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「Torbjörn Näsbom & Josefina Paulson」のコンサートの日本語訳③

/ ニッケルハルパ奏者

「Torbjörn Näsbom & Josefina Paulson」のコンサートの日本語訳③です。

①と②はこちら↓

「Torbjörn Näsbom & Josefina Paulson」のコンサートの日本語訳①

「Torbjörn Näsbom & Josefina Paulson」のコンサートの日本語訳②

動画

前回の続き(21:51)からの再生になっています。

(21:51~)

(Torbjörn):さあ、続いての曲は「Aprilpolskan(4月のポルスカ)」です。

私はこれまで、ある女の子(tjej※1)と一緒に音楽を奏でてきました。

女の子(tjej)…と言っていますが、少なくとも昔はそうでした、私たちが知り合った頃、約45年前のことですが。

彼女の名前はEva Tjörnebo(エーヴァ・ショルネボー)です。

とても美しく歌う歌い手です。

彼女が今年の4月に誕生日を迎えた時、私は曲を作って彼女にプレゼントしました。

人というのは、ひらたく言えば怠け者(snål=けち、手抜きする※2)です(→遅れて少し笑いが起きる)。

誰かの誕生日のために曲を作って、それは無料で(お金になるものではなくて)、その演奏をFacebookにあげて「おめでとうEva!」と書いてしまえば、その後はもうその曲のことはすっかり忘れてしまうわけですが(考えていませんでしたが)、

そこでJosefinaが「良い曲だね!」と言ってきてくれたので(笑い)、この曲を弾き始めることにしました。

ということで、「Aprilpolskan」です。

※1 途中で、Evaのことを「tjej(シェイ=女の子、少女)」と言っていますが、スウェーデンでは結構いい年齢の女性のことも、ふつうにtjejとかtjejer(複数形)と言ったりします。

日本である程度の年齢の女性に「女の子」と言うと色々な意味で問題になりそうな気もしますが、スウェーデンではあまりそういう感じではないんです。うまく説明できませんが。

※2 snålの訳が難しいと思いました。「ケチ」という意味がある単語ですが、ここではお金よりもエネルギーの節約(=手抜き)という意味かなと思ったので「怠けもの」としました(お客さんが笑っているのもかんがみて)。お金にする予定の無い曲(CDに収録する等の目的の無い曲)はなかなか本腰で練習する気にならないもんだよね、という意味で言っているのだと思います。(そもそもの単語の聞き間違いでなければ)

さらに、話に出てきた「Eva Tjörnebo」は、スウェーデンではかなり有名な歌い手の方です。普段は女医なのですが、いつもにこにことしていて、伝統音楽系の素朴な歌、誰も知らないような歌を宝物として集めることをライフワークとされています。

⑤(22:48~)「Aprilpolskan(4月のポルスカ)」 av Torbjörn Näsbom

(26:17~)

(Torbjörn):さて、ここで私はもう1曲弾きます。

ソロの演奏です。

私は「水」というものに大変魅了されてきました。

といっても飲み水としてではありませんが…(笑いが起きる)

飲み物ならもっと良いものが他にあるので…(笑い)

それよりも、外で水とたわむれる、とりわけ子どもと一緒に水で遊びをする時のことを言っています。

たとえば春に雪がとけて、その水を靴でべちゃべちゃとのばして広げたり、靴についた泥を水たまりできれいにしたり…。

子どもがもう飽きてしまったとしても自分だけそれを続けていて、さらに1時間くらい自分ひとりでそこに立って色々やっていたり…(笑いが起きる)

今ではそこに孫が加わるようになったので、良かったです。(子どもがすでに大きくなってしまった今)、一緒にまた外で遊ぶ理由ができて。

水というのは様々な姿をしています。

小さく弱弱しくもあれば、大きくて危険なものにもなる。

様々な様相を見せてくれます。

そんな様子をこの曲に込めました。

「Vatten(水)」です。

⑥(27:22~)「Vatten(水)」 av Torbjörn Näsbom

このVattenは、Torbjörnの代名詞にもなっている曲の1つです。

(30:27~)

(Josefina):演奏、素晴らしかったですね(Vattenの感想)。Eric Sahlströmのようでした。

さて、続いては私の曲を(2人で)演奏したいと思います。

ただし、今の曲よりももうちょっとマイルドなものを(笑いが起きる)。

今の曲は本当にめちゃめちゃカッコいい曲でした、次の曲はそれとは少し趣の違う曲ですが。

(昨年の)2020年について、私は「とてつもなくおかしな年だった」と思っています。

ほとんどすべてのものがキャンセル(中止)になりました。

しかし、私自身にとっては、去年は最高の1年の一つになったんです。

なぜなら、私の小さな子Malte(マルテ)が年のはじめ頃、1月に生まれたからです。

小さな子どもを持つと、すべての物事の中心が子どもになりますね。

少なくとも最初の頃は。

楽器を弾く時間は、少なくなりました。

しかしながら、音楽は私たちの周りに常にあふれているのです。

Malteと一緒に座っていた時、私にある1つの曲が思い浮かんできました。

曲の全体が(すでに完成された状態で)、急に私のもとにやってきたのです。

特別なものではありません、きわめて日常的な、シンプルなgånglåt(ゴングロート、歩く時の曲)です。

曲名は「Maltes(マルテの)」。 

その時、私の頭にひらめいたのが、「最も日常的な出来事が、最も大きな出来事になりうるのだ」ということ、その偉大さについて、です。

毎日起きていることですよね、「人が生まれ、そして死ぬ」ということは。

それこそが、人生で最も大きなことなのだと思いました。

今から演奏する曲も、そのことを描いていると感じています。このような日常的でシンプルな曲が、とても大きなことを意味しているのだ、という。

たとえそれが本当に小さな(短い)曲だとしても。

「Maltes」。

⑦(32:16~)「Maltes」 av Josefina Paulson

Josefinaが話していることは、子どもが生まれる前、Josefinaが演奏活動を始めて最初の頃に出したアルバムですでに、本人が言っていることと同じだなと思います。

「小さなことが大きなことにつながる」「小さなものの大切さ」など。

お子さんが生まれて、より一層強く感じるようになったのだと思いますが、Josefinaは以前からずっと、そういうものに目を向けてきた奏者なのだと思います。

それがJosefinaの演奏や曲の良さにつながっていて、好きだなと思います。

この曲は以前ご紹介したアルバム「Reflektioner」にもソロバージョン(Malten)が収録されています→スウェーデンの音楽紹介:Josefina Paulson「Reflektioner」(2022)


以上、「Torbjörn Näsbom & Josefina Paulson」のコンサートの日本語訳③をお届けしました。

続きはまた明日書きます。

お読みいただき、ありがとうございました。