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スウェーデンの人達の人付き合いの仕方の良いと思うところ3つ

/ ニッケルハルパ奏者

今回は私が思う「スウェーデンの人達の人付き合いの仕方の良いところ」について、3つ書きます。

私が思うスウェーデンの人達の人付き合いの仕方

スウェーデンに滞在していた時、私は「スウェーデンの人達の距離感・人付き合いの仕方には学ぶところがあるな」と思っていました。

初対面の人同士でも他人行儀すぎず、わりとすぐに打ち解ける。

でも、じめじめはせずにさらっとした人付き合いができる。

親切にはするけど、依存しあうくらいまでべたべたな感じにはしない人が多い。

そんな印象を持っていました。

もちろん人付き合いの方法は人それぞれなので、スウェーデンの人の中にも色々な人がいると思いますが、私が特に良いなと思うことを3つ書いてみます。

①Yes/Noが言いやすい

「私はそれをやりたい」とか、「やりたくない」とか。

「すごく良いと思う」とか、「正直微妙だと思う」とか、「めちゃめちゃ嫌だ」とか。

スウェーデンにいると、自分の気持ちのYes/Noが言いやすい、といつも思っていました。

特に「No」にあたる言葉を、「相手に対する否定や批判」としてではなく、単に「自分の素直な気持ちを表現する手段」として使っているのが印象的でした。

「No」を表現できることって、とても大切だと思います。

にもかかわらず、「No」の意味に「相手への否定(人格否定みたいなもの)」が自動的に含まれてしまうと、それだけで、「No」を伝えることはとても難しくなってしまいます。

相手を否定することなく、「No」を伝えることができる状況というのは、私にとってはかなり過ごしやすい環境でした。

ネガティブな気持ちを表現しやすい

また、特に私が好きだったのは、ネガティブな気持ちの表現、たとえば「嫌だ」とか「面倒だ」とか「不快だ」みたいな言葉を、スウェーデンではニュートラルに使いやすかった、ということです。

たとえば、スウェーデン語だと、”jobbigt”という表現がありますが、これがちょうど「嫌・面倒・不快・つらい…」みたいな気持ちをまとめて表せる表現で、一般的に、かなりよく使われています。

「この状況は、私にとってはかなりjobbigtだ」とか、そういう感じです。

日本で、こういう言葉↑(面倒だ、みたいな言葉)を連呼していたら、「あの人いつも愚痴ってる…」と不快に思われたり、「まあまあ、元気出して」と(求めていないのに)励まされたり、ということになると思うのですが、

スウェーデンで”jobbigt”を使っていても、そういう反応にはならないし、聞いている方もあまり不快に感じないんですよね。もちろん言い方にもよりますが…。

愚痴っているというよりは、「その人の正直な気持ちを聴かせてもらっている」という気分になります。

誰だって、本当は「嫌だ」みたいなことは言いたくないし、言いにくいこと、なんですよね。

でも本当はちゃんと口にした方が良いことなんです。それを口にすることで、より良いシステムや解決方法が見つかるかもしれないし、問題がより明確になりますから。

ですので、そんな「言いにくいこと」を正直に話してくれる人に対して、話を聞いている側がもし第三者なら「その話、じっくり聞くよ」という反応になったりするし、聞いている側がもし当事者なら「話してくれてありがとう。じゃあ、お互いにとって良い解決方法を探そう!」ということになるんですね。

私自身もこういうネガティブな心理状態を表す言葉をよく使っていたし、それがきっかけで事態が良くなったり、話し合いがスムーズにすすむということが、とてもたくさんありました。

誰かにとって何かが負担だったり、つらい状況になっている時、黙っているのではなくて、それを言わないと周りはわからないかもしれないし、問題にすらならないことがあるかもしれません。

自分にとっての問題を周りを共有し、話し合い、改善できることはとても心地が良いです。

自分が抱えるその「もやもや」を、相手を責める意味を込めずに、素直にニュートラルに表現できるのは、良いことだな、と思いました。

自分自身も、言葉にすることで冷静になれたり、「あれ、たいしたことなかったかも」と後から思えたりしますしね。

②正直に、対等に話し合える

ネガティブな気持ちに限らず、スウェーデンでは「お互いの気持ちを話し合う」ことの大切さ、というのを皆さんがよく認識しているように思いました。

Fikaの文化もそうです。交流して、話し合うことでお互いにわかりあえたりとか、話し合うことのパワー(問題を解決できるとか)をスウェーデンの人達はよく知っていて、だから人との交流の時間を大切にしているんだな、と普段の生活のはしばしで感じました。

Fikaは、いかにもスウェーデンらしいもの、かつ紹介しやすい文化として日本で紹介されていますが、結構日本でFikaをやると、お互いに気をつかって話をまわしたり、集団の中で話し役の人と聞き役の人が出てしまったりするんだな、と感じています。

(それが悪いということではなくて、「そうなんだな」と私は思っている、というだけですが)

気をつかって交流するというよりも、ある程度の本音で、お互いに対等に、フランクに話せる状況、というのが根底にあってはじめて、スウェーデンのFikaの文化の良さが出るのかな、と私は思っています。

ちなみにスウェーデンでは敬語などが無く、相手が目上の人であってもお互いにファーストネームで呼び合うし、話し合いの時にも立場を越えて意見を言うことが普通です。

私としては聞いていて少しひやひやする時もありましたが、それくらい対等に物を言いあえるからこそ、「話す」ことが重要視されているのだと思います。

スウェーデンでは、問題を解決する時にはとにかく「話し合う」ことが求められました。

表面的な“話し合い”(=体裁上、話し合ったことにしたいだけの話し合い)ではなくて、正直な気持ちによる、合理的な話し合いです。

話し合いの目的は「問題を解決すること」や「状況を良くすること」なので、表面的な話し合いでは意味がありませんし、感情ベースのケンカでも意味がありません。

話すことを拒否したり、相手の意見を聞くことを拒否するのは、子供っぽい振舞いとしてとらえられていたと思います。(その場合は話し合いはそこでストップで、どうしようもないわけですが)

また、話し合うということをせず、何かを勝手に決めたり決められたりすると、あとで必ずトラブルになっていました。

「正直に、対等に、話し合うことの大切さ」というのはスウェーデンでは特に強く感じました。

これは、日本でそっくりそのまま真似できるものではないかもしれませんが、参考にはなると思うし、日本もそのうちどんどんこういう方向性になっていくかもしれない、と私は感じています。

③挨拶や助け合いはするけど、変によりかからない(距離感をはかるのが上手い)

スウェーデンの人達はよく挨拶したりお互いへの声掛けをしている、という印象がありました。

挨拶をするのは、とても良いことだし、大切なことだなと思いました。

(たまに挨拶を全然しない人もいましたが、そういう人はちょっと浮いていました)

そんな風に、お互いを気にかけたりはしているのですが、さきほどの「Yes/No」のように、それぞれのやることに対しては個人の意思がかなり尊重されていました。

挨拶はするし、お互いに親切にして助け合うけど、変によりかかったり、負担に思うような人間関係の作り方はしない。

その距離感が私には心地よかったです。

(もちろん、仲の良い人とはよく一緒にいることになります)

人それぞれ、心地よい距離感というのは違うし、お互いの相性もあります。

自分の中での「境界線」を、いい意味でしっかりと保ちながら、「境界線の外側」にいる人にもちゃんと挨拶し、困っている時には助け、優しくできる。

そんな絶妙なバランス感覚が、すごいなと思いました。

私自身は、境界線を引くのが苦手だったり、距離感をはかるのがまだまだ下手だったりします(昔よりはよくなってきたと思いますが)。

それで、あとあとになって自分が苦しくなったり、関係性がこじれてしまうことがよくあったので(特に昔はよくありました)、スウェーデンの人達の距離感のはかり方は参考になるな~と思っています。

自分にとっても相手にとっても心地の良い関係性を作れるよう、日々学んでいきたいと思います。


以上、私が思う「スウェーデンの人達の人付き合いの仕方の良いところ」について書きました。

人付き合いの仕方は人によっても全然違うので、「○○人は~(スウェーデン人は、とか、日本人は、とか)」とは一概には言えませんが、私から見て思ったことを率直に書いてみました。

日本で、「自分流の人付き合いの仕方」だけで接していると「どん詰まり」になってしまいそうな人間関係も、実は自分自身の人との付き合い方を変えたり、自分のとらえ方を変えるだけで、違う関係性を作っていけるんだよな、と思っています。

そういう意味でも、やはり色々な人(スウェーデン人か日本人かに関わらず)と接すること、接する機会は大切なのだなと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。