スウェーデンのTV番組「Så byggdes Sverige」(スウェーデンの町や住宅のここ100年間の歴史を振り返る番組。全8回)を見て、知ったことや感じたことを地道に書いていっています!
今回は5回目「理想の住まい」です。
★1~4回目についてはこちら↓
スウェーデンの一軒家(Så byggdes Sverigeを見て①)
スウェーデンの都市部の発展(Så byggdes Sverigeを見て②)
スウェーデンの工業地域/産業都市について(Så byggdes Sverigeを見て③)
スウェーデンの田舎(Så byggdes Sverigeを見て④)
5.Drömlyan(理想の住まい)
「dröm(ドルム)=夢」「lyan(リーアン)=家、住まい」ですね。
「理想の住まい」というタイトルですが、全体の内容を要約すると、
- 「1920年代にはまだ住宅の水準がかなり低かった(ヨーロッパの中でも最低ランクだった)スウェーデンが、今のような(世界的にも高い)水準になるに至った過程」
- 「都市部の住宅事情」
この2つに焦点が当てられていました。
都市部については、すでに番組2回目で扱われていましたが、2回目の方は「高層ビル(スカイスクレイパー)」が中心として取り上げられていたので、「都市部の住宅事情」としては今回の方がより詳しく語られています。
では、見てみましょう。
1920年代の都市部ー住宅不足、低い水準
1920年代、スウェーデンの都市部は深刻な住宅不足だったそうです。
(※これは、人が大量に押しよせていたというのもあるかもしれませんが、私の印象としては、「そもそもの建築技術が追い付いていなくて建物自体がきちんと建てられていない」がゆえの住宅不足もあったのかなと感じています)
家賃は高く、住めたとしても、せまい場所に人が押し込められている状態。
衛生管理も悪く、ホームレスもいました。
それでも町に住みたいなら、少し郊外の方に簡易的な住まいを作るか、体育館に仕切りを作って(ネットカフェのような感じで)住むくらいしかありませんでした。
Kvarteret Färjanー普通の人々が普通の給料で住めるハイスタンダードな住宅の建設(1930年)
さて、そんな折、1923年にHSB(ホー・エス・べー)という、スウェーデン最古の住宅共同組合ができます。
そして、そのHSBが建設して1930年に完成したのが、Kvarteret Färjan(キュヴァテーレット・フェリヤン)という集合住宅(マンション)です!
「HSBが建設した」と書きましたが、設計したのは建築家Sven Wallander(スヴェン・ヴァランデル、1890-1968)。彼は番組2回目のKungstornen(古いツインタワー)を設計した人で、アメリカのニューヨークに行って、様々な高層ビルやマンションの工夫などを視察していました。
フェリヤンは、約484世帯が住めるマンションで、当時のスカンジナビアとしては最大だったそうです。
建物がぐるりと、中庭を取り囲むように建てられていて、外の通りから見ると白い外壁ですが、中庭に入ると内側の外壁はすべてレンガ色(オレンジ色)。
「中庭を取り囲むタイプ」のマンションはスウェーデンではよくあるのですが、フェリヤンの特徴は「中庭がとても明るくて開放的」であったことでした。
当時の他のマンションの中庭は、基本的には「暗く」、「裏庭」という感じの所が多かったそうで、フェリヤンのこの「明るい中庭」「人々が集う場所としての中庭」という発想は画期的だったそうです。
フェリヤンの工夫① 新しい技術の導入ー洗濯室、ダストシュートなど。お風呂とトイレが各戸に。
フェリヤンのコンセプトは、さきほども書いた通り、お金持ちだけではなく「全ての人々に」「より良い」しかも「安い」住宅を提供することで、様々なモダンなテクニックを取り入れて建設されました。
たとえば、「セントラル・ヒーティング」。
今ではスカンジナビアの国々では当たり前に存在しているセントラルヒーティングのシステムをいち早く取り入れました。機械工が朝の5時くらいから石炭を燃やし、その熱を各家庭に送ることで暖かさを提供していました。
その他にも、「共同洗濯室」(tvättstugan)。
スウェーデンでは、私が留学していたルンド大学の学生寮も含めて、集合住宅の地下室に「共同の洗濯室」があることが結構一般的です。
(洗濯機や乾燥機が地下室にたくさん並んでいて、そこをシェアして使います)
1930年当時は「洗濯機も見たことが無い」という人が多かったので、「洗濯機が服を食べてしまうんじゃないか」とか言われたそうで、洗濯機の使い方をレクチャーするところから始められたそうです。
そして、「ダストシュート」(sopnedkastet)。
これは今では使われていない場合も多いかもしれませんが、「ゴミを投入口から投入すると、パイプを通ってゴミ収集所へと集められる」というシステムです。アメリカのものをヒントにしたそうで、日本でも一時期流行しました。
他にも「電気冷蔵庫」「ステンレスのキッチンボード」「工場生産のキッチン」など。
また、「お風呂(お湯の出るもの)やトイレが各戸に備え付けられている」というのも非常に画期的だったそうです。
フェリヤンの工夫② 保育所の設置ー社会民主労働者党→住宅建設が国や都市による事業へ
さらに、フェリヤンには「保育所」(Barnkrubbor)も設置されました。これは今で言う幼稚園(保育園)(dagis)の先駆けのようなものだそうです。
私が政治に詳しくないので理解が合っているか自信がありませんが、当時は社会民主労働者党(Socialdemokraterna)が非常に強く、なかでも、社会民主労働者党を支持するAlva Myrdal(アルヴァ・ミールダール)という女性が、「子どもの生活環境の重要性」や「教育」について強く語ったことで、「子どもを中心とした、より良い住宅を作る」という考え方が広く支持され始めた時代だったそうです。
そして、住宅の建設に対して政治が動き、国や都市が中心となって、住宅建設事業が推し進められることとなりました(1940年頃~)。
古い建物の取り壊し。リフォーム禁止によるスラム化
一方で、同時期に進められたのが、「再開発のための、都市部の古い建物(特に小さい一軒家など)の取り壊し」でした。
ただ取り壊すだけでなく、「どうせ取り壊すのだから」ということで、古い建物の「リフォーム」や「建て替え」すらも禁止されてしまったそうです。
それにより、古い建物の老朽化が一気に進み、1960~70年代にかけてはそういった建物の価値もクオリティも低くなり、スラム化してしまったところもあったそうです。
番組では、マルメのかつての地域Lugnet(ルグネット)という所が取り上げられていました。今では再開発されて別のマンションなどが建っているエリアです。
1970年代ー取り壊された地域がそのまま、都市部から人が消える、都市部は人がよりつかない
1970年代、古い建物はたくさん取り壊されたものの、当時はまだその土地を何に使うか具体的なことが決まっていなかったり、建設が追い付いていなかったりして、ただ取り壊されただけの状態でしばらく放置されていました。
人々は都市部から離れ、いつしか郊外へ移り住むようになりました。
1970年代終わりごろには、ストックホルムには人はほとんど住んでおらず、お店にはひと気がなく、あまり子どもにも近寄らせたくない都市になっていました。
1980年代ー取り壊しが終わる、価値観の変革、都市部に活気が戻ってくる
それが、1980年代になるとまた変化が起きます。
建物の取り壊しもおわり、人々がまた都市部に移り住んでくるようになりました。
時代は、社会民主主義から資本主義へ。
若者たちの価値観も大きく変わり、ストックホルムの家賃や土地の相場も8倍~10倍くらいへと跳ね上がったそうです。
1990年頃には、1940年から続いた国や都市主導の住宅建設事業が幕を下ろし始めます。
1995年、スウェーデンがEUに加盟したことで社会のルールが少し変わるなど、その後も様々な変化が起きました。
たとえば、造船業をしていた会社(工場?)が次第になくなり始めたことで、海辺や水辺に住居が作られるようになったり。
その結果、海辺や水辺が「人々の集まる場所」や「休日に家族や友達どうしで楽しく過ごす場所」になりました。
そして、今ではスウェーデンの人々の暮らしは世界でもトップクラスの生活水準になっています。
ヨーロッパいちひどい生活水準でお風呂もトイレもなく清潔さも無かった時代から、わずか90年ほどで、スウェーデンの人々の暮らしというのは大きく変わりました。
番組の最後は、将来の予測で終わっていて、「これからはよりミニマルに、よりシェアの形を有効活用して、環境に配慮した暮らしに注目が集まるのではないか…」という話などで終わっていました。
と、こんな感じの回でした。
この回は全体の流れを把握するのに時間がかかってしまって、1回ではわからなかったので、結局3回くらい見てしまいました(それでブログを書くのをお休みにしていました)。
ただ、3回見て理解が深まると、とても「なるほど~」と思えて、良かったです。
やっぱり、1950~1970年代くらいでかなり色々なことが起きているみたいですね。ニッケルハルパ的には、この時代がちょうどニッケルハルパが少し廃れかけていた+また復興させていった時代くらいかな?と思いますが。(伝統音楽ブームもありましたし)
近代史って、自分の生きている時代と近すぎて把握するのが難しかったりするのですが、こうやって学んでみるとまたおもしろいなと思います。
では、また今度時間ができた時に、続きを書いていきたいと思います。
