昨日、伝統音楽の良いところ5つを書きました。
昨日の記事で書いていないことを、さらに1つ書きたいと思います。
「自然体で演奏される音楽」です。
伝統音楽ー自然体で演奏している人が多い
伝統音楽の奏者は、自然体で演奏している人が多いと思います。
(他のジャンルの演奏家のことはわからないので、他のジャンルの人もそうかもしれませんが)
もちろん「こういう風に聴かせよう」「こういう風に演出しよう」という気持ちが、演奏している人に全くないということはないと思いますが(特にミュージシャンの場合は)、
それ以前に、その人の生活の中に、曲がすでに入っている、という印象を受けます。
生活に根差した音楽
その土地に伝わっている音楽や、その土地に住んでいる人の間でよく弾かれている曲など、伝統音楽はそこに住んでいる人達の生活に根差した音楽だと私は感じています。
夏至祭で、民族衣装を着て、踊ったり演奏をしたり。結婚式で演奏されたり。
私が留学していた時には、学校から電車で少し行ったところにある教会で、秋の収穫祭などを伝統音楽でお祝いしていました(教会のミサの時間を使って)。
音楽にあまり詳しくない人や、伝統音楽にほとんど興味の無いような人であっても、自分が育ったところでよく演奏されていた曲は意外と知っていたり、曲が演奏される状況も知っていたりします。
伝統音楽つながりではないスウェーデン人の知り合いから、伝統音楽の話題が出てくることもありました。
(特にダーラナ地方出身の人は、民族衣装を持っていたり、伝統音楽を知っている人の割合が多いと思いました)
音楽に興味のある人だけが知っている世界というのではなく、伝統音楽はそこで生活している人なら目にする光景(奏者たちが列になって演奏している様子)や、耳にする音楽として存在しているというのが、とても良いなと思っています。
奏者と曲の関係
自然体ということとも関連していますが、伝統音楽の奏者は、曲を自分の中に持っている人が多いと思います。
曲やリズムがその人の身体にしみついていて、自然とあふれ出ているような感じです。
「この人たちは、寝ていてもポルスカを弾けるんじゃないか?」と思えるくらいです。
それくらい自然に曲がその人の中から出てきていて、頑張って暗記して準備するとか、音を思い出すという感じではないように思います。
(もちろん、子どもや楽器を始めたての人は、頑張って覚えているだろうと思います)
また、演奏している時も、「演奏しています」という感じの大げさな素振りがあまりありません。
ソファに座ってくつろいでおしゃべりしているような感じで、何時間でも楽器を情熱的に演奏したりするので、すごいと思います。
演奏する時にON/OFFのスイッチを切り替えないというか、スイッチ自体がないという感じで、まるでキッチンでコーヒーを淹れるみたいに、さりげない動作で演奏するなあ、と私は感じています。
あくまでも私の印象ですが。
昨日、「伝統音楽は素朴だ」ということを書きましたが、奏者の演奏のさりげなさ(でも技術があり、とても上手い)と、音楽の素朴さが、よく合っていると思います。
自然体の演奏の良さ
自然体で演奏している人は、のびのびとしていて自由な感じがします。
もちろんただ自由奔放に演奏しているわけではなくて、自分の音や相手の音をよく聴いたり、冷静に状況を判断しながらの演奏だとは思いますが、聴いている人に窮屈さを感じさせません。
あと、自分を過剰に飾って演奏したり、「舞い上がっている」という感じがしないので、聴いている側も楽に聴けるような気がします。
手拍子して盛り上げなくちゃいけないとか、のっている雰囲気を出さなければいけない、と思わなくていいのが、楽です。
スウェーデンの伝統音楽の奏者は、洋服もON/OFFを切り替えない人も多く、普段着のままコンサートのステージに立つこともよくあります。
(男性と女性ではまた違うので、女性は少し着飾っていることもありますが)
それを日本でそのまま真似する必要はありませんが、そういう感覚で、自分の日常生活と演奏シーンを地続きでとらえられるのは良いなと思います。
私もそうでありたいし、そういう音楽を発信していけたら良いなと思います。
以上、「自然体で演奏される音楽」について書きました。
昨日に引き続き、私が思う伝統音楽の良いところについて書いてみました。
ぜひ参考にしていただけたら嬉しいです。
お読みいただき、ありがとうございました。