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自分の頭の中での「悪口・愚痴・他人や自分への批判や決めつけ・過去の嫌な出来事の反芻」等をやめて、気がついたこと

/ スウェーデンの民族楽器「ニッケルハルパ」奏者

約2週間前から、ふと思い立ち、「悪口、愚痴、不満、他人や自分への批判や決めつけ、過去の嫌な出来事を反芻すること(=ネガティブなことを考えること)」を、主に自分の頭の中でやめました。

考えても生産性がなく、自分にとって特に良い影響がない、と思ったからです。

方法:考えるのをやめる

「言う」のをやめるだけだとあまり意味がないと思ったので、「考える」こと自体をやめました。

完全には無理かもしれませんが、できる範囲で。

考えそうになったらストップして別のことを考えます(今やるべきことを考える、など)。もしくは、空や、目の前のものをただ見ます(何も考えずに目の前のものに集中する)。

ネガティブなことを考える時間を減らし、嫌な出来事を自分の中で説明したり言語化せずに(=フォーカスせずに)別のことに意識を向けるよう練習しました。

気づき①:ネガティブ思考は自動生成されていた

最初の3日間は慣れなくて大変でした。

ネガティブな思考が自動生成されるんです。

例えば、電車で後ろに並んでいた人が自分より先に乗る、というだけで。

もしくは、ただ、「今ヒマだ」というだけで、ネガティブなことを考えてしまうのです。

(「他人は間違っていて、自分は正しい」みたいなジャッジや正当化もここに入ります)

自分で意識しないうちに、こんなにもネガティブな思考が泉のように湧いては出てきている、ということが信じられませんでした。

気づき②:過去の嫌な出来事にフォーカスしない

特によく思考回路に登場するのは、過去の自分の失敗や、過去の嫌な出来事でした。

他人や自分自身への悪口や愚痴や批判というのは、主に自分が体験した過去の嫌な出来事をもとに作られていると思うので、嫌な出来事自体にフォーカスさえしなければ、他人や自分へのそういう思考も減ると感じました。

起きたことの全てはもう過ぎたことだ、と思うようにしました。

今の自分が心配することではなく、むしろ、その出来事が今目の前で起きているのではないことに安心して、感謝してもいいくらいだ、と思うことにしました。

喉元過ぎれば熱さは忘れます。

その出来事があったからといって、今の、自分のお財布の中のお札が1枚ずつ減っていくわけではありません。

過去の出来事から学べることはあっても、それによって今の自分が損なわれるということは(自分がそう信じ込んでしまわなければ)ありません。

ネガティブなことを考えることは、ネガティブなことを自分の中であえて拡大して、こねくりまわことで、そこから何かを学ぶこととはまた別の行為だ、と気がつきました。

起きたこと①:頭の中が暇になった

考えるのをやめたら、一時的に頭の中がすごく暇になりました。

今までどれだけネガティブなことを考えていたんだろう、と一瞬途方に暮れました。

それでまた以前のように考えてしまったら同じなので、そういう時は「頭の中が暇だー」とだけ思うことにしました。最初の数日間は常に思っていました。

起きたこと②:慣れてきた

そのうち慣れてきて、そうしたら今度はポジティブなことを考えたくなりました。

でもポジティブ思考に慣れていないので、何を考えたらいいかよくわかりません。そういう時はとりあえずまた空を見るか、目の前のことに集中するようにしました。

もしくは、次に進む。前に進む。とりあえず何かやる。

ネガティブなことを反芻するより、この方がよっぽど集中力と行動力があがると感じました。

また、新しく何か失敗をしても、すぐに切り替えられるようになりました。

一生懸命やって、失敗するのはしょうがない、心から謝って、次に活かそう、と。

それで充分なのだ、と気がつきました。失敗を過去のものにして、前に進んでもいいのだと思うようになりました。

気づき③:「嘘の自分を見せている」という感覚の消失

私はブログの過去記事でよく恨みつらみを書いていたと思うのですが(恥ずかしい話ですが事実です)それは「嘘の自分を見せてはいけない」と思っていたからです。

外面のいい自分は「嘘の自分」で、頭の中のネガティブな自分が本当の自分、のように思っていたところがあります。

実際には、嘘の自分/本当の自分という区別自体が自分の思い込みに過ぎません。どちらも本当に存在している自分です。

ネガティブな思考をやめたら、その「嘘の自分を見せている」という感覚自体がなくなりました。

人と接するのが、以前よりもとても楽に、気軽になりました。

「他人への批判を頭の中で思わないだけで、他人と接することがこんなにも楽になるのだ」とは、やってみるまではわかりませんでした。

それでも「こうしてほしい」という他人への要望があったら、すぐに直接本人にお伝えするか、伝えられないなら別の対策をすればいいと思うようになりました。「なんでこうしてくれないの」は考えないようにしました。

気づき④:人は失敗するが、常に学び、成長し、変わることができる

初めてやることは失敗するのが普通です。

人生はだれでも初めて生きているので(2回目の人はいないと思うのですが)、やることなすこと失敗しても別にそれが普通です。

でもそこから学ぶことはできるし、成長することができるし、変わることができる、と私は思います。

ブログを書き続ける中で、私は自分が変化し続けていることに、途中から気がつきました。

私は本や漫画やアニメが好きですが(詳しくはないのですが)、主人公が最初は人生に腐っていたり、やる気が無かったり、愚痴や文句ばっかりで行動できなかったりするのに、だんだんと変化し成長していく物語に、とてもおもしろみを感じます。

最初は腐っている主人公ほど、その変化に胸が熱くなります。

自分の人生をそういう気持ちで眺めてみたら、失敗しても別にいいし、うまくいかなくてもそれが出発点だし、嫌な出来事もあとあとの展開に必要なフラグだ、という気持ちで見ることができます。

過去の嫌な出来事や失敗にフォーカスするのは、うまくいったことや学んだことよりも、できなかったことや足りないものにフォーカスすることです。それだと展開を紡いでいけません。

ネガティブなことばかり考えていた自分も、それが悪かったわけではなく、そこから変化させていけばいいのだと思いました。

補足:悪口や愚痴が悪いわけではない

「悪口嫌いです…」と言う人は、悪口を言う人の悪口を言っているか、考えていることが多いです。

ちなみに私はそうでしたが。

それって、悪口を言っている人と同じことをしている(悪口を言う人の悪口を言っている)わけですが、本人はそういう自覚はありません。というか自覚はあるのですが、認めたくありません。

私は、「悪口は悪いものだからやめよう」と思っているいうよりは(道徳的に考えれば悪いですが、それは誰だってわかってます)、「それを考えるのは自分にとって生産性がないから、もっと別のことを考えよう」くらいに今はとらえています。

その方が、人のネガティブな発言に気を揉まなくて済むような気がしています。

だいたい、何が悪口で何が建設的な批判なのかの線引きは難しく、「あの人はいつも悪口や愚痴を言っている」と自分が思っていても、その人はその人なりに色々頑張っているだけかもしれません。

自分にはわからないことや見えていないことがたくさんあります。

結論:目の前の自分のこと(=練習)に集中できる

結論としては、まず、過去の嫌な出来事や他人の言動にいちいちつっかからずに済むので、目の前の自分のことに集中することができると思いました。

また、ネガティブな思考ばかりをしていた自分自身も別に否定しなくていいので、同じ自分のままどんどん変化させていけばいいのだと思うようになりました。

音楽とはまったく関係ない話を書いてきましたが、それがめぐりめぐって私の場合は音楽に繋がります。

目の前の曲にもっと集中して練習できるようになったのと、音とりを失敗したり、今までとは違う音の出し方に挑戦することに、抵抗がなくなりました。(新しい曲を覚える取り組みとの相互作用かもしれませんが)

失敗してもどんどんブラシュアップすることができます。

(ちなみに今は毎日〇曲というよりは、より多くの曲を長期的にインプットするような方法にしています)

新しいことや曲にどんどん挑戦してもいいし、知っている曲をより精密に練習してもいいし、昨日と同じ音を出してもいいし、違う音を出してもいいのです。

とりあえずやって、前に進みます。


以上、2週間やってみて気がついたことでした。今後も続けてみて、変化をみたいと思います。