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【演奏しました】世田谷美術館の演奏報告更新と、スウェーデン民族音楽について思ったこと

/ スウェーデンの民族楽器「ニッケルハルパ」奏者

8月23日(日)に世田谷美術館にて、レソノトリオの3人で演奏させて頂きました。

演奏情報のページで演奏報告を載せていますので、演奏に関しましてはそちらをぜひご覧ください。動画もあります!

2020.8.23(日)世田谷美術館で演奏しました! byレソノトリオ


~レソノトリオについて~

レソノトリオは、私がいつもお世話になっている「ちょっと変わった北欧音楽スタジオ、レソノサウンド」の講師陣で構成された3人組のユニットです。私が参加するのは今回が初めてですが、レソノトリオでの活動は以前から行っています。

メンバーはニッケルハルパの水野美香子さん、コントラバス(今回はギター)の笠原楓奏さん、と私です。

3人のアンサンブルでスウェーデン民族音楽を演奏しています。ニッケルハルパと弦楽器のみの組み合わせというのは、スウェーデンではとてもポピュラーな組み合わせです(コントラバスはあまり見かけず、フィドルやギター、チェロなどが多いです)。

 

~スウェーデン民族音楽の伝統について~

スウェーデン民族音楽はもともとソロで演奏されることも多く、メロディだけで成立する音楽です。その上で2人や3人でのアレンジをすると、少し現代的な香りを漂わせることができます。初めて聴く人にもとっつきやすく、アレンジの仕方次第で曲の雰囲気も変わります。

スウェーデン民族音楽は伝統的なものでもありますが、権威や正統性を重視した伝統とは少し意味合いが異なります。「人から人へ古くから伝えられてきたもの」という意味での伝統(伝承)です。そのため伝えられてきたものをそのまま残すことが音楽演奏の目的ではなく、伝えられてきたものの良さを楽しむことで結果的に残っていくもの。それがスウェーデン民族音楽の伝統なのだと私は思っています。だからこそ変化していく部分もあり、現代の私達が「伝統」だと思っているものも、昔は「新しい」と捉えられていたこともあるんです。

今回のレソノトリオのような編成で演奏すると、現代的な香りを漂わせることができる、と私は書きました。しかしその演奏は「伝統的な演奏や奏法」と正反対のところに位置しているものでは決してなく、あくまでも同じ線の上で、過去と未来に位置しているだけという気がします。あとはそれを演奏する側の気持ちの問題というか、どこを目指していくのかだと思うし、それは道のりは違くとも結果的には似たところを目指すことになるような気が私はしています。

アレンジや編成というのはあくまでアプローチの方法であって、最終的にはポルスカ(やその他のダンス)のリズムと音楽の流れを作ることと、自分とその楽器らしい音色を生み出すことに向かうのではないかなと思うんです。細かい到達点は人によって違うと思いますが、そういう大きな流れが伝統を作っているのかもな、と私は思っています。


世田谷美術館での演奏を通して、ニッケルハルパやスウェーデン民族音楽を初めて聴く人の気持ちを考えました。「スウェーデン民族音楽は楽しむための音楽」とか、そういう自分にとっては当たり前のことも、実際には世間で全然知られていないことだらけなんですよね。そのことを私自身が忘れていたことに、あらためて気が付きました。

『曲を弾いてそれで終わり。あとはお客さん次第。楽しむのも楽しまないのも自由。良いなと思った人だけに届けばいい』

以前の私は、そんな風に捉えていた時期がありました。

これには理由があって、届けられる自信が無かったから、届けようと努力する勇気が出なかったんです。遠慮もありました。でもいつからか、もうちょっとできるかもしれない、と思うようになりました。

お客さんが音楽を楽しむための種をまくというか、想像するためのきっかけを渡す。それで一緒に楽しむ。お客さんとの間に壁を作るのではなくて、少しの距離を踏み越えて自分もそちら側に立ちたい。というか数年前まで、私もスウェーデン民族音楽のことを全然知らなかったわけなので、それを思い出すだけ。最初の気持ちを大切にしたい。

初めて聴いてくれる人の側に歩み寄ることが、実は今まで少し怖かったような気もします。なぜでしょう。自分がスウェーデン民族音楽とは離れた場所にいるんじゃないかと思い込んで不安で、スウェーデン民族音楽に必死にしがみつきたかったから、正統性にこだわって、そっちばかり見ていたのかもしれません。だから、スウェーデンやスウェーデン民族音楽を全く知らない人の視点に立つことが怖ったのかもしれません。歩み寄ったら、今まで自分が積み上げてきたもの(スウェーデンらしさみたいなもの)が全部無くなってしまうような気がしました。『自分には何もない』という思いがありました。

でもスウェーデン民族音楽は、それを好きな人の側に常にあるのでした。不安に思う必要はありませんでした。それぞれの人に合う形で、常にそこにある。形にこだわることも、それが人と同じである必要もない。

私には私なりのスウェーデン民族音楽が、私の中に既にある。だから大丈夫。何かになろうとせずに、私は私のままで進んでいきたいと思います。

それに、「歩み寄る」ことは今自分がいる場所を失うことではなく、「成長」なのでした。そのことに気が付けたのは、周りの人のおかげだと思います。

今日もお読みいただきありがとうございます!