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普段、音楽を聴く時の癖と、演奏時の癖との関連性について

/ ニッケルハルパ奏者

自分の普段の「音楽の聴き方の癖」というのは、楽器の演奏時の癖になって出てくることが多い、と私は思っています。

今回はこのことについて書きたいと思います。

いつも通り、私の経験をベースに書いていますが、参考になりましたら幸いです。

普段、音楽を聴く時の癖が、演奏中にもあらわれる

楽器を弾いている時の癖というのは、「楽器の練習中に無意識についたものも」だけではなくて、実は「楽器にふれる以前から、自分が無意識に身につけているリズムのとり方の癖」や、「楽器演奏に対する自分のイメージ」のようなものの影響も大きいのでは、と私は考えています。

私自身を振り返ってみると、そういう癖が多かった(多い)、と思うのです。

「この楽器を弾く時は、きっと身体はこうなっているに違いない」と思ってしまったり。

リズムをとる時にも、「きっとこういう風にリズムをとっているに違いない」という思い込みで先走ってしまい、かえって曲のリズム感が出せなかったりとか。

「癖」は無意識なので、普段の自分の音楽の聴き方の癖、リズムのとり方の癖、楽器演奏に対するイメージ(思い込み)などは、自分ではなかなか気がつくことができません。

先日もイメージの重要性の話について書いたばかりですが、→力を抜いて演奏するには?イメージの大切さについて

本当は、先入観なしで見本の演奏動画を見れば気がつけたはずの違いにも、「こうに違いない」と思い込んだり、「ああ、わかった、こうすればいいのだ」と早合点してしまうことで、気づけずにいました。

これは今でもそうです。日々、発見と学びだと感じています。

私の場合ーリズムの感じ方・音楽のノリ方について

例えば私の場合ですが、私のような日本人や、スウェーデン人以外の演奏家がスウェーデンの伝統音楽を演奏するにあたり、「リズムの問題」というのが必ず出てきます。

特に私は、自分の演奏を客観的にながめた時に、よく「普段自分がJ-popを聴いている時のようなノリになっているな」と感じることが多かったです。

「J-popを聴いている時のノリ」と書きましたが、これは正確にはJ-pop自体は関係ありません。正確に書くと、「私自身の小さい頃からの音楽の聴き方・リズムのとり方の癖」と言えると思います。

私は小さい頃から普通にJ-popを聞いて育ちました。特殊な音楽環境にはいなかったので、自分のまわりの音楽=J-pop(特に、世代的にはアニソンなどがかなり盛り上がり始めた時期)だったんですね。

(洋楽も多少は耳に入ってきていましたが、そんなに意識して聞いてはいませんでした)

なので、J-popを聴いている時の癖=小さい頃からの自分の音楽のノリ方の癖、という感じなんです。

ではそれはいったいどんな癖か?ということですが、それを書く前に、「演奏する側と、音楽を聴く側との間では、リズムの感じ方や音楽の流れの感じ方に違いがあるかも」という話をちょっと書きたいと思います。

演奏する側と聴く側、感じ方の違い

ちょっと話がそれますが、音楽を演奏する側と聴く側とでは、同じ瞬間に同じ曲を共有していても、リズムの感じ方や音の楽しみ方に微妙なずれが出るだろうと私は思っています。

(もちろん人それぞれの部分もありますが…)

たとえば、演奏する側は創造し提供する側なので、意識は常に次の音に向かっているし、タイミング的にも音への意識が少し早い(意識として準備している)かもしれません。

また、強い音や強いリズムの部分だけではなく、音楽全体の流れの中で、リズムの「強弱」の「両方」を意識しています。

反対に、聴く側は音が出た瞬間から音を味わうのだから、「今、出た音」や「さっき出た音」へと意識が向いているものだし、タイミング的には少し唐突というか、音が出た瞬間から「パッ」と意識を向ける感じだと思います。

リズムも、わりと「強いリズムの部分」に意識がいきがちだと思います。

(演奏する側は音が出るタイミングだけではなく、「音の前後の流れ(音が出る前からの動作や準備など)」も作りながら音を出していますが、聴く側は音が出たその瞬間から、その音にパッと意識が向かっている感じです)

先日、こちら↓の記事で、「曲の中で「タンっ」と「ふわっ」を両方感じられると上手くいく気がする」と書きました。

演奏中、上手くいっていると感じる時に、私が感じていること2つ

この記事の中では、「音が出る瞬間(「タンっ」)だけではなく、その合間の「ふわっ」とした瞬間も含めて、両方感じると良い(=音楽全体を常に感じると良い)」と書きましたが、

私の場合、音楽を「聴いている時」は主にこの「タンっ」しか感じていなかったかも、と思ったのです。

間の「ふわっ」が無い状態です。

曲にノる時にも「タンっ」「タンっ」みたいな感じで、「音やリズムの強いところにだけ、部分的に反応していた」ことが多かったのでは、と思うんですね。

(音楽全体をとらえるのではなくて、部分的に反応していた)

それが、自分のリズムのとり方の癖になっていました。

実際には、音楽のジャンルに限らず、おそらく「『音が出る瞬間』以外の流れ(私が「ふわっ」と感じると書いたもの)も常に感じる」ことではじめて、音楽の流れを感じることができるのだと思うんです。

「タンっ」以外の部分も感じる、ということです。

この「「タンっ」以外の部分も感じる」という発想が、私にとっての大きなパラダイムシフトになりました。

聴き方が変わる→演奏も変わる

こういったことを考えるようになってから、音楽の聴き方が変わるようになりました。

私は他の人のコンサートやライブなどに行っても、だいたい静かにじっと座っているタイプなのですが、この「静かにじっと聴く」スタイルも、実はこういう「聴き方の変化」が自分に起きたからなんです。

それまでは、ライブに行ったらノらなくてはいけないと思っていたし、ノることが音楽の楽しみ方だと思っていたけれど、じっと座っていることで感じられる演奏者側のリズムとか、音楽の流れがあるのだ、と気づくようになりました。

それ以来、この楽しみ方=「ゆったりとじっくりと、音楽に身をゆだねるという音楽の聴き方」を、「楽しい」と思うようになったんです。

(はたから見ると「楽しくなさそう」に見えるかもしれない聴き方ですが、身じろぎせず音楽に身をゆだねるのは、とても気持ちが良いです)

また、そういう聴き方をすることが、「自分自身の演奏中の落ち着きや、音の出し方、音楽の流れの作り方」に良い影響をもたらすと感じるようになりました。

どんなにノリノリな曲であったり、リズムが感じられるような音楽でも、「前に進む部分」と「落ち着く部分」の両方(=緩急)が必要です。

リズムが「タン!」となるところ(アクセント、目立つところ)だけを突発的に感じていても不自然で、そこをリズムとしてあえて強調するには、その前後の流れ(落ち着いた部分)の助けが必要なのです。

「全体の流れ」を感じ続けながら、強調するところや前に出す部分をバーンと出すことで、はじめてメリハリが上手く出せるし、音に振り回されることなく、落ち着いて、自分の中心(自分の軸)からリズムや音を生み出すことができるのだ、と思いました。

力まずに弾くことにもつながる

また、そんな風に全体の流れを感じながらアクセントや強調を加えていくと、演奏中の「力み」も減ると感じています。

アクセントや強調したい部分、バーンと弾きたい部分、速い部分などは特に力みやすい箇所なのですが、それらの「特定の部分だけ」に意識を向けるのではなく、「これも全体の流れの一部なのだ」と考えてみます。

そうすることで、普段のふわっとした動きを全体としてうまく使いながら、強調部分をバーンと、強く豊かに弾くことができるのだと思います。

どんな状況であっても無駄に力まないこと。パフォーマンスとしては力んでいるように見せていても、実際には身体は自由であることが、とても大切だと思います。

かなり強い感じの音楽や、速い音楽を演奏しているような奏者・ミュージシャンも、よく見ると身体は自由であったり、意外と軸はぶれていない(いい意味でじっとしている)ことが見ていてよくわかります。

私自身も、このようなことを意識しながら1曲1曲丁寧に練習していきたいと思います。


以上、「普段の音楽の聴き方と、演奏時の癖」について書きました。

ぜひ、参考にしていただけましたら嬉しいです。

お読みいただき、ありがとうございました。