峰村茜のホームページへようこそ!どうぞごゆっくりご覧ください。

楽器を大切にするということについて

/ ニッケルハルパ奏者

楽器を大切にするというのは、物理的に「楽器を大事に扱う」ということ以外にも、色々な意味を含んでいます。

今回は、「楽器を大切にするとはどういうことか」について、私の経験をまじえながら書いてみます。

誰も立ち止まらない演奏

私は過去に、商業施設でソロの演奏をしたことがあります。

30分×3回、入り口わきの通路で。マイクはありません。

報酬の発生しないお仕事で、往復1000円の交通費は自腹。民族衣装を持って、1時間以上かけて電車で行く場所でした。

その時は演奏させてもらえるのがありがたいと思っていて、月に1日くらいのペースで何日間かやり、最初はたくさんの人にお聴きいただけたのですが、

だんだんとその数は少なくなっていき、

最終的には、30分×3回、その日一日ほとんど誰も立ち止まらなくなってしまいました。

自分でもびっくりしました。

こんなに素晴らしい楽器と音楽なのに。

ガーン。

私の腕前の不足とか、町の皆さんが忙しかったのだとか、誰も立ち止まっていないから立ち止まりにくかったとか、色々な理由はあるかもしれないけど、その時に思いました。

誰も悪くない、お店のスタッフさんも、もちろん通り過ぎて行ったお客さんも。

でも、このやり方ではダメだ。

演奏する環境と雰囲気は、私自身がちゃんと選んで、作っていかないと。

そうじゃないと、スウェーデンからわざわざやってきたこの楽器と音楽に、私は、申し訳が立たない。

大切にされなくても良い、という信号を自ら発していた

その日はもちろん悔しくて家で泣きましたが、それ以上に、私は楽器に対して、なんて失礼なことをしていたんだろうと思いました。

人に聴かれないための音楽なんて無いのに。

ざわざわしたところで、マイクも無しに、「聴かれない」ことを前提に演奏するなんて、私が間違っていた。

そんなことを続ければ、いつしか「聴かれない」ことが当たり前になります。

「この音楽は大切に聴かなくても良いんだ」という信号を、私自身が発することになるのだと知りました。

ニッケルハルパよ、スウェーデンの伝統音楽よ、ごめん。

「演奏させてもらえるだけでありがたい」って思ってたけど、違った。

やっぱり、この楽器に興味を持って、大切に聴いてくれる人達の前で、私はニッケルハルパを演奏したい。

“聴かれなくても、興味を持たれなくても、踏ん張る”。

そういうハングリー精神をカッコいいと思っていたけど、そんな自己満足のカッコよさなんてどうでも良かったのです。

私はこの楽器と音楽が輝ける場所を、「選ばないといけない」と思いました。

弾ければなんでも良い、じゃなかったんです。

「人通りの多いところで弾いて楽器の知名度を上げる」ことや「とにかく人前で演奏する機会を増やす」よりも、私はこの楽器を、「大切に」しなくちゃいけない。

「大切な楽器だ」という信号を、発しないといけない。

この楽器とこの音楽を、大切に思ってくれる人のもとへ、届けることをしないといけない。

どうせ頑張るなら、そのために頑張るんだ。

大切にされて初めて気づく。楽器も自分も。苦手な人との距離感

このことに気づけたのは、楽器も音楽も大切に思ってくれる人たちに、たくさん出会うことができたからです。

今までの演奏でお会いしたたくさんの方々。

大切に聴いていただいて、初めて、「ああ、あの時のあの状況は、やっぱり私のやり方が間違っていたんだ」と知りました。

そして、楽器だけではなくて自分自身のこともそうです。

話がそれますが、私、ちょっと苦手な人がいました。

その人は、仕事の連絡に基本、返信をしません。私だけでなく他の人からの連絡にも。

気が向いた時だけ返信してくれますが。

私はその人のことが心の中で全然信頼できない一方で、そういう行動(気が向いた時だけ返信する)をとられると、なんだかつい「機嫌を損ねないように」と思ってしまい、

気を使って連絡係のようなことをやり、自分が雑用をやることが当たり前のようになりました。

実際に会う時にも、その人が気持ちよく仕事ができるように自分を合わせて、緊張して委縮しました。おなか痛いなあ、って感じです。

それが最近、「ああ、あの人のあの行動、私は当たり前のように我慢していたけど、普通に考えれば相手が怠慢なだけだったかも」と急に気づきました。

むしろどうして今まで気づかなかったんだろう、と思います。

その人とのコミュニケーションが「上手くとれない」と感じていたのも、緊張するのも、「私が悪いのではないか」と思い込んで勝手に振り回されていたのですが、それは違った、と気づきました。

ただそういうスタイルの人(仕事の優先順位が低い人)なんだ、と気づきました。もしくはとても忙しいか。

そう気づいたら肩の荷がおりました。

そう気づけたのも、自分が演奏する音楽を大切に聴いてくれる人達や、一緒に良いものを作りあげようとしてくれる人達と、出会えたからだと思いました。

楽器も自分も一緒です。

気づけるようになったら、その「苦手な人」との距離が遠くなり、いい意味で「どうでも良い人」へ変わりました。

楽器を大切にする努力

話がそれましたが、楽器を大切にするというのは、この楽器が輝ける環境を選んで、周りの人と一緒に作って、演奏するということです。

この楽器と音楽を楽しんでくれる人に届けるために、周りの人と協力して、創意工夫をこらすことです。

「力のある人は、どこでも演奏できる、場所なんて選ばない」のだと、私は思っていましたが、違いました。

力のある人こそ、音楽を届ける環境に本当に力を入れて、周りの人に多少「わがまま」と思われてもいいからその場のベストを尽くして、最後にはお客さんに笑顔を届けるのだと、最近知りました。

お客さんに笑顔を届けるためには、やっぱりこの楽器と音楽に、輝いてもらわないと。

そのためには、私自身も楽しめるような環境作りと、楽しんでくれる人達とのつながりと、そして、楽しんでもらうための努力をしなくちゃいけない。

「楽器を大切にする」というのは、私の中ではそういうことを意味するようになりました。

今まではわがままに思われるのが嫌で、自分の意見を言えない時も多かったです。

別に「言えない空気」があったわけではなくて、本当は言えば良いのに、私に言う勇気が無かっただけです。

でも、わがままに思われることよりも、「お客さんに何を体験してもらうか」の方が大事だと思うようになりました。

演奏する環境は行ってみないとわからないことも多いし、そこで一緒に場を作り上げる人たちの熱意によっても、会場の雰囲気はがらりと変わります。

自分一人ではコントロールできることなんてほとんど無いかもしれません。

それでも、その日・その場所で、何か自分ができることがあるはずです。

考えろ考えろ。あきらめるな。必要な時は周りの人に助けを求めろ。

人の輪の力は絶大です。一人で抱え込むより周囲の協力をあおぐんだ。

厳しい状況の中でも、せめて一歩進めるように、何か工夫しよう。

それでもうまくいかなかったら、帰ってから泣いて、次にいかそう。

そう決意しました。


以上、「楽器を大切にすること」について書きました。

こういう内容は、ともすると誰かを批判する内容になってしまうので、書くのがなかなか難しいです。

それでも、ブログを誠実に書き続けることが大事だと思いました。

お読みいただき、ありがとうございました。