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Konsert till Ole Hjorths minne(Bror Hjorths Hus, 2022)の和訳④

/ ニッケルハルパ奏者

今日は私はこの後コンサートがあるので、ドキドキです。

コンサートはコンサートで頑張りますが、ブログはブログで訳の記事を続けて載せていきたいと思います。

Ole Hjorthをしのぶコンサートの和訳④です。

①~③はこちら↓

Konsert till Ole Hjorths minne(Bror Hjorths Hus, 2022)の和訳①

Konsert till Ole Hjorths minne(Bror Hjorths Hus, 2022)の和訳②

Konsert till Ole Hjorths minne(Bror Hjorths Hus, 2022)の和訳③

動画

前回の続きから(22:40~)の再生です。

(Jonnyの演奏が終わり、Svenが入ってくる)

Joel(後ろで座っている眼鏡の人):二人とも、ここにマイクがありますよ。

Sven:そうでした。

Jonny、あなたが話すんですよ。

Jonny:え、私?何を話せば良いの?

(笑いが起きる)

Sven:いや、これからOrsaの曲を演奏するので。その紹介を。

Jonny:あ、そうだった。

(笑いが起きる)

(マイクで)どうやらOrsaの曲をさらにもう1曲弾くことになっているそうです。

(Jonny、何を弾くのか?という目でSvenを見つめる)

Sven:演奏する曲は、えっとあの曲…Systerpolska(システルポルスカ)ですよ(とJonnyに向かって言う)。

Jonny:(お客さんに向かって)次に演奏する曲は、OrsaのSysterpolskaです。

(笑いが起きる)

(マイクを置きながら)はは、いやあ、難しいですね…。

(Svenに向き直って)メロディを弾くのは私?

Sven:メロディを弾くのはあなたですよ、その通り。

Jonny:どの曲(どっちの曲)でしたっけ?

(Svenが出だしを弾いて伝える)

皆さん準備は良いですか?

※「Systerpolska」という名称は、「似ている曲同士(2曲とか)」のことをそれぞれSysterpolskaと言うそうです。以前もこちらの訳(「Bingsjölåtar i Uppland Erika/Robert/Örjan」(2022)コンサート和訳③)で別の曲の名前として出てきましたが。「Syster」は姉妹という意味があります。Jonnyが「どっちの曲?」と言ったのも、この曲ととても似ている他の曲がもう1曲あるからだと思います。もう1曲の方はおそらくこちらだと思います→https://youtu.be/MysddGAKBMM?si=IWwWiSchPvK1zTB7

⑤(23:23~)Systerpolska från Orsa(オッシャで伝わるシステルポルスカ)

(25:35~)

Sven:皆さんすでにおわかりの通り…、

マイクが入っていないかな、今入りましたね。

皆さんおわかりの通り、私たちはそれぞれ1人ずつ出てきて、順番にそれぞれのOle Hjorthに関する経験談を話していきます。

私はこのことから始めようと思いますが…

あの、これってすごく難しいことなんです。(Oleに関することを)まとめるというのが。

個人的な経験はたくさん、自分の中にありますが。

こんにちのスウェーデンにおける伝統音楽界の発展において、Ole Hjorthが果たした役割の意味を理解するのは、本当に難しいことです。

Ole Hjorthは伝統音楽の演奏家たちへの教育を行ってきました。

特に音大が、他の文系の教育機関に代わって音楽教育により力を注ぐように働きかけていった時期ですとか。

(※↑ここ、解釈が違っていたらすみません)

ですので、彼の人格に関わる話なんです。

また、ほとんどすべての(伝統音楽に関わる)人が、直接的であれ間接的であれ、ある種の、Oleに関わる経験をしています。

彼は教育者でした。

周りの人は彼のことをよく覚えています。

彼は非常にインスピレーションを与える人であり、とても明確で力強い先生でした。

ただし、それだけではありません。

父親のBror(こちらのアトリエの主)と一緒に、彼らはかなり前の(※伝統音楽のリバイバルなどが起こって伝統音楽が注目されるよりもかなり前の)1940~1950年代の頃にすでに、メダルを作って、素晴らしい演奏家の芸術性を称えたりしていました。これはとても大きな意味を持ちました。

また別のものとしては、Oleは周りの人にインスピレーション(影響)を与える人でした。彼はたとえばZornmärket(ソーンメルケ※スウェーデンの伝統音楽のとても有名なコンテスト)の委員をしたりしましたし、Gärdebylåten(という有名な伝統曲)を初めて、CDになるように見届けた人でもありましたから。たとえばね。

(笑いが起きる)

他にも色々とあります。

彼は様々な計画に働きかけていて(アクティブで)、たとえば(伝統音楽の)録音、動画や記録などの保存ですね。彼の先生であったHjort Andersに関するものだけではなく、他の演奏家たちであったりとか、録音をCDにしたり文書にして、彼よりも後の世代の演奏家たちにインスピレーションを与えました。

たとえばBingsjö(ビングフェー※ダーラナ地方の地域)の曲がそうだと言われています。

もしもOleが、こんな風に生きている伝統を残したいと思っていなかったなら、今と同じくらいたくさんの曲(色々なバリエーション、伝統など)は残されていなかったかもしれません。

(Oleの成し遂げたことは)他の演奏家たちにも刺激を与えました。

ということで、こういう話をし始めると何時間でも話せてしまうのですが(笑)

Jonny:やらないでくださいね(笑)

Sven:はい、やらないでおきます(笑)

(笑いが起きる)

では、私の個人的な経験をお話ししたいと思います。私がOleとどんな風にして出会ったのか。

私とOleとの出会いにも、実はStåbi(ストービー※名字)一家が関わっているんです。

(※JonnyがOle Hjorthのことを知ったのもStåbi一家が関係しています→和訳②参照)

私はOleときちんと会うよりも前に、Oleの演奏を少し聴いていたのですが、その時はあまりね…。

当時私は10代の少年で、Österbruk(ウステルビーブルーク※地名)のAnton Jernberg(アントン・ヤーンベリィ※演奏家)のもとで演奏を教わっていました。

ですので、そのタイプの音楽(Jernbergが伝えているようなタイプの音楽、伝統音楽)をレパートリーとして持っていました。

それで、Östervåla(ウステルヴォーラ※地名)でOleが演奏しているのを聴いて、とても「すごいなあ」と思いましたが、非常に「『芸術的な音楽』だなあ」という感想を持ちました。

それから数年後、私はBjörn Ståbi(ビョーン・ストービー※演奏家)に会いまして、彼は私にこう言ったのです。

「あなたはフィドルの演奏を誰か先生に教わった方が良い。フィドルを『本当に』演奏できる、もうちょっと良い先生に。私は1人良い人を知っているんだけど、Ole Hjorthという人だよ」と。

(Jonnyの方を向きながら)あなたの話と同じように(笑)(※→和訳②参照)

そのBjörn Ståbiのアドバイスのおかげで、私はOleの家に行くことになりました。

その数年後、私は新しく作られた、(伝統音楽の)演奏家のためのフィドル演奏のコース(最初のコース、ビギナーコース)に申し込みました。

そこで私はOleからも演奏を教わりました。

その時のレッスンは、クラシック音楽「だけ」だったんです。私が全く興味の無い。

私はOleに言いました。

「テクニック(技術)は学びたいけど、この音楽だけは勘弁してほしい(やりたくない/解放されたい)」と。

(笑いが起きる)

彼は私にこう教えました。

「テクニック(技術)というのは無いよ、あるのは音楽だけだ」と。

そして徐々に、おそらくあなた方2人(JonnyとJoel)と同じだと思いますが、彼のもとで6年間学んだ後、私たちは一緒に演奏することができるようになっていきました。

私は、彼の演奏にいつもインスピレーションをを受けてきました。

では、私たちが一緒に演奏していた曲を1曲演奏したいと思います。

小さなポルスカです。

※Svenの話は微妙に聴き取れていない部分があるかもしれないのですが、なんとなくこんな感じ、というのだけでもお伝えできればと思います。

⑥(30:24~)Vispolska efter Hjort Anders(ヨット・アンダーシュ伝承の歌のポルスカ)

(31:46~)

Sven:この曲はOleが先生のHjort Andersから教わった曲の1つです。

(続きは明日)


続きは明日です。

私の留学先の先生にJeanette Evanssonというフィドル奏者がいるのですが、彼女もまたAnton Jernbergからフィドルを教わっていて、JeanetteとSvenはよく2人でJernbergの曲を弾いていました。

Svenのことを初めて私が知ったのは、留学の授業中に見たビデオか動画です。

若かりし頃(18歳くらい)のSvenが、Jernbergや昔の演奏家たちと一緒に演奏している姿をビデオで見かけたのが最初だったと思います。

その若い頃のSvenの姿を最初に見ていたものですから、クラスメイトが音大の公開イベントでSvenに初めて会った時、「髪の毛が無くてびっくりした」と話していたのをよく覚えています(笑)

でもその音大のイベントのセッションで、そのクラスメイトがJeanetteに習ったJernbergの曲を弾いたら、Svenも一緒に弾いてくれだそうで。「とても優しかったよ」と(クラスメイトが)言っていました。

Svenの奥さんも有名な歌い手で、その人も留学先のイベントで来てくれたことがあります。

今回の部分もおもしろかったです。明日の分もお楽しみに。

お読みいただき、ありがとうございました。