峰村茜のホームページへようこそ!どうぞごゆっくりご覧ください。

勝手に「○○代表」みたいな自意識を持ってしまうこと

/ ニッケルハルパ奏者

私は約4年間スウェーデンに留学しました。留学先では日本人の留学仲間もいましたが、それでもごく少数でした。

そして最初の3年間は、程度の差こそあれまるで自分が「日本代表」にでもなったような気分でいて、周りのスウェーデン人や外国人の「日本人の印象」を悪くしないように自分を偽って接していたところがあります。

例えば「日本人はノリが悪い」と思われたくなくて、自分が参加したくないパーティー(夜は早く寝たいし騒ぐのは好きではないので、ただ騒いで飲むだけのパーティーは全部断りたい)にも義理で参加したり、「善意を断ったら悪い」と思って知らない人の車に誤って乗ってしまったり(知ってる人だと思って乗ったら、知らない人だった。ピンチ!)、日本だったら取らないような選択をたくさんしました。そのおかげで話のタネは増えたし経験値も増えましたが、この「○○代表」みたいな自意識は持つ必要もないしあまり持たない方が良いなと今は思っています。行動が制限されて、辛いからです。

留学4年目の時は日本人の留学仲間はいませんでした。でもクラスメイト11人のうち5.5人が外国人でしたし、その人たちがかなりはっきりした性格で、私のことも日本代表ではなく単なるアカネとして見てくれました。何より自分自身が多少スウェーデンに慣れていたので、私も自分を日本代表みたいに思わなくて済んだ気がします。自分の価値観で行動する。嫌な時は断る。やりたい時はやる。(でもフランス人の子には、「アカネの『うん、いいよ…』は『嫌』って意味だよね?」って見抜かれてました)


で、このことについてなぜ今書いているかというと、2日に一回はブログを更新する!と決めたからでもありますがそれよりもまず、「日本に帰国してからニッケルハルパのことを話そうとする度に感じる自分のこの窮屈さは何なんじゃー」と感じたからです笑

スウェーデンにいた時には、地元のおじさんおばさんたちに混じって弾いたり、ワークショップに参加したり、とにかくクラスメイトや地元の方々に埋没していた自分です。自分が好きな演奏を模索できたし、思い通りに弾けなくてもいいや!これが私だ!好きだから弾いちゃえ!みたいな感じで開き直れました。演奏でふざけることもできました。それが日本に帰ってきてニッケルハルパやスウェーデン民族音楽関連のことをやろうとすると、途端に自分の肩に何かがのしかかってくる気がしました。重い。

のしかかってくるのは子泣き爺ではなくて、「ニッケルハルパ代表」的な自意識でした。演奏している人数が少ないからとか、日本では浸透していない楽器だからとか、色々理由を挙げようと思えばいくらでも挙げられますが…。この自意識があることによって「間違ったことを言ってはいけない」とか「なんかスウェーデンっぽくない演奏したら批判されるんじゃないか」とか余計なことをぐるぐる考えていました。というか今もまだあります。

この自意識が強くなりすぎると、周りからの見られ方が気になってしまって行動できなくなります。例えば演奏に関していえば、「上手く弾かなくちゃいけない」「教わった通りに弾かなくちゃいけない」こうしなきゃ・ああしなきゃの思いにより、演奏も首も背中も縮こまり、視線は下を向き、内向きで大人しくこじんまりとした音になるのが自分でもよくわかります。自由な演奏、自分らしい演奏、人を笑顔にする演奏(ふざけるのも可)から遠ざかるのです。それは自分らしさから遠ざかることでもあり、弾く喜びを失う行為でもあります。

私にとっては「この曲を弾きたい」というただそれだけのシンプルな想いが「演奏したい」という気持ちの原点にあります。正直に言えば、私は自分が技巧的に上手いとは全く思っていませんし、むしろ結構大雑把で楽観的な方です。上手いことよりも楽しい方が大事でしょ?と思っています。Bondpolska(=Upplandのポルスカで、「農民のポルスカ」)を好きだという時点で、そういう性格だとわかると思います(って書いたら怒られるかな笑)。曲を覚えるのもめちゃめちゃ時間をかけます。亀の歩み。でも度胸と勢いはあるつもりだし、弾く楽しさと曲の良さを届けたいという気持ちはある。だから、下手だってなんだってこの体と楽器1本で音楽を届けるんだ!それがスウェーデンっぽくなくてもしょうがない。だって私はスウェーデン(とスウェーデン民族音楽)が好きなだけの日本人だから!東京生まれ東京育ち!

と、自分が勝手に背負っている重荷をできるだけせっせと降ろして、素直で自然な気持ちで演奏するために今日も気合を入れています笑。これは実際に自分がどう紹介されるか?とかどう見られているか?とは全然関係なくて、単に私自身の意識と自信の問題なのだと思います。

上手さを気にして縮こまった演奏よりも、のびのびして堂々とした演奏が好きなんです。もちろん常にもっと上手くはなりたいし練習もします。でも何のために練習するのか?上手いと誰かに言ってもらうため?それとも何かを届けるため?と問いかけると自分のことが見えてくる気がします。

前に似たようなことを書いた気もするしお恥ずかしい内容なのですが、ホームページでは自分をさらけ出す(支障のない範囲で)と決めたので書いています。音楽は自己表現なので。それに、同じようなことで悩んでいる人もいるかもしれないので、そういう方に届くと良いなと思います。

今日もお読みいただき本当にありがとうございます!