先週から今週にかけて、「伝統」というものについて考える機会がありました。
伝統というか、具体的にはEric Sahlströmのことです。ちなみにEricというのは既に亡くなっているニッケルハルパ奏者です。スウェーデンのspelmanたちのページで少しご紹介していますのでそちらもご覧ください。
Ericの紹介ページでも触れていますが、私が留学した頃にはEricは既に「伝統」側の人という扱いを受けていた印象でした。Ericの話や録音を参考として聴く機会も多く、「Ericみたいに弾け」と言われたことも何度もあります。
しかしほんの十数年前まではEricを「伝統」とは認めない人たちも多くいたそうです。その頃に留学したことのある知り合いの日本人の方から聞きました。その方はEricが大好きなのですが、当時は「Ericの演奏はトラッド(伝統的なもの)じゃない」という雰囲気を感じる機会も多かったそうです。なので、私の「Ericは伝統って扱いを受けていましたよ」という話は衝撃的だということでした。
「伝統」って変わっていくものなのだ、ということを私は改めて認識しました。
留学先で、「Ericの弾き方(音)と違うよ」「Ericみたいに弾きなさい」とやたらと言うおじさんが2人いて、私は「そんなに全部Ericみたいに弾かなきゃいけないの?私はSonia(Ericの娘)にこう習ったからこう弾きたいのに!」と少しだけ反発心を抱いていた時もありました笑。しかし、そのおじさんたちはただただEricを大好きだったからEricの弾き方を伝えたかっただけで、その事実に気付いてからは「Ericみたいに…」と言われることが気にならなくなりました。むしろEricの弾き方を教えてもらう良い機会になったし、もっと一緒に弾きたいと思いました。
これを伝えたいとか、こうでなければならない!と言う人の気持ちの裏側には愛情があります。それが価値観の押し付けや新しいものへの否定みたいに思える時もありますが、「自分にこれを伝えたいんだな」という想いの部分を素直に受け取れるのが理想だな、と思いました。反発したくなる時もまだまだ多い私は未熟者ですが。
きっとEricのことを認めなかった人たちにとっても、その人たちなりの「伝統」や「伝えたいもの」があったのだろうと勝手に推測しています。
スウェーデン民族音楽では、基本的に人伝えで曲が伝わっていきます。誰かから教わることもあれば、皆が弾いているのを真似して自然に覚えるものもあります。
そして私にとっては、誰かに曲を教わることは「贈り物をもらう」ことと一緒でした。「この曲を教えたい」と思ってくれることは、それ自体が愛情でした。だから教わった曲は精一杯その通りに弾きたいし、自分もその通りに伝えたいと思いました。
一方で、私がスウェーデンで見てきた民族音楽の世界は絶対的なものでは全くなくて、常に変わり続ける風景の一部でしかないのだということも感じています。これまでも変わってきたし、これからもどんどん変わっていきます。Ericの捉えられ方が変わったように、今若手で活躍している人も50年後には伝統になっているかもしれません。
変わっていってしまうからこそ、自分が見てきたものや知っていること、自分が好きなものや自分にできることをやり続けることが大切なのだと思いました。何もしなければそのまま消えていくものであり、何かすれば残していけるかもしれないもの。10年後、20年後、それ以降に残していきたいものです。どうせ残るなら嫌なものより好きなものを残したいし、残らなければ残らないでまあいっか!ってなる気がします。
今日この内容を書くことができたのは、知り合いの方たちとお話しする機会があってのことでした。人と話をすると自分に見えていなかったことがたくさん見えてきて、とても参考になります。
今日もお読みいただき、ありがとうございます!