峰村茜のホームページへようこそ!どうぞごゆっくりご覧ください。

スウェーデンの歴史①石器時代

/ ニッケルハルパ奏者

はじめに

先日のブログで、「ニッケルハルパについて知るには、まずスウェーデンの歴史を学ぼう」という結論になったので、早速スウェーデンの歴史に関して私なりに学んでみることにしました。

とはいえ、歴史を学ぶのって結構難しいですよね。本とか買った方が良いのか?とか、ネットで調べるのが良いのか?とか。ネットだと、どの情報が正確かわからないよね?とか。

そこで、実は私、以前から見よう見ようと思いつつ先延ばしにしていたスウェーデンのTV番組がありまして。2023年頃に放送していた特番「Historien om Sverige(スウェーデンの歴史)」という番組です。

「タイトルからして眠くなりそう…」ということで2年ほど先延ばしにしていましたが、この番組でどうやらスウェーデンの歴史全体を簡単に説明してくれているみたいなので、番組を見てメモしたことなどを(Wikipedia等でも調べつつ)、またこちらのブログに書いていくことにしました。

(TV番組の語る歴史の信ぴょう性ってどうなの?とか色々考えましたが、「とりあえずのとっかかり」として、なんとなく歴史の流れがわかれば良いかな、くらいに思っています)

「にわかの、ゆるスウェーデン歴史ブログ」みたいになってしまうかと思いますが、「スウェーデンの歴史、興味はあるけど、自分で調べるのはちょっと面倒くさいな~」という方の参考になればと思います。

まずは始まりの始まり。

スカンジナビア半島に人がやってきて、石器時代が始まる所からです。

(※TV番組の構成や、私のスウェーデン語力の都合上、意図せず何か間違ったことを書いてしまうかもしれません。すみません。詳しく知りたい方は、ぜひご自身で調べてみてくださいね)

紀元前12,500年~紀元前1,700年頃ー石器時代(Stenåldern)

スカンジナビア半島に初めて人がやってきてから、約1万年以上続いたのが「石器時代(Stenåldern)」でした。

早速話が逸れるのですが…

そもそも「石器時代」という時代区分はデンマークの考古学者によって名付けられたものだそうで、①「石以外に金属を知らない石器時代」②「鉄をまだ使っていない青銅器時代」③「鉄器時代」の順に時代が発達した、と説明されるそうです。

この時代区分はスカンジナビアとその周辺地域に適用でき、一応考古学的な整理がつくため世界的にも広まりましたが、世界のどの地域でも当てはまるわけではないそうです。

Wikipedia「石器時代」より)

日本だと、この区分とは別に「縄文時代」「弥生時代」などの時代区分がありますよね。

氷に覆われていた大地→氷がとけて人間がやってきた

スカンジナビア半島(スウェーデンとノルウェーの半島)の大地は、もともとは1000m以上の分厚い氷に包まれていました。

10万年以上、氷河期が続いていましたが、ある時変化が起きます。

紀元前12,500年頃に気候があたたかくなり、スカンジナビア半島南部の氷がとけだしたのです。

とけた氷の端の所まで、狩りをして(獲物を求めて)やってきたのが人間です。

この人たちは、褐色の肌に黒っぽい髪色、青い目をしていて、狩りをして生活していました。家族単位での集団生活です。

狩りを上手く行うため、集団内での連携・協力、狩りの知識継承のための「語り」などが大切にされていました。

当時はまだ夏の間以外は非常に寒い土地であったため、彼らは夏だけやってきて、その他の季節は別の場所(ドイツの辺り)で暮らしていたと言われています。

そしてそのうち、気候がどんどんあたたかくなり、南部以外の地域の氷もとけだました。

分厚い氷がなくなると、その下に沈み込んでいた大地が姿をあらわし始めました。

こんにちのようなスカンジナビアの大地が顔をのぞかせ、川ができ、植物が根付き、森になりました。

紀元前9,000年頃ー人々が一年中土地に住むようになる(Kolonisation)

氷がとけ、土地が変化したことにより、人の長期滞在が可能になりました。

ついに南スウェーデンとノルウェーの海外沿いに、人が「住み」始めます(季節的に滞在するのではなく、一年中この辺りに住み始める)。

この人々もまた、DNA鑑定によれば、褐色の肌に青い瞳の人々だったそうです。

一方、北の方では別の集団がスカンジナビアにやってきていました。フィンランドやロシア側からの人々です。

彼らは南の集団とは少し異なり、髪色は明るいものから黒っぽいものまで様々、少し明るめの肌の色をしていました。

この北の集団と南の集団が出会い、子孫を残し、さらに他の集団の流入も様々にあり…というところで、今のスウェーデン人に繋がっているのだと考えられるそうです。

紀元前8,000年頃の生活ー狩猟採集(jägare och samlare)

この頃は、人々は狩猟と採集により生活していました(農耕はしていませんでした)。

南スウェーデンのスコーネ地方からノルランドの北部(=スウェーデン北部)に至るまで、人々は住居を作り、広範囲を移動しながら、動物を狩り、食べられる植物を探しました。

海岸/内陸部のどちらにも住み、特に川や湖のそばに住んでいました。

家族や親族の15~20人単位で生活し、食べ物がある場所を見つければそこに定住、なくなれば別の場所を探しました。

気候はどんどんあたたかくなっていったので、水辺には魚もたくさんおり、彼らは魚もたくさん食べていたそうです。

当時の人々にとって、犬はすでに大切な存在で、犬のお墓などもあったみたいです。

また、移動しながらの生活だったこともあり、集団内での子どもの数はそんなに多くなかった(子どもをたくさん連れていると移動が大変なので、あまりたくさん産む文化ではなかった)と言われます。

紀元前6,200年前ー突然気温が下がる(150年間)→人々の生活様式・信仰に影響

紀元前6,200年頃、突然気温が下がり、人々が生きていくのには厳しい気候になりました。彼らは住居を放棄し、別の地域へと移り住むことになりました。

この状態が150年間続き、最終的には気候はまた元通りあたたかくなったそうなのですが、この気候変動が人々の生活様式だけではなく、「信仰」にも影響を与えたそうです。

現代であれば、気候変動について科学的な説明を試みることができますが、当時の人々はこの説明を「信仰」に求めました。それにより、大きな湖などへのお供え品や捧げものが増えました。

彼らの信仰自体について、私たちが詳しく知ることはできません。それでも、信仰の痕跡のようなものを見ることはできます。人骨が不自然にたくさん残っていたり、お墓の形跡があったり。

そういった痕跡が残された場所(=彼らが大切にしていた場所)は、たとえば「奇妙な形の岩」などが挙げられますが、最もポピュラーだったのが「水と関わりのある場所」だったそうです。

当時は、「死者の国への道が水を通っていた」「水辺が、神と接触できる場所だった」と考えられていたのかもしれません。

モーターラ(Motala)北部の湖では、たくさんの(10個以上の)頭蓋骨上部が、水中の柱(木の棒)に立てられていたかのような奇妙な儀式の痕跡が見つかっているそうです。これも、怖ろしい儀式というよりは、丁重な埋葬の儀式だったのかもしれません。

紀元前4,000年頃~農耕文化の流入(jordbruk)

紀元前6,200年頃の寒かった時期から時が経ち、気温はただただ上昇していました。

当時のスカンジナビアはあたたかく、ペリカンや亀も生息していた、とも言われるそうです。

紀元前12,500年頃に人がやってきて、以降約8,000年の間、人々は狩猟採集により生きてきましたが、この穏やかな気候は新しい人の集団をおびき寄せました。

新しくやってきた集団は、作物を育て始めたのです。これが農耕文化の始まりです。

(この文化は、もとは中東から中央ヨーロッパへ、そして北欧へとやってきたのではないかと言われるそうです)

特に南スウェーデンには、たくさんの人が外からやってきました。最初に育てられたのは、小麦(vete)やヒトツブコムギ(enkorn)などでした。

また、農耕文化だけでなく、彼らによって美しく装飾された陶芸(keramik)の技術ももたらされました。

・社会の形成

農耕文化においては、集団内での連携だけでなく、より大きな単位(集団間)での協力関係が不可欠でした。

「社会」ができ始めたのも、この頃かもしれません。

家族もたくさん必要になり、子どもを多く産むようになりました。また、狩猟採集の移動型(食料を求めて移動する)の生活と比べて、子どもの死亡率が大きく減ったそうです。

・狩猟採集民族と農耕民族の関係性

以前から暮らしていた狩猟採集民族、そして後からやってきた農耕民族。

彼らの間には衝突もあったのかもしれませんが、当時の争いの形跡はあまり見られないらしく、おそらく「物々交換」などの交渉により平和的に解決しながら、「共存」していたのだろう、と言われるそうです。

(どちらかがどちらかを制圧する、みたいなことは、この時代には無かったようです)

また、そういった交渉はしていたものの、彼ら両方のルーツを持つ子孫というのはDNA鑑定でもあまり見られないらしく、約1000年間に渡り、互いに干渉せず「別々の社会」として暮らしていた、とも見られます。

・岩絵群(ペトログリフ、Hällristningar)

オンゲルマンランド地方(Ångermanland)のネームフォッシェン(Nämforsen)には、この頃の人々の生活や思想の様子が刻まれています。

↓ネームフォッシェンの岩絵群(Wikipedia「Nämforsen」パブリックドメイン)。赤いですが、これはわかりやすいように後から赤い染料で塗られて保存されているそうです。

これらの絵を見ると、人はもちろん、大きな船から小さいボートまで、たくさんの舟が描かれているのがわかります。

また、動物(四つ足の動物、鳥、蛇など)も刻まれていますが、なかでもヘラジカの絵が非常に多く、ヘラジカが彼らにとっていかに重要な存在であったことがわかります(肉・毛皮など)。

↓同じ場所の写真を集めたYouTube動画

↓また、参考までに、ボーヒュースレーン地方(Bohuslän)の「ターヌムの岩絵群」と呼ばれる地域(Hällritningsområdet)も。こちらはもう少し後の時代(青銅器時代)に刻まれたものだそうです(Wikipedia「ターヌムの岩絵群」パブリックドメイン)。

・病気・埋葬

農耕文化は定住型のライフスタイルを生み出し、人々は安定した生活を送るようになりますが、同時に、「大人数での集団生活」や「ずっと同じ場所に滞在すること」を原因とする病気のリスクも高まりました。

たとえば、インフルエンザ等で亡くなる人が当時もいたそうです。

そんな中、「埋葬」について変化が訪れます。

狩猟採集の時代は、湖に骨を捧げて儀式をしたり、水辺にお墓を作っていましたが、この時期からお墓が「家や集団の力の大きさを示すもの」へと変化していきました。

この頃作られたのが、羨道墳(gånggrift)と呼ばれるお墓などです。

(※番組ではスコーネ地方のGillhögs gångriftが例に出されていました。羨道墳について詳しくは→Wikipedia「羨道墳」

このお墓を作るのにも、非常に高度な建築技術が使われたと見られ、また、東スウェーデンと西スウェーデンでそれぞれ(墓作りにおいて)異なる文化や伝統があった、と考えられるそうです。

この時期から、集団間での力(権力)の差があらわれ始め、人間が「生け贄」とされたような痕跡も見られるようになりました。

さらに、紀元前2,500年頃のものとされるあるお墓には、若い夫婦とその子ども(生後3か月)と犬が丁重に埋葬されていましたが、彼らは社会的に地位があった存在だとみなされていて、その証拠に埋葬品には戦斧(戦うための斧ではなく、社会的地位を示すために作られた斧)や、儀式に使う様々な道具、青銅の部品などがあったそうです。これは当時のスカンジナビアにはまだ珍しく、彼らもまた外からやってきた集団だったのかもしれません。

ここから、時代はさらに進み、青銅器時代へと入っていきます。


…と、こんな感じです。

日本の石器時代についても全然詳しくないのに、スウェーデンの石器時代について慣れないながらも一生懸命書いてみました。

ネームフォッシェンやターヌムの岩絵群とか、おもしろそうだな~と思いました。機会があれば、ぜひ実際に見に行ってみたいものです。

次回は明後日くらいの更新を目指して、頑張ってみたいと思います!