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発信は練習・嫌なことを嫌だと言える場所(私にとって)

/ ニッケルハルパ奏者

今回は、自分が発信をするようになって感じたこと、特にここ数カ月間に感じたことを、書いていきたいと思います。

発信は練習

発信することって、練習なんだな~と思います。

練習すれば少しずつ上手くなるし、自分がどういう方法で取り組んでいったら良いのかが、少しずつわかるようになる、と思います。

また、日々の発信は、「それ自体が練習」です。

こういうブログとか、SNSとかなんでも良いのですが、ささやかな場所で自分の気持ちを表現する練習をしておくと、いざ人前で話をする時とか、動画を撮る時とか、何かプレッシャーのかかる場面で役に立つんですよね。

先日、「MCが上手くなった」と言われました。

私としては、全くそういう自覚は無かったのですが(むしろ以前よりも「ゆるいMC」になったと感じているのですが、それが自然体で良かったのでしょうか。だったら嬉しい)、なんとなく「ブログやInstagramで毎日何かしら書いているおかげなのかもしれない。やってて良かったな~」と思ったんです。

嫌なことを嫌だと言えるようになる→人と関わるのが怖くなくなる

ブログの文章も、日々変化していると思うのですが、なるべく素直な気持ちで書けると良いなと思っています。

特に私は、普段から言いたいことを我慢してきたり、嫌なことを嫌だと言えない・断るのが苦手な性格なので、ブログの上でだけでも「私はこう思う」「こういうのは嫌だ」ということを表現できると、とても安心するな~と思いました。

「そうだ、私はこういうのが好きで、こういうのが嫌なんだ」と。

そういうことをブログで書いておくと、いざ人と話していてそういう話題になった時に反応しやすくなったり、人の対応に対して「あ、なんか嫌かも」と思った時に、「NO」が言いやすくなるような気がしました。

そして、「私は『NO』がちゃんと言えるんだ」と思えると、人と関わるのが前よりも怖くなくなるんですね。

私は基本的に警戒心が強くて、人と関わるのが怖いと思っている(以前よりは思わなくなりましたが)のですが、それは「自分にはNOが言えない」という自己認識があったからだと思います。

「自分はNOが言えないから、もしも自分が『嫌だな』と思うことを相手が言ってきたり、相手に誘われたりしたとしても、拒否できない」と思っていたし、そのせいで「この人に自分の世界を侵略される」という気持ちになっていたんです。

でも、「私にもNOが言える、嫌なことは嫌だと言える」という自己信頼が生まれると、「侵略される」「支配される」という恐怖心が減るので、知らない相手と関わったり、初めての状況に身を置くことがそこまで怖くなくなるのだと思いました。

そういう変化は、嬉しいですね。

私にもNOが言える。嫌なことを嫌だと言えるんだ!

そう思えるようになったのが、とても嬉しいです。

嫌だと言えずに、相手を恨んでいた

以前は、嫌なことを「嫌だ」と言ってしまったら、何か良くないことが起きるような気がしていました。(今でもたぶん思っていますが)

それが何なのかはわかりませんが、「孤立」とか、「嫌われる」とか、そういうことでしょうか。とにかく、「嫌だと言う」のは良くないことだと思っていました。

でも、そのせいで、自分に対して嫌なことをしてくる人を「恨んでしまっていた」んですね。

「嫌だ」と言うのは、一見相手を否定することに見えるかもしれませんが、自分の気持ちを言っているだけで、相手が悪いとは言っていません。

一方で、相手を恨むというのは、相手を憎むことなので、自分の気持ちよりも、とにかく「相手への怨念」を募らせてしまうわけです。

そうやって考えると、嫌なことは嫌だと、自分の気持ちをしっかり伝えることの方が、相手を恨むことよりも全然良いじゃん!!と、気づいたんです。

私にとって、ブログは一番の安全地帯で、他のSNSよりも影響力が少ない分、「読もう」と思って検索した人にしか読まれないので、自分の気持ちを表現しやすい場所です。

(だからといってなんでも書いて良いとは全く思わないし、個人情報は気をつけないといけませんが)

この場所で色々練習しながら、日々発信していきたいな~と思っています。


発信について、考えたことを書いてみました。

以前はあまり気がつかなかったのですが、私の周りでも、毎日発信している人って他にもたくさんいるんですね。

なので、そういう人たちに私も勇気をもらいながら、楽しく頑張っていきたいなと思います。