峰村茜のホームページへようこそ!どうぞごゆっくりご覧ください。

「認めてもらう」ために何かをするのはやはり少し違う、と再確認しました。

/ スウェーデンの民族楽器「ニッケルハルパ」奏者

ここ数日携帯電話が壊れた旨を書いていましたが、無事に新しいものになりました!

バックアップは取れていたものと取れていないものとがあったのですが、取れていないものは仕方がないので諦めます…。ただ、大部分は(画像や、留学中に撮った先生の動画などは)大丈夫でした。LINEも、トーク履歴は残っていませんが、アカウントはそのまま引き継げたのでひと安心しました。

お騒がせして申し訳ありませんでした。

新しい携帯電話は、今まで以上に大事に使おうと思いました!


最近、知り合いの方に「もしかしたら(演奏関係で)こういう誘いがくるかも」というようなありがたい話を聞きました(コンサートとかではないのですが)。

ただそれも「また聞き」のような感じで、実際そのお話がくるのかどうかよくわかりません。こないかもしれません。

それはどちらでも良いのですが、私がとても印象的だと思ったのは、そのお話を聞いた時の自分のリアクションです。

「え、私で良いのかな。ちゃんと認めてもらえるのかな。どういうものを望んでいるのだろう。今のやり方じゃダメなんじゃないか。もっとそれ用に変えなくちゃ」

と、ここですごく違和感がありました。

今までも一生懸命やってきて、今の自分のやり方も今の私にできる精一杯のことをやっていて、それなのに「今のじゃダメだ。変えなきゃ」と思ってしまうのは何故なんだろう。

相手がどういうものを望んでいるのかを考えること自体は良いのですが、それによって相手を喜ばせたいという思いよりも、「それができないことで相手に自分が認めてもらえないのではないか」という怖れの方を強く感じてしまっているのも、何故なんだろう。

「相手を喜ばせるために」相手の望むものを、自分にできる範囲で提供するのは良いのですが、「認めてもらいたくて普段の自分の(今の自分なりの精一杯の)やり方を変える」というのはなんか違うな、と思いました。

認めるか認めないかは相手次第で、それは私が考えることではありません。それにそもそもよく知らない相手なら、望むものがなんなのかはコミュニケーションを取ってからでないとわかりません。

つまり結論を言うと、「認めてもらいたいという理由で相手に合わせる必要は全く無し」です。

普段の自分のやり方で、今できる精一杯のことをするのが一番良い、と思います。そこでもし相手の望むものがわかり、かつそれが自分にできるであり自分もやりたいと思うならば、誠意をもって取り組めば良いのですが、「認めてもらう」ためだけに普段の自分の方法を否定するのは、すごくもったいないことだと思いました。

(「お客さんに喜んでもらいたい」という思いで何かをするのと、「目上の人に良く思われたくて」何かをするのとでは、全然違いますよね)

誠意をもって、謙虚に楽しく。自分自身がまず楽しむこと。それを大事にしたいなと思っています。そのうえで何かお話を頂けるのであればありがたく感謝し、なくても、機会を自分で作り出していけば良いのだと感じます。

動画(曲)はKongeroの「Maijas」です!私がよく聴く「KOM」というアルバムの1曲目です。このアルバムはとても好きなアルバムの一つです。

私の動画は253曲目「Polska efter Spel-Erik」です!

今日もお読みいただき、ありがとうございました!