教わったことをどう解釈し、どう消化すれば良いのか?
その答えはもしかしたら人によって違うのかもしれません。
今回は、ニッケルハルパに関して私なりに「教わったことと向き合った」際、試行錯誤したプロセスを書いてみます。
結論を先に言うと、「教わったことを意識するのを一旦やめてみたら、教わったことができるようになってきた」というものです。
ぜひ参考にしてみてください。
①留学中にたくさんのことを教わった
留学中は、たくさんのことを教わりました。
伝統音楽の界隈は特にそうなのですが、有名な奏者達と直接話をしたり、直接指導を受ける機会が、スウェーデンではたくさんあります。
素晴らしい演奏をする人から、直接指導を受けられるのはとても光栄なことだし、日本人の私にとっては非常に貴重な機会です。
教わったことは、教わってすぐに復習し、たくさん練習しました。
②いまいち消化できなかった
しかし、教わったことを教わった通りにやっているつもりなのに、なぜかなかなかうまくいかないし、なんなら「このやり方、あまり良くないのかも…?」とまで思うことが増えていきました。
教わった通りにやっているつもりなのに、なぜ教えてくれた人の弾き方に全然近づかないのか?
むしろ遠ざかっている気がするのはなぜか?
遠ざかっているだけでなく、苦しい弾き方になるのはなぜか?
そんな風に考えて、特に留学後半の半年は結構焦っていました。
結局焦ったまま帰国になり、帰国してからしばらくも、練習しては撃沈し、練習しては撃沈する日々が続きました。
③教わったことを意識せずに弾いてみた
そんな時、教えてくれた奏者のCDを聴いていて、「本人から直接教わっていない曲も弾いてみよう」と思いました。
教わった曲ではなく、教わっていない曲を耳コピして、CDのイメージで弾いてみました。
本人が授業で言っていたようなことはとりあえず一旦置いておいて(無視して)、CDから聴こえてくる演奏を自分なりにイメージして、弾いてみたのです。
すると、「この(耳コピとイメージだけの)弾き方の方が、この人の弾き方に近い弾き方になっているかも…」と思いました。
(教わっていない分、細部は雑でオリジナルな弾き方になっていましたが)
しかも、その弾き方の方が「弾いていて身体が楽」でした。
④「教わったことをやろうとする」のを一旦やめてみた
それまでの私は、一にも二にも「教わったこと」を強く意識して曲を弾いていたのですが、その頃から、なるべく「教わったことを意識しない。むしろ教わった通りに弾こうとするのをやめる」ということを意識してみました。
これがなかなか難しかったです。
「ここでは必ずこう弾く」「音はこういう風に出す」、こういったことが頭にも身体にもしみついていたので、頭で「意識しないように」と思っても、身体が癖になって勝手にそう動いてしまうんです。
特に、自分がたくさん練習していた曲ほど、練習時の自分の思い込みや癖が強く残っていました。
それでも、何度も何度も弾いているうちに、「教わったことを意識する」よりも、「今の自分の身体や自分の音がどうなっているのか」「それは良い状態なのか/悪い状態なのか」をだんだんと意識できるようになっていきました。
それにつれて、「教わったことをやろう」と思ってやっていた癖などが、徐々に抜けていきました。
⑤やめてみたら、教わったことが自然とできるようになってきた
癖が少しずつ抜けていった時に、自分の弾き方を見ていて思いました。
「あ、先生たちが言っていた通りのことができてきているかも…」と。
「教わった通りにやろう」としていた時には全然できなかったこと・理解しきれていなかったことが、「教わったことよりも、自分の音や身体の状態を優先して意識しよう」と思うことで、少しずつできていたり、やりやすくなっていたのです。
これは不思議というか、おもしろいことだと思いました。
要するに何が問題だったのかというと、教わったことをやろうとしていた時には、私は先生たちの言うことを「間違ってイメージしていた」ということです。
授業中の言葉の解釈としては間違っていないのだけど、先生たちが意図したものとは違う演奏イメージ、不自然な演奏イメージを持ってしまっていました。
「教わったことを意識するのをやめよう」とした時、何が起きていたのかというと、「教わったことをもとに自分でイメージしていた弾き方(不自然な弾き方、間違ったイメージ)」を一旦捨てて、「より今の自分の状態に合った自然な弾き方」をするようになったのだと思います。
その結果、先生たちが伝えようとしていたこと(自然で効果的な弾き方)ができるようになってきたのです。
今回書いたことは、以前のブログでも何度か書いていたと思うのですが、以前書いた時は「教わったことをもとに私は間違ったイメージをしているかも」ということと、「間違ったイメージを一旦捨てよう」と思った、という段階(④の段階)までしかいけていませんでした。
それが今回初めて、⑤「教わったことが少しずつできるようになってきた」という段階までいったと思ったので、あらためて書いてみました。
教わったことを意識するのをやめてみようと考えた時、実はかなり抵抗がありました。
「教わったことを意識するのをやめてしまったら、自分流になってしまって、せっかく教わったことが活かせなくなってしまうのではないか?」と恐れていたのです。
しかし、大丈夫でした。
私の場合、本当に「教わったことを捨てる」というよりは、それをもとにイメージしていた「自分の解釈と癖」を捨てただけだったのだと思います。
参考にしている音源自体は教えてくれた人のものを変わらずに聴き続けていましたが、本人がやっていることというのは、音や演奏にちゃんと表れているので、音源を聴くことで伝わることもたくさんあるのだなと思いました。
以上、「教わったこととの向き合い方」について、私が経たプロセスを書きました。
こういう逆説的な展開というのはおもしろくて、自分の変化を見るのは楽しいことだと思っています。
⑤の段階の存在に気がついたのも最近なのですが、「最終的には教わったことはちゃんと活かせるのだ」とわかって良かったです。
「教わったことに縛られて苦しい」とか、「つらい」と思うことがもしあれば、一旦それを手放してみるのも良いと思います。
一旦手放すのは、教わったことを全部捨ててしまうのとは違います。
手放した先で、教わったことを再発見することができるかもしれません。
参考にしていただけましたら幸いです。
お読みいただき、ありがとうございました。