伝統曲は、私の発想にはない弾き方や音の出し方をたくさん提案してくれます。
それは、「曲のメロディだけをポンと手渡されたら、自分はこういう風には弾かないだろうなあ(そもそも思いつかないだろうなあ)」と思うような弾き方です。
自分の発想にはないので、最初は違和感も感じますが、試してみると、それまで横の繋がりしか感じられなかったメロディが、一気に立体的になるのがわかります。
平野だと思っていた曲が、山あり谷あり川あり、になります。
「リズムに乗って弾く」というのが、単純にリズミカルに音を切ったりはねたりして弾くことではなく、「意外と粘っているし、しっとりしている」ということも知ったります。
また、一般的に楽器は「きれいに弾くだけではダメだ」と言われたりしますが、いや、逆だ、今よりももっとニッケルハルパがより美しく響くイメージを持とう、と思ったりします。
ニッケルハルパの音色とはどんな音色なのか、知っているようで私はまだ全然知らないのだと思います。
伝統曲が提案してくれる弾き方や音の出し方は、私がまだ気づいていない楽器のポテンシャルをもっと引き出してくれるし、私の知らない弾き方を教えてくれます。
そうして見えてくる曲の姿は、私が自分のイメージだけでメロディをとらえていた時とは、全く違うものです。
聴いている時にはわからなかったことに、弾いてみて初めて「そうなんだ」と気づきます。
知らない弾き方を学び、見えていなかったものを見ることは、とても楽しいです。
曲が提案する弾き方に、自分が少しでも近づけると、その曲を過去に弾いていた人たちと繋がれるような気がします。
一方で、伝統曲を演奏していて、その合間合間に見えてくる奏者の個性が必ずあります。
奏者の呼吸です。
(具体的な呼吸というより、雰囲気とかタイミングという意味での呼吸ですが)
それは、他の誰でもない、その人だけのオリジナルのもので、そのときどきで即興的にどんどん変わっていくものでもあります。
曲が持ち合わせているリズムと、その奏者の呼吸(個性)の組み合わせの全体が、ひとつにまとまって、その人の演奏になります。
色々な人が弾いてきた曲だからこそ、自分だけのオリジナリティと、その場だけの即興性もまたそこに見出すことができる、というのが、伝統曲の魅力の一つなのだと思います。
伝統曲を弾くことで、知らないことをたくさん知ることができるし、過去の誰かと繋がれるような気がするし、でも今の自分の弾き方をそこに見出すこともできる。
このことを、私はとてもおもしろいと感じています。
私のように、スウェーデンで生まれ育っていない人がスウェーデンの伝統曲をやるということは、私が伝統を守ることでもあり、同時に私が伝統に守られることにもなるのだな、と思います。
伝統曲について、今思っていることを書いてみました。
お読みいただき、ありがとうございました。