルムにいた時、私は胃炎にかかったことに気がつきました。
そこで「仕事をやめよう」と思いました。
「この仕事が、この胃炎(胃痛)の原因だろう」と考えたからです。
私は思いました。
「(どうせ仕事をやめて時間ができるなら)フィドル演奏をもっと学びたい」と。
「それなら先生を見つけなくては」と。
何かを学びたいと思ったら、そうしていましたから。学校に行けば先生がいるわけですし。
ただその時は、どこかに良い先生がいるかどうか、私にはよくわかりませんでした。
私は周りの人に、何度も何度も何度も、(良い先生がいるかどうかを)訊ねてまわりました。
(すると周りの人は)「この辺には先生はいないよ、自分で練習して学びなよ」と。
でも私はとにかく、誰か先生が欲しかったんです。
そしたら、Björn Ståbi(ビョーン・ストービー※演奏家)のお父さんが、私が同じことを4度目くらいに訊ねた時に、こう教えてくれたんです。
「たしかBjörn(自分の息子)がよく一緒に弾いている人で、Ole Hjorthという人がいたな。彼に電話してみると良いかもしれない。彼は教育者としての訓練も受けているから」と。
そこで私はOle Hjorthに電話をしました。
しかし、彼は断って断って断り続けました。
彼は先生を引き受けなくて済むように、思いつく限りのすべてのことを話して(話題をそらして)いるようでした。
たとえば「あなたは何歳ですか?」とか。
私は当時20歳とか23歳とかそれくらいだったので、そう答えました。
すると彼は「そうか…。まあとにかく、私はあまり時間が無いから、できないなあ…」とかなんとか言いながら、電話を切ろうとします。
私は「切らないで(どこかへ行かないで)ください」と言うのですが、最終的には彼は私を諦めさせることに成功するのです。
そして、とある別の機会のことです。
私はワイヤーレコーダー(trådspelare 、導線式録音機)のワイヤー(レコーディングワイヤー)を見つけました。
カセットレコーダーが出回る以前は、この「ワイヤーレコーダー」というものがあったんです。
(※参考:Wikipedia「鋼線式磁気録音機」)
しかし私が見つけたOrsaの倉庫には、録音に使ったはずのワイヤーレコーダー(再生機器)は無くて、ただ2つの、録音済みのワイヤーがあっただけでした。
これは、1947年に新しく始められたOrsaのSpelmanslag(演奏家のサークルのようなもの)がラジオ放送で演奏した時の様子を録音したもので、Orsaのラジオ店で、録音されたものでした。
それ以来、そのワイヤーはOrsaの役所の倉庫に置きっぱなしになっていたのです。
私はそれらのワイヤーをストックホルムまで持って行き、ワイヤーレコーダーを1つ手に入れ、Dolby(ドルビー※日本でも有名なあの音響の会社)のものを色々たくさん使って(それらのワイヤーを)カセットテープに変換して、OrsaのSpelmanslagに渡しました。
(※カセットテープに「録音し直した」のかな?と思いますが)
彼ら(OrsaのSpelmanslagの人達)はそれで初めてその録音を聴いたそうです。
私は周囲の人にも訊ねてまわりました。
「そういうワイヤーを持っている人は他にもいるだろうか?」と。
(※ワイヤーが聞けなくて困っている人はいるだろうか?の意味)
周りの人は「いや、(ワイヤーレコーダーの文化は)もう廃れているから。いないんじゃないか」と言いました。
するとある時、どこかからこんな情報が耳に入ってきました。
「Ole Hjorthという人がいるんだけど、彼がワイヤーを持っているらしいよ」と。
(笑いが起きる)
それで私は思いました。
「さあ、きたぞ。
今こそあなたを逃さないぞ(絶対に先生になってもらうぞ)」と。
(笑いが起きる)
私はOleに電話をして言いました。
私「あなたはたくさんのワイヤーを持っているそうですね、Hjort Andersのオリジナルの録音を」
Ole「ああ、持っていますよ」
私「私はワイヤーレコーダーを持っていて、カセットテープに変換できます。もしよければあなたのワイヤーもカセットテープにしましょうか?」
Ole「いや、私もワイヤーレコーダーを持っているから大丈夫です」
私「そうなんですね…ちなみにどこに置いているんですか?」
Ole「屋根裏にある」
私「そうですか」
で、その時はそれ以上踏み込むことはできませんでしたが、気が変わった時のために私の電話番号だけ伝えて電話を終えました。
その2日後、とっても息を切らした男性(Ole)が電話をしてきました。
彼(Ole)は当時たくさんタバコを吸っていたのでね。
彼はその屋根裏にあった、おかしな物たち(ワイヤーのこと)を降ろしてきたところだったそうなんです。
それで、「このワイヤーレコードはどうやらもう動かないらしい」と気づいたそうなんです!
私は「そうか…そうなんですね…」と(残念そうなふりをしながら、でも本当は喜びながら)電話でOleに言いました。
(笑いが起きる)
Oleは「ちょっとうちに来て、機械を見てもらえませんか?」と言いました。
私たちはそれまでは実は会ったことが無かったのですが、私は彼の家まで行きました。
そこは芸術作品でいっぱいで、私の育った家(部屋)とは全く違いました。
私は床に腰を落ち着け、プラグを抜いたり入れたりして、機械を見てみて、そして言いました。
「Ole Hjorth、あなたは正しい。この機械(ワイヤーレコーダー)はもう動きません。
…さて、ではこれらのワイヤー(録音)をどうしますか?」とね。
その後、私は彼の家から自宅まで、こんなような(指を広げて見せる)ワイヤーが段ボール箱いっぱいに入ったものを2箱分、持ち帰ることになりました。
彼はそれらを私に預け、私はそれらをカセットテープに(録音し直し)しました。
初対面で、会ってからたったの20分ほどの間に、彼は私にそれら(大切な録音)すべてを任せてくれたのです。
この時のことを、私はOle Hjorthに後から何度も訊ねましたよ。
「よくあそこで私のことを信用してくれましたね?」と。
Oleは「まあ、そうだね…(曖昧な返事)」という感じでしたが。
私はそれらを無事に成し遂げ(カセットに録音し直し)、完成したカセットテープをOleに渡して、彼にこう言いました。
「もうお気づきかもしれませんが…。この仕事の対価として、私が欲しいと思っているものが何なのか、あなたならおわかりですよね?」と。
(笑いが起きる)
そうなるともう彼はレッスンを断ることはできませんでした。
そんな風にして、私はOle Hjorthからレッスンを受けるようになりました。
(続きは明日)
※ちなみに、Jonnyは25歳頃にフィドルを弾き始めたそうで、それ以前はクラリネットとサックスを演奏していたとのことです。参考:Wikipedia「Jonny Soling」
今日は曲までいきませんでした(笑)
Jonnyの話は最初に聴いた時は細かいところが少しわからなくて(初見だと大筋しかわからなくて)、コンサートのMCとしては長いし、私に訳せるだろうか…?と不安に思いましたが、一応大丈夫そうでした。良かったです。
(でも間違っている所などありましたらすみません。フィーリングで訳している所もあると思うので、私もまだまだです)
訳しながら、「この話すごく好きだな」と思いました。
何度も断られているのにめげない所が良いし、人間関係の築き方がアナログな感じで良いなと思いました。
現代だったら「とりあえずFacebookで繋がって…」とかそんな感じだと思いますが。
私はSNSが苦手で、SNSで繋がるのも苦手なので、そういうスマートな方法が出てこない、こういう話はなんか良いなと思いました。昔の話なのでSNSが出てこないのは当然ですが(笑)
明日の分からは曲の演奏が出てきますので、明日もお楽しみに。
お読みいただき、ありがとうございました。