ブログを書く理由について見直す
このHPを始めたのが確か2020年3月頃(それ以前にも少しHPがあったので、その時のブログもこちらに少し移動していますが)、そこから2021年夏頃まではブログをほとんど毎日更新するようにしていました。
毎日更新が目的だったので、色々な内容を試しました。スウェーデンと関係ない話も書いたし、愚痴も書いたし、書いては消し書いては消しを繰り返し、夜中半分眠りながらPCの前で時間ばかり過ぎていくこともありました。
そこで、昨年は一度立ち止まることにしました。何のためにブログを書くのか?私はどうしたいのか?を考えました。
ブログは自分なりの努力の一つ
結論を言えば、ブログは私にとっては目に見える形での努力の証であり、今の自分にとっては続けることにとても意味があるものだ、と思いました。
楽器の練習は日々やっていてもやっていなくても、誰にもわかりません。
ブログは書けば書いただけ記事が積み重なっていきます。
スウェーデンに留学していた時、北欧各国の音大の院生たち(その人達は共同研究としてアンサンブルを組み、音楽活動をしていた)とたまたま会う機会があり、そのうちの一人と話していた時に印象に残った言葉があります。
「音楽活動って思ってたよりとにかくPC作業が多くて、デジタル。音楽だけ演奏していればいいわけじゃないんだよね」と。
曲のやりとりから、広報や航空券・宿泊場所の手配など、私が想像する以上にたくさん作業があったのだと思います。説得力がありました。
でも考えてみれば当たり前です。
音楽家は音楽だけ演奏していればいい、なんてそんなわけないな、と。
仕事として考えれば、当たり前ですね。やりたいかやりたくないかに関わらず、成し遂げたいことがあるなら目の前の仕事に精一杯、次から次へと取り組まなければ、時間が過ぎるだけ。
他の作業を全て外注できるくらい人気や実力がある人は別として、今の自分は、目に見える努力も目に見えない努力も積み重ねていくしかない。
仕事なら、できることはできる範囲で全部やるつもりでやらなければ、と思いました。
普通にやるべきことを、やれるかどうか
私は、特別なことをやらなければとは思っていません。その逆です。
普通に、一般常識としてやらなければいけないことを、いかにできるか。
メールの返信も、民族衣装のシャツのアイロンがけも。(たたむとどうせシワがついてしまう、のだとしても)
よく、有名な芸術家などは常識が無くてマイペースで~みたいな話を聞きますが、それは天才の話です。そんな感じでも溢れ出る才能があって周りが構ってくれるなら、それでいいかもしれません。(もしくは、性質として常識的なことが全く向かないタイプの人は、苦手なことを頑張る必要はないかもしれませんが)
でも私は凡人です。
凡人の最大の武器の一つは、地道に努力できることです。
ブログはその努力の一環です。
コンセプトは「数を味方につけよう」です。
もちろん質も大切ですが、たくさんの数何かをこなしていることは経験の一つになるし、数をこなしている人は強いからです。
運も才能も私にはよくわからないし、自分にそういうものがあるかどうかもわかりません。でも、目に見えるものを確実に残していくことと、やるべきことを一つ一つやっていくことは、自信と信頼に繋がります。
これは、自分自身が努力している時よりも、努力する他人を客観的に見た時にすごく思いました。
努力することは無駄ではないし、努力できることは強みだし、努力できる環境にあることはありがたいことです。
どこまで頑張れるか、やってみたいと思います。