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何かを好きになることに、ハードルは要らない~趣味は自分を満たすためのもの~

/ スウェーデンの民族楽器「ニッケルハルパ」奏者

音楽や楽器の趣味だと、特によくあるかなと思うのですが…

何かを「好きだ」と言うことや、好きなものに対しての自分の中でのハードルが異様に高くなっていることはありませんか?

「好きなのだから、これくらい知っていて当然」とか、「好きなのだから、もっと夢中にならなければいけない」とか、「これくらいまでやれば『好き』と言っていいけど、今の自分じゃまだまだ、『好き』とは言えないレベルだな」とか。

私自身、いつもそう考えていました。

でも、そうやって好きなものへのハードルを上げることは、自分にプレッシャーがかかったり他人に厳しくなるだけで、あまりいいことはないのだと気がつきました。

好きなものや、何かを「好きだ」と言うことに対して、ハードルを設けない方が生きやすくなるし、自分に対しても他人に対しても寛容になれるし、好きなものが増えて幸福度や満足度が上がります。

このことについて、今日は書きます。

「いつの間にか」高くなっている、好きなものへのハードル

まず説明しておきたいのが、このハードルは「無意識のうちに」「いつの間にか」どんどん高くなっている場合が多いということです。

私の場合も、別に誰かに何かを言われたとか、決定的にハードルが高くなったきっかけがあったわけではありません。

ただなんとなく、「好きならこれくらい知っていなくちゃ/できなくちゃ/夢中にならなくちゃ」というような思い込みが自然とできあがっていました。

しかし、この「なんとなく」の思い込み、非常に厄介です。

「○○でなければ『好き』と言ってはいけない」という呪い

「○○でなければ(詳しくなければ/夢中になっていなければetc…)『好き』と言ってはいけない」という思い込みは、自分も他人も縛る呪いのようなものです。

この呪いは、まず自分の好奇心や興味をとても厳しい基準で自己採点して、理想の状態に届かない場合は全て不合格にして、無かったことにします。

「好きなものや趣味が無い」と言っている人は、本当は少しはあるのだけど、他人に言えるほどの「好き」ではないから趣味とは言えない、と本人が思い込んでいる場合も多いです。

また、自分だけでなく、この呪いによって他人の好奇心や興味も同じように採点して、心の中で批判して、最悪の場合口に出して批判してしまうこともあります。

「そんなんで好きって言えるの?」「好きなくせにこんなことも知らないの?」みたいなオーラを出したり、マウントをとったりとか、ですね。

自分も他人も攻撃して、好奇心や興味の種をつぶそうとしてしまうのです。

これはとても危険なことだし、おそらく誰も幸せにしません。

しかも、この思い込みに気がついていないうちは、攻撃している自覚もありません。私もおそらく今までこういうことをたくさんやってきたと思います。

気がついた時点でやめることができれば、それだけで、自分や誰かの興味の種を育てることができるかもしれないのです。

好きな気持ちをモノではからない

何かに興味を持ったり、「いいかも」と思った時、なんとなく関連するモノを蒐集したり、コレクションしたりしたくなる時がありますよね。

もちろんコレクション自体が自分にとって本当に楽しければいいのですが、よくよく考えてみれば、私は本当にそのモノが欲しいわけではないのに、なんとなく「好きなら持っていなくちゃいけないかも」という思いでモノを集めようとしてしまう時が多いのだと、気がつきました。

「好きなら、買わなければいけない」とか、「買わずに、好きだなんて言ってはいけない」という思いもありました。

しかし、そんなことはないのです。

何かを買ったり、手に入れたりすることと、それを好きでいることは、全く別のことです。

好きな気持ちを示すために、何かを手に入れる必要はなく、モノで自分の気持ちをはかったり、証明する必要もありません。

それに関するモノを、何も持っていなくても、身に着けていなくても、好きでいていいし、好きだと堂々と言っていいのです。

(買うこと自体が悪いわけではありません)

好きな気持ちを、知識や経験ではからない

同様に、好きなものや分野に対する知識量・経験と、自分の好きな気持ちもまた、全く別のことです。

知識がある人の方が、それを好きで、その人の方が偉いとか。知識がない自分は好きだと言ってはいけない、とか。そういうことはありません。

知識が無くても経験が無くても、そしてこれから先も別に「きわめたい」などと一切思っていなかったとしても、「いいな」と思った気持ちを大切にして、堂々と「好きだ」と言っていいと私は思います。

そんな風な、ふわっとした「好き」な気持ちを持つこともまた、自分の人生をより豊かにしてくれると思います。

必ずしも、「好きなものを好きでいること=きわめること」ではありません。

好きなものにふれて、自分が少しでも明るい気持ちになったり、豊かな考え方ができるようになったり、ほっとしたり、満足することができたなら、それが一番だと思います。

きわめることは、好きなものを楽しむ方法の一つにすぎません。好きなものとの付き合い方は人それぞれです。

自分の人生を豊かにし、自分が幸せでいるために、自分の生活の中で、その好きなものの恩恵を受けられればいいなと思います。

好きな気持ちを、他人と比べない

モノや知識の話とも通じますが、共通の趣味や興味を持つ人達の発言を見たり聞いたり、コミュニティの中に入っていくと、「自分なんて全然だな」とか、「こんなんじゃ好きだと言ってはいけないんじゃないか」と思うことがあるかもしれません。

でも、それは違います。

好きな気持ちを、他人と比べる必要はありません。

もし仮に比べてしまっても、そこで自分が感じた基準(知識量など)は実際には何の意味もないことを、思い出してください。

コレクションを持っていなくても、知識がなくても、自分はこれが好きだと言っていいし、堂々としていていいのです。

そこに、他人は関係ありませんし、競う必要も全くありません。

むしろ、知識や探求意欲を持っていなくても「好き」と堂々と言っている人がいると、新しい人もそのコミュニティに入りやすくなるので、良いことだと思います。

貢献しなくていいし、役に立たなくてもいい

さらに、好きなものを何かに繋げたり、社会貢献したり、何かに役立てなければ、と思うことがあるかもしれません。

しかし、別に何にも繋がらなくても、社会貢献にも特にならなくても、何の役にも立たなくても、それを好きでいていいと思います。

「好きなものを広めるために活動をしなければ」とか、「(大会などで)何らかの実績を出さなければ」とか思う必要はないし、技術を向上させることを義務のように感じたり、人生において何らかのかたちでこの経験を活かさなきゃ!と思う必要も一切ありません。

もちろん、やりたくてやる分にはとても良いと思いますが。

「何にも繋がらないけど、自分はこれが好きだな」と思って、楽しむ。それだけでいいと思います。

それに、「誰がかそれを楽しんでいる」というたったそれだけで、実は大きく社会貢献になっているのではないかと私は思います。誰かの機嫌が良いだけで、周りの人は嬉しいし、誰かが何かを楽しんでいる姿は(本人が秘密にしていても)なんだかんだ周りに伝わって、周りの人も影響を受けるような気がするのです。

自分が満たされることが大切

好きなもの、趣味は、それにふれることによって自分が満たされることが大切です。

そこから派生して、「これについてもっと知りたい」とか、「誰かの役に立ちたい」と思うようになり行動することは素晴らしいですが、そこまで気持ちを発展させなければ好きと言ってはいけない、なんてことは全くありません。

ちなみに私は鳥が好きですが、バードウォッチングもしないし鳥類にも全く詳しくありません。ただ、鳥の鳴き声に癒されるなあと思ったり、前を歩いているハトの行動を数秒眺めたりするのが好きです。深く関わろうとは特に思っていませんし、それだけでも充分です。

色々なものに興味を持ち、自分の「好きだな」という気持ちを大切にできたら、それで何かを成し遂げなくても満たされた気持ちになりますし、より幸せを感じやすくなるのではないでしょうか。

もしよろしければ、参考にしてみてください。