最近やらなければいけないことがいくつかあり、伝統音楽関係の調べ物の記事が全然書けていないのですが…。
もうちょっとしたら書けるように(時間を作れるように)頑張ります。
ということで、今回は、最近あったことや考えたことを書いてみます。
①ワークショップに参加
先週の日曜日に、レソノサウンドさんで開催された北欧伝統音楽ワークショップに参加しました。講師は北欧伝統音楽奏者の野間さんです。
私は、普段レソノさんでニッケルハルパ教室の講師をさせていただいているので、講師側の立場で伺うことが多く(コンサートにお客さんとして行くことはありますが)、受講者側として参加するのは久しぶりで、とてもおもしろかったです。
なんというか、「気楽だ~~!!!」って感じでした。なんも考えずに、指示に従っていれば良い…!!
皆さん楽しんでいるかな?とか、会話をまわした方が良いかな?とか、考えなくて良いんだぜ~~!!(それを考えるのが嫌なわけでも無いけど)
普段、自分が思っている以上に、私は「(サービスを提供する側として)しっかりしなくちゃ」「ちゃんとやらなくちゃ」と思っているんだな、と思いました。自分のことだけ考えれていれば良いのって、楽…!!
参加される他の皆さんともワークショップ前にお話しできて、それも楽しかったです。
講師側で存在していると、グループで会話していてもなんとなく「あ、気を遣わせているかも…」と感じることが私は結構あるんですよね。周りの方々が、私を一段上げて扱おうとしてくれている感じ…。ありがたいのですが、別にやらなくて全然大丈夫なんですけど、「やらなくて大丈夫ですよ」って言われても相手も困るだろうから別に私も何も言わない…という絶妙な距離感の空気。
でもこの日は私も参加者で、しかも初対面の方も多かったので、他の方と同じ目線で話ができて楽しいな~と思いました。同じ目線だと思っていたのは私だけかもしれませんが。
北欧音楽を少しやったことのある方とか、全くやったことのない方から、お話を伺うと私も勉強になるんですね。
なるほど、そういう所がひっかかるのか、とか、そういう所が新鮮なのか、とか。自分の世界からは決してわからない意見が聞けるので、おもしろいし、やっぱり直接話ができるのって良いですよね。
もちろん話だけではなく、音楽も「直接教わる」ことで初めてわかることがたくさんあるし、エピソード記憶みたいな感じで、曲の覚えがとてもよくなるので、こういうワークショップは、少なくともスウェーデンや北欧の伝統音楽では、曲を教わる場所として欠かせないものだとあらためて感じました。
ワークショップもとても楽しかったです。
ワークショップへの参加が久しぶりすぎて、こういう気持ちを忘れていた気がしましたが、楽器を始めた頃の自分に戻れたような気がしました。
役職とか身分とかは忘れて、何度でも立ち返ろう~と思いました。
②強めの言葉に委縮しない。間違えても良いと思えること
私が演奏しているのはスウェーデンのFolkmusikと呼ばれる音楽で、これは「伝統音楽」以外にも色々訳し方があるのですが(民族音楽/民俗音楽/フォークミュージックetc)、要するに「トラディショナルな曲」です。
で、何の分野でもそうだと思いますが、特にこういうトラディショナルなものって、やっぱり「強めの言葉」で語りたがる人がいるわけですね。
あれが正解でこれは不正解とか、あれはダメだとかこれはダメだとか、あれは正統でこっちは邪道とか。他人の悪口、無意識にバカにしている感じの発言、他人をジャッジする発言が多い、などなど。
(私もきっと無自覚にたくさんやってきたことだと思うので、非常に申し訳ないのですが…)
そして、そういう「強めの言葉」って、相手を委縮させたり、支配する効果があって、私もそれでかなり委縮してきたタイプの人間なんですね。気にしなければ良いのに、相手の言ったことが頭から離れなくて、その人に否定されるのが怖くて行動できなくなる…。
以前は、そうやって自分が委縮していることとか、相手の言葉に支配されていること自体にあまり自覚が無かったので苦しかったのですが、いつからか少しずつそういう自分に気づけるようになってきました。
気づけるようになったら、それだけでもかなり楽になりました。
たとえば、私が何かを弾いて、それを見た人が「あの弾き方は全然違うよね」「あの人いつも同じ弾き方だよね」と言っていたとして、以前はそうやって言われるのが怖くて何もできなくなってしまったり、「どうせ言われてるんだろうな~」と思いながらも一応行動する、けど、全然自由じゃない、結局嫌な気持ちになる…みたいなことがほとんどでした。
(直接言われていなくても、普段からそういう発言が多い人って、「きっと私のこともそういう風に見ているんだろうな」というのがわかってしまいますよね)
自分が言われると、「言われた自分がかっこ悪い」「恥ずかしい」と思ってしまったり、相手が正しいように錯覚してしまったりします。
でもその状況を冷静に、第三者の視点で、つまり、言われているのが私ではなくて他の誰かとして考えたら…
「言われている方は全然かっこわるくない」「むしろ言っている方がダサいし恥ずかしい」ということに、いつからか気がついたんですね。
強めの言葉を使う人とか、他人をジャッジしてばかりの人は、本人は言っている自覚が無く、悪気も無いことがほとんどですし、本当はその人自身が色々なものにとらわれて、怖がっている人です。
なので、その人を変えるのは無理。そしてその人のことを「悪者」扱いするのも、また違うなと思います。本人もどうしようもないわけですから。
だから、代わりに「そういう言葉に動じない自分」を作って行けば、その人のことを過剰に意識する(悪者扱いする)ことも無くなって、自分自身がより自由に音楽を楽しめるのかな、と感じています。
何か言われることを怖れて行動しても、楽しくないし、批判してくる人を意識して作ってしまうと、本当に届けたい人に届けられないですよね。
いまだに、そういう強めの言葉には反応してしまう私なのですが、反応していることに気づくこと。
強めの言葉に委縮しなくて良いと思えること。
何が正しくて何が間違っているかは、見方によって変わるから、相手の見方に自分を合わせなくて良いし、実は皆が皆違う見方をしている、ということに気づくこと。
自分が楽しいと思えることを、一緒にいて楽しいと思える人たちと、やっていきたいと思います。
という感じで、最近考えたことを2つ書きました。
強めの言葉は本当に支配力が強くて、苦手な人は本当に苦手だと思います。私もめちゃめちゃ苦手なタイプです。
音楽に限らず、表現というのは、自分のやることがすべてさらけ出されるので、相手に否定されたらされっぱなしな気がしてしまうのですが、そこで相手の言葉に自分が支配されなければ、その言葉の効果はそのうち消えてどこかへいってしまうと思います。
そしてそこに、自分と同じようなものを好きな人や楽しい人が集まってくれるので、大丈夫です。
私自身も、「人の振り見て我が振り直せ」なので、他人のことを簡単にジャッジしたり、自分と違うものをバカにしたりすることに対して、敏感でいたい(気づけるようになりたい)、と思います。人間なので、「一切やらない」というのは難しいと思いますが、やってしまった後に気づいて反省できると良いなと。
あと、そういう自分が求められそうな場から離れる、そういう会話が求められるような相手と(精神的に)距離を置くことですね。
楽しくやっていきたいと思います。