昨日、「伝統音楽は自然体で演奏される音楽だ」と書きました。
それに関連して、私が考える「自然体でいる(演奏する)ために、やめると良いこと(考え方・習慣)」を3つ紹介したいと思います。
「演奏中に自然体でいたい」という場合、演奏に限らず普段から自然体でいることを心がけた方が良いと私は思っています。そのため、演奏を()で書いています。
ぜひ参考にしていただけたら嬉しいです。
①他人(の演奏)のあらさがし
他人(の演奏)を見て、「ああ、この人はここができていないな」とか「これがまだまだだな」と、あらさがしをしてしまうことってあると思います。
恥ずかしい話ですが、私はよくやっていました。
あらさがしをする理由
あらさがしをする理由は、色々あると思いますが、たとえば
- 自分の方ができているということを確認したいから
- 自分ができていないことを他人もできていないと知ると、安心できるから
- 他人ができていないことを「(あの人はできていないな、ということを)自分は知っている」と思うと優越感にひたれるから
などでしょうか。
あらさがしで得られるもの
要するに「自分が安心したい」とか、「優越感にひたりたい」とか、他人ができていないと知ると「自分も自信がわくから」といった理由からやってしまうのだと思いますが、これは偽りの安心感であり、偽りの自信だと私は思いました。(経験済み)
ここで得た安心感や自信は、肝心な時に役には立ちませんでした。
それどころか、自分が他人をそういう風に見ているように、「他人も自分をそういう風に見てくるだろう」と思ってしまうので、ありのままの自分でいる(演奏する)ことが怖くなります。
他人ができているかどうかは自分には関係がないし、そもそもあらさがしをしている時というのは、他人の「できていないところ(と自分が思っているところ)」ばかりに注目していることが多いです。
その人の良いところに目を向ける…まではいかなくても、あらさがしするくらいなら、別のことに時間とエネルギーを向けると良いと思います。
たとえば、「自分の目標を見る」ことなど。
目標を見る
以前も書きましたが、人は自分の見ているものに向かっていくので、「できていない(と自分が思っている)他人の姿」を見て歩いていたら、自分もそこに行くことになります。書いたのはこちら→他人との比較をやめる(後編)~対処法を考えて実行する~
他人のあらさがしをやめることで、「他人が自分をそういう風に見ている」という思い込みも同時に手放すことができるし、あらさがしをしていたはずの時間に、もっと自分の憧れや好きなものに目を向けることができます。
他人の目をおそれずに、「ありのままでいても大丈夫だ」と思えることこそが本当の意味での安心感だし、「目標に向かって、自分は自分なりに歩いているのだ」という実感が自分に与えてくれるものが、自信なのだと思います。
②自分を過度に良く見せようとする(他人からの評価を過度に求める)
自分を良く見せようと思う気持ちは誰でも持っています。
その気持ちのおかげで、上達したり成長することができます。
でもその気持ちを過度に持っていると、自然体の自分でいる(演奏する)ことはできません。
これは誰でも知っていることだと思いますが。
こんな気持ちがあるかも
わかっていてもなお、自分を過度に良く見せようとするのはこういう気持ちがあるからかもしれません。
- なめられたくない
- 馬鹿にされたくない
- がっかりされたくない
他にもあるかもしれませんが、どれも「されたら嫌なこと」だし、もしもされたら、惨めな気持ちになりますよね。
自分の思い込み/相手の問題
私も、「この人は私のことをなめてるな」と思ったら嫌な気持ちになるし、「馬鹿にされている」と思うことも以前はよくありましたが、後から振り返ってみて、私自身の思い込みも結構あったのではないか?と、最近考えるようになりました。
そもそも本当は馬鹿にされてなどいなかったり、たとえもしも相手が本当に自分を馬鹿にしていたのだとしても、それは自分の問題ではなく相手の問題(相手に事情がある)なのだと思います。
もちろん、たとえばよっぽど影響力のある人に、せまいコミュニティ内で馬鹿にされたら、その場にいられなくなったりして自分にも多少は影響があるかもしれませんが。
馬鹿にされても、たいていは自分が怒るくらいで、現実としては大きな影響が出ないことが多いのではと思います。もしも影響があったら、その時に現実的な解決策(別のコミュニティを探すなど)を考えて行動すれば良いのです。ピンチはチャンスなので。
なめられたり、馬鹿にされたり、がっかりされた(と自分が思った)としても、それは自分の思い込みかもしれないし、そうでなくても相手の問題かもしれない。
「自分は一生懸命やっているから大丈夫だ」と自分を信じることができれば、自分を過度に良く見せようと思う気持ちが少し減るのではないかと思います。
良く見せなくても、自分は今のままで充分だ、という。
③期待されている役割を演じる
期待されている(と自分が思い込んでいる)役割(キャラ)を演じることで、自然体でいられなくなっている人も多いと思います。
たとえばこのような。
- すごい人
- できる人
- おもしろい人
- 変な人/変わった人
- ピエロ役
- 自信がある人
- おしゃれな人
- 緊張しない人
- かっこいい人
- 自由な人
- その他さまざまなキャラ
また、スウェーデンや北欧の伝統音楽関係に限ると、こういうのがあるかもしれません。
- 変わった楽器・音楽をやっている、ちょっと変わった人
- マイナーな分野におけるマニア
- 「日本で数人しかいない」すごい人(ニッケルハルパをやっていると、そういう風に持ち上げていただくことがよくある)
- スウェーデンや北欧の素敵な暮らしを知っている素敵な人
- 北欧雑貨が家にたくさんある人
- 常に北欧のものを身に着けている人(服、アクセサリーなど)
- 自然体っぽく見える人
「心の底からこういう人↑になりたい」という目標を持っていたり、「誰に文句を言われようが何しようが、自分はすでにこういう人である」という場合は全然いいのですが、
「他人の目が無ければ別にそうでもないのに(なりたいとも思っていないのに)、そうであるかのように思われたくて無理をしている」場合は、やめた方が自分のためです。
(すでにこういう人である場合は、それを他人に認めてもらう必要もないですしね)
「期待されている」というのも自分の思い込みであることが多いですし、「他人からの無責任な期待には応じない」という選択肢も常にあります。
他の人の言葉を真に受けない
また、他の人に「○○さんは××だね(誉め言葉など)」と言われたとして、言われた言葉で自分を縛る必要もありません。
「××だと言われたから、××な人として振舞わなきゃ(演奏しなきゃ)」とか。反対に、「××だって言われたのが嫌だから、言われないようにしなきゃ」とか。
他の人はあまり考えないで言っていることが多いし、言った人は忘れていることも多いです。
人は変化するので、言われた状況と今の状況が全然違っているかもしれません。
役割を演じたり、他人に期待されている(と自分が思う)自分にならなくても、誰でも、その人自身(ありのままの演奏)に魅力があります。
演奏でもなんでも、そのままのその人でやってくれた方が、見ている(聴いている)方としてはおもしろいし、人間関係でも信頼度が増すと私は思います。
無理をしているのは周りにはバレていることも多い(と私は思う)ので、周りに気をつかわせないためにも、正直に、普通にしているのが良いかな、と思っています。
以上、自然体でいる(演奏する)ためにやめると良いこと(考え方・習慣)を3つ書きました。
こういった考え方や習慣は長年の蓄積なので、普段からこういう思考(他人のあらさがしなど)を繰り返していると、演奏中だけとりつくろうとしてもボロが出ます。
私自身も意識していきたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。