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ブレーキンゲ地方の写真(その8)カールスクローナの広場周辺。教会など

/ ニッケルハルパ奏者

前回の写真紹介から少し日が経ってしまいましたが、今回もカールスクローナの町の様子をご紹介したいと思います。

カールスクローナの写真紹介、前々回と前回のものはこちら↓

ブレーキンゲ地方の写真(その6)カールスクローナの海辺の写真

ブレーキンゲ地方の写真(その7)カールスクローナの駅周辺~町

それ以前のブレーキンゲ地方の写真はこちら↓

ブレーキンゲ地方の写真(その1)ブレークネ・ホビーの紹介、駅から学校までの道

ブレーキンゲ地方の写真(その2)学校・学校の敷地内の植物

ブレーキンゲ地方の写真(その3)学校の近くの森

ブレーキンゲ地方の写真(その4)森の中の湖周辺

ブレーキンゲ地方の写真(その5)ロンネビーの写真、住宅地・公園・秋の市

町の中心、広場周辺の様子

町の中心(のようなところ)は広場になっていて、歴史のありそうな建物が広場の真ん中や周囲に位置していたと思います。

こんな感じです。

この建物は、今調べて初めて知ったのですが、「Fredrikskyrkan(フレドリーク教会)」という教会だそうです。

1744年に建てられた(塔の完成はその14年後)そうで、イタリアの建築に影響を受けた、典型的なバロック様式の教会だそうです。参考:Svenskakyrkan(スウェーデン語)ページ

Wikipediaにもあります→Fredrik Church(英語)

色々な角度から撮ったもの。

ちなみに周囲は駐車スペースになっていますが、駐車料金は先に機械で払っておいて、領収書のようなものを前の窓のところに置いておくスタイルです。

教会の裏手。

また、教会の近くにはこのような建物もありました↓。

よく目立つ建物ですが、これはカールスクローナの市庁舎(役所)だそうです。神殿のようでかっこいいですよね。

また、さきほどのFredirik教会とはまた別の教会もすぐそばにありました。

正面からの写真でなくてすみませんが、こちらは「Trefaldighetskyrkan(三位一体教会)」だそうです。1709年に建てられた教会で、Fredirik教会同様バロック様式の建築。建築家はどちらも同じ人なのだそうです。

教会も市庁舎も色使いが統一されていますね。

この教会は、町のドイツ語話者のために建てられた教会だった、と書かれています。

参考:Svenskakyrkan(スウェーデン語)Wikipedia(英語)

こちらは、広場のすぐ横のあたりにある劇場(ホール)です↓

確かここで「ドン・キホーテ」のお芝居を見にいったような気がします。

また、広場のそばには町の図書館もありました。

ちょうどトーべ・ヤンソンの100周年か何かで、窓ガラスのところにムーミンなどが描かれていました。

こちらは、広場からメインストリートへ行く途中のケーキ・パン屋さんです。

スウェーデンでは、ケーキ屋さんとパン屋さんがたいてい一緒になっていて、「Konditori(コンディトリ)」という名前のお店になっています。

この時期はちょうど「セムラ」のシーズンだったので、セムラ推しのディスプレイになっていました。

セムラというのは、スウェーデンでは2月の「Fettisdagen(直訳だと「脂肪の火曜日」)」に食べるお菓子です。

シュークリームのような見た目ですが、実際はアーモンドペースト(甘いペースト、マジパン)を塗ったパンの間に生クリームがたっぷり入っていて、シュークリームよりも重い食べ物です。おいしいのですが、たくさん食べることは不可能です。

Wikipedia(日本語)セムラのページ

この写真を撮った頃の5年後、ウップランド地方のToboに留学していた時は、近くの町ウプサラで「町で1番のセムラを決める投票」というのがあり、セムラを推す店同士の攻防みたいなものが激化していた記憶があります。宣伝がすごかったです。

町を歩いていたらついうっかりセムラを買ってしまいそうになるくらい、セムラの写真やディスプレイがたくさんありました。

このカールスクローナのコンディトリの写真は「かなり控えめなセムラの宣伝だな」と、今写真を見返していて思いました。

さて、町の中心から少しいくと、こういうものが見えてきます。

当時は何の建物なのかわかっていませんでした、調べてみたところ「Amiralitetsklockstapeln(アミラリテーツ・クロックスターペルン)」だそうです。

日本語にどう訳すのか難しいのですが、amiralitetはアドミラルティ、klockstapelnは教会の鐘つき台とか、鐘をつく塔と言えば良いでしょうか。

アドミラルティというのは「海軍本部」という意味があるそうですが、この町自体が海に囲まれていて海軍の指揮力が大きかった町だと思うので、「町(市)の公式な教会の鐘つき台」のようなイメージかなと思っています。

近くにAmiralitetskyrkanという教会があるそうでその教会の鐘つき台のようなのですが(Wikipedia)、教会の方は私は見ていなくて、こちらの鐘つき台(塔)だけ遠くから見ていました。

ゴミのポイ捨てがあるのが残念ですが、もやがかかっていてきれいな景色だなと思いました。

カールスクローナと言えば、この鐘つき台の景色もよく思い出します。


以上、カールスクローナの町の中心、広場周辺の様子などをご紹介しました。

当時はよくわかっていなかった建物も、調べてみると意外と歴史があったり、色々なことがわかるのだなと思いました。

日本でも、「いつも何気なく見かけているけど実はすごい建物」とか、よくありますよね。

今回記事を書いてみて、カールスクローナのことがよりわかって良かったです。

お読みいただき、ありがとうございました。