峰村茜のホームページへようこそ!どうぞごゆっくりご覧ください。

ダメ出しすると余計に書けなくなるから、ただ素直な気持ちをブログに書けば良い。

/ スウェーデンの民族楽器「ニッケルハルパ」奏者

ブログを書いていると、自分がいかに「(自分の思いこむ)常識」みたいなものに縛られているかを実感します。

これは書いても良い、これを書くのは微妙、これは書いてはダメ、など。

個人情報などの本当に書いてはダメなものはダメですし書きませんが、それとは別に、どうでも良いような内容を書くのにも結構ためらったり自分でダメ出ししたりします。

ダメ出しすればするほど何を書けば良いかわからなくなります。

どなたが読んでくれているのかもわからないのに、読んでくれている方々の期待に応えようとしてしまうのですが、まあ結局その期待が何なのかわからないのと私自身が気まぐれなのとで、いつの間にか、最初に書こうとしていたこととは全然違うことを書いたりします笑。

なんか、結局その方が良いような気がするんです。


私は小学生の頃から、自分が少し変わっているのではないかと思っていました。

周りとあまり話が合わないし、休み時間は本ばかり読んでいるし。

休み時間に外で遊ばないのを担任の先生に軽く注意されたこともありましたが、一緒に遊ぶ人もいないし本が読みたかったので、仕方なく(ため息をつきながら…笑)学校を一周してまた教室に戻ってきて(先生がいないのを確認して)読書を再開したりしていました。

私史上、友達の数が最多だったのは保育園に通っていた頃で、あの頃は何も考えずに友達と接していました。

小学校にあがる前、保育園の先生に「もうすぐ小学生になるね。先生の言うことをちゃんと聞くんだよ」と言われたので、小学校に行ったらちゃんと先生の言うことを聞くようにしていました。すると、ちゃんと聞いていたのが私だけだった、ということが何度かあり、いつの間にかクラスで一番になっていたり、周りから「すごい」と言われて、びっくりしたことを覚えています。

自慢ではなく、単純にびっくりしました。すごいと言われるようなことはしていないのに。

正直、当時は若干ひきました(すみません)。

グループで発表する時などに、私が他の人の分までつい無自覚にやってしまうということがあり、グループ全体で先生に注意されたこともありました。周りの子が私に押し付けてさぼっているように見えたのかもしれませんが、私はその時は押し付けられたのではなく、「これぐらいやるのが普通だ」と思ってやっただけでした。それが「やりすぎ」だったようなのですが。

私はつい何事もやりすぎてしまいます。最近はその自覚が出てきたので、一応気をつけるようにしています。


一方で、やりすぎること自体は本当は悪いことではないのだとも思います。

比較の問題なので、たまたま私がその時属していた集団では「やりすぎ」認定されていただけで、別の場所に行ったら普通なんだろうな、と思います。

やりすぎることを怖れて、何かに真剣になれない(真剣になってしまったら「出る杭」となって打たれる、と思い込んでいるので、真剣になるのを怖れてしまう)ことは、自分の力や可能性を頭打ちにすることだと思います。

やりすぎて失敗だと思ったら調節していけば良い。


ブログも、なぜかいつも「書きすぎだ、ダメだ」と思ってしまうのですが(本当にいつも思います)、削る部分も無いし、私よりも長いブログをたくさん書いている人もいるし(私もそういうのを読むし)、本当はそんなの気にしなくて良いのだと思います。

何を書くかも、ダメ出しせずに素直に書いてしまえば良い。人と比べて変わっていても良いし、変わっていなくても良い。

私、初対面の人の前とかだと自分の感情がわからなくなる時があるのですが(あとから本音がわかる)、それも「この人に対して何を言うべきか」みたいなものにとらわれているからなのだろうなと思います。

何も考えずに話すのが良いとは思いませんが(なんだかんだ言って、口は災いのもとでもある)、自然体で素直に人と接せられたら、とても楽だろうなと思います。自分を押し殺さず、かといって独りよがりにもならず、普通に。

飾った付き合いは疲れてしまうので、まずは自分から、素直に話す(書く)練習中です。