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「自分が相手に合わせれば良い」という発想は少し違うかも~相手を信頼し、自分は自分の演奏をする~

/ スウェーデンの民族楽器「ニッケルハルパ」奏者

他の人と一緒に演奏する時に、「相手と合わせよう」と思い過ぎるのも良くないな、と実感しています。

もちろん、周りに一切合わせず自分一人で突っ走るのもダメですが。

私はどちらかというと、自分だけで突っ走ることよりも、「合わせようと思いすぎて崩れる」傾向の方が強いです。

このことについて、今日は書いていきます。

相手が合わせようとしているのは「相手に合わせようとしている自分」で、自分が合わせようとしているのは「自分に合わせようとしてくれている相手」かも

相手と合わせよう、合わせよう、と思って演奏する。

それ自体は良いと思うのですが、そういう時に、相手もまた、実は自分に合わせようとしてくれている、ということがよくあります。

結果、お互いにとってちょうど良いところで演奏できれば良いのですが、そうはならない時があります。

お互いに、「自分に合わせようとしてくれている相手」を見て、それを相手の演奏の仕方だと勘違いし、それに合わせようとしてしまう、ということです。ややこしいですが。

AさんとBさんで考えてみます。

Aさんは、Bさんと一緒に演奏しながら、「Bさんはこういう演奏をするのか。よし、Bさんに合わせよう」と思い、普段の自分の演奏とは少し違う演奏の仕方をし始めました。

同時にBさんもまた、Aさんと一緒に演奏しながら、「Aさんはこういう演奏をするのか。よし、Aさんに合わせよう」と思い、普段の自分の演奏とは違う演奏の仕方をし始めました。

すると、お互いに、相手に合わせようとして普段の自分の演奏とは少し違う演奏の仕方をし合い、しかもそんな自分に、相手がさらに合わせようとする、というループが起きます。

もちろん、このような事態が起きない場合もあるかもしれません。

でも、少なくとも私は経験しました。

自分が相手に合わせればそれでおしまい、ではない

「自分が相手に合わせればそれでOK」ではないんだな、と私はこの出来事を通じて思いました。

相手も自分に合わせてくれている。

私はそれまで、「相手も自分に合わせてくれている」ということはつまり、「相手が合わせてくれているのだから、自分も相手に合わせなければ」ということだと思っていました。

お互いに歩み寄る、というような発想です。

しかし、それだとお互いの中間地点ではなく、お互いに全く行きたくない明後日の方向に行ってしまう可能性も出てくるのだ、と知りました。

「相手も自分に合わせてくれるのだから、自分も相手に合わせる」は当然として、「お互いに合わせようと思えるのだから、自分は自分で自分の演奏をした方が良い」ということを、実感したのです。

自分は自分の演奏をし、かつ相手の音も聴く。必ずしも最初から、やることなすこと全てを揃えなくても良いのだ、と思っています。

揃えようとしすぎて、かえって共倒れになることもあるのです。

(ちなみに、私がこれを特に感じたのは、演奏のテンポや音を出すスピードに関してです。「相手がゆっくりだから(少なくとも自分にはゆっくりに聴こえるから)」ということで自分もゆっくりにすると、相手には、自分の音がよりゆっくりに聴こえて、相手もますますゆっくりにしてしまう、すると自分もよりゆっくりに…という悪循環が起きるのだな、と実感した時がありました。これだとお互いにやりにくいですよね)

相手を対等に捉えて信頼する

お互いに、合わせようとすることができるのだから、自分は自分の演奏をする。(もちろん部分的な調整は必要ですが)

これは、相手を信頼する、ということでもあります。

自分が相手に合わせれば良い、という自己犠牲的な発想は、ある意味、少しおごった見方をしているのかもしれないなと気付きました。

「自分なら相手に合わせられる」という。

でも、相手にも、合わせる能力があるのです。当たり前ですが。

相手がもしも小さい子供で、できないことがたくさんあるなら、相手に合わせて自分が変わるということが必要になるでしょう。

でも相手にも自分と同じか、自分以上に、臨機応変な対応力があると思えるなら、相手の能力を信頼して自分は自分の演奏をしっかりとする方が、良いのかもしれないと思っています。

また、演奏に限りませんが、「相手をフォローしよう」という発想もある意味、同じかもしれません。

フォローしようと思っている時点で、対等には見ていないのかもしれません。

(もちろん内容によりますが。フォローが必要とされる場合も多々あるので)

合わせよう、フォローしようという気持ち自体は一切悪いものではありませんが、場合によっては、そこを一段乗り越えて、相手を対等に捉えて信頼することが必要かもしれません。

お互いのために。

これは、自分を相手より下げて見ている場合も同じだと思います(つまり、「自分の方ができていないから合わせなくちゃ」という下からの発想も同じということ)。

私は今まで、演奏に限らず色々な場面で、「自分に余裕がある時は周りをフォローしなければ」と、半ば強迫観念のように思ってきました。

しかし、それが必要とされる場面と、そうでない場面とがあるのかもしれません。

必要なのか、そうでないのか。あらためて意識してみた方が良いかもな、と思っています。


他の人と一緒に演奏する際、「相手と合わせよう」と思うのは、決して悪いことではありません。

ただし、自分だけが相手に合わせているつもりになったり、自分のやり方で相手に合わせてうまくいかせようとするだけでなく、相手もまた自分に合わせようとしてくれていることに気がつき、かつ、その相手を信頼できることもまた、重要なのだと思います。

自分が我慢すれば良いとか、自分が変われば良いという発想だけでは、誰かとの共同作業もまた、自己完結で終わってしまう気がします。私はやりがちですが。

そういうことを考えながら、また練習していきたいと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。