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「理想の追求」がいつしか「自己否定」になってしまったら。

/ スウェーデンの民族楽器「ニッケルハルパ」奏者
経歴

昨日、「あまり研究熱心になりすぎないのも大事だ」と書きました。

上手くなりたい、もっと楽しく弾きたい、もっとカッコよく弾きたい、もっときれいに響かせたい。

こう思うこと自体は全く悪いことではなく、むしろ良いことなのですが(「こうなりたい」と思うのはとても大事)、この思いが執着となり、「こうなりたい」という希望がいつの間にか「こうでなければならない」という足かせになると、どこかの時点で行き過ぎた自己否定が始まります。

こんな音ではダメだ、こんな弾き方ではダメだ、もっとこうでなくちゃダメだ。

自己否定して頑張って、それで一時的に演奏が良くなることもあるかもしれませんが、それは長続きしません。

いつかどこかで燃料切れになります。

すると、弾きたくなくなってしまいます。本当は弾きたいのに。


そんな時にどうするかというと、まずは「今の自分は研究熱心になりすぎている」ということを自覚すると良いです。

何かを変えなくて良いので、「今の自分はかなり追いつめられているな」「そんなに頑張りたいんだな」、というのを認めます。追いつめられるくらい頑張りたいというのは、何も悪いことではありません。

そのうえで、なんでそんなに頑張りたいのかも考えてみると良いと思います。おそらくこんな答えが出てくると思います。「そんなにこの曲が好きなんだな」「そんなにこの音楽が好きなんだな」「そんなに何かを伝えたいんだな」など。

それが他人の目を意識した理由であったり、何か不純に思えるような動機であっても、全く構いません。いずれにせよ、そこには必ず自分が音楽をやる何かしらポジティブな理由が含まれているはずです。もしも音楽が死ぬほど嫌いなら、そこまで頑張ることはできないので。

そこまで好きになれるのって、奇跡じゃないですか?

好きな音楽のことだけ考えているとピンとこないかもしれませんが、例えば同じ音楽を聴いても「全く何も感じない」という人もたくさんいます。「好きな曲ももちろんあるけど、ジャンルによってはどの曲も子守唄でしかないなー」とか。それはそれで良くて、そんな中で自分がそんなに何かの曲や音楽や楽器を好きだというのは、奇跡じゃないかと私は思うんです。それがどんなに有名な曲であっても、「それを好きな自分」は「何万人のうちの一人」ではなく、そこには「曲と自分だけ」がいます。ポップスだろうと民族音楽だろうと一緒です。

自己否定してまで理想に向けて頑張る人の気持ちが私は非常によくわかるし、そういう状態の人に「頑張るな」と言ってもあまり意味が無いことが多いかなと思います。だって頑張りたいから。

頑張るのをやめる必要ありません。ただそこで、今の自分の立ち位置を、どうか地獄の奥底みたいに思わないでくれたら良いなと思います。

好きな音楽なら、どちらかというとむしろ天国の入口じゃないでしょうか。天国も地獄もまだいきたくないですが。


「今の自分は頑張りすぎてる、だから休もう」でも、「今の自分は頑張りすぎてる、でももう少しやりたい」でも。自分の状況を今一度見つめ直すのは大切かなーとよく思っています。自覚するだけで、状況が変わります。どうにかしようと思わなくて良いです。ただ、気づく。

あとまあ他にできることといえば、息抜きと、それからできればかなり能天気(つまりおバカ)になって自分や自分の演奏をとにかく大好きになる(ウソでも良いから誉めまくる)ことができたら最強です。これもおすすめです。


ちなみに私はといえば、あまり「頑張って演奏」や「頑張って練習」したくないなと思います。結構やってしまいますが。頑張るよりも、楽に自然に楽しく演奏したいです。干したばかりの布団に転がる時のようにリラックスしてほんわかした気持ちで、楽器を信頼して安心して弾きたいです。

156曲目は「Mormors brudpolska efter Vilhelm Hedlund」です。

今日もお読みいただき、ありがとうございます!

 



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