スウェーデンにいた時、ただ静かな自然の中でぼーっとする時間というのが結構ありました。
留学していたところが田舎が多かったので、普通に建物の外に出ればそこは自然、ということで、外に置いてあるテーブルのところに座ってぼーっとしたり、窓の外を眺めたり、散歩したりするだけで、とても静かな気持ちになりました。
実際は鳥の鳴き声が響いていたり、風で葉っぱが揺れる音がしたり、完全に無音ではありませんが、そういう音が遠くからよく聞こえるくらい、空間が広々としていました。
東京に帰ってきてからも、なるべくそういう時間を持とうと思っています。
朝歩いていると鳥の声がするし、大通りでなければ車の音もそんなに聞こえないし、家の中にいても静かで安らいだ時間を持つことはできます。
実際に静かであるだけでなく、大切なのは自分の心が穏やかであることなのだと思います。
なるべく静かな風景を想像したり、頭の中を空っぽにしたり(頭の中の誰かのおしゃべりを全部シャットアウトする)、心地よい空間を想像するだけでも心が穏やかになってきます。
風景の画像や写真を見たりするのも良いと思います。
あと良いなと思うのが、好きなものに触れたり好きなことをすることです。めちゃめちゃ好きなものでも良いし、ただなんとなく好きかも、みたいなことでも良いと思います。
本を読んだりとか、音楽を聴いたりとか。
その時に、「ここのここがこうでこうなんだよな」みたいに分析するのも良いのですが、そこであえて分析せずに、ただ与えられるもの(聴いている音楽とか)を、「今、自分だけに向けられて与えられているのだ」と思って「受け取る」と良いなあと思います。
それが例えば音楽だとして、特に歌の場合は歌詞があるので、歌手が「誰か(君、とか、あなた、とか)」に向かって歌いかけているところを第三者的に想像して聴くこともあるかと思いますが(私はそういう風に聴くことが結構多いです)、それの「誰か」というのをあえて「自分」として設定してみるんです。
贅沢ですよね。
歌詞の無いものも一緒で、ミュージシャンが「誰か」に向けて演奏しているのではなく、全て「自分」のために演奏されている、と全力で想像して聴いてみます。(想像なので、「私実際このミュージシャンに会ったことないし」とかそんなことは一切思わなくて良いのです)
(ちなみに、私のように「受け取り下手」なタイプの方にとっては、この聴き方は最初かなり難しいと思うのですが(自分のために演奏されているなんて考えるのはおこがましい、とか)、頑張ってください。できるようになるとすごく良い変化があります)
そうするとその音楽がすごく「受け取れる」ようになって、誰かに向けて演奏されて(歌われて)いると想像していた時とは、全く違う感覚になります。私は「とても満たされた、あったかい感覚」になる気がしています
(私は冷え性なのですが、聴いている間にお腹や足のあたりがあたたかくなってくるように感じています)
そういう感覚になれる時間を、5分でもいいから、少しずつ日々の生活の中で持てたら良いなと思っています。
(さっき「贅沢だ」と書いたのですが、実際にその何かを生み出している側の人も、そういう受け取り方をしてもらいたいんじゃないかな?と私は思います。自分のことのように受け取ってもらえたら嬉しいな、と思っているのではないでしょうか)
今日の動画は「A-moll valsen efter Byss-Calle(Byss-Calle伝承のAマイナーのワルツ)」です。Silkesvalsenという、別の名前のワルツともよく似ています。
今日もお読みいただき、ありがとうございました!