Bosse Larssonの追悼コンサートの和訳⑥です。
前回までのものはこちら↓
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳①
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳②
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳③
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳④
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑤
動画
前回の続きから(34:29~)です。
(Bengt):続いてはデュオをお聴きいただきたいと思います。
デュオのうちの一人は、Viksta-Lasseを長く知っている人、Viksta-Lasseの息子さんの娘さん(孫)であるGunnel Viking(グンネル・ヴィーキング)です。
Gunnelが一緒に演奏するのは、彼女の夫、と言えますかね、Örjanです。どうぞ。
(※Bengtが言っていることをちょっと単純にして訳しました)
(Örjan):こちらで演奏させていただけるのをとても嬉しく思っています。Bosseをしのぶことができるのを。
Björklinge(ビョルクリンゲ※地名。Bosseの住んでいた所)育ちの私にとって、Bosseはいつも一緒にいてくれた人でした。
学校に通い始めた頃、学校の終業式の頃(※1年の終わりの終業式だと思う)に、いつも彼は他の演奏家たちとともに民族衣装を着てフィドルを演奏してくれて、6年生になるまでずっとそうでした。
それから私はRobertと一緒にハードロックを演奏していて、Bosseはその演奏(ライブ演奏など)をカセットで録音してくれていました。
とても楽しかったです。Bosseもその演奏を楽しんでくれていました。
Bosseが一度休暇だった時、代わりに私の父が録音係をしたのですが、父はそんなに機械が得意ではなかったので、「曲と曲の間だけを」録音していたんです。
(笑いが起きる)
そして、曲が始まったらスイッチオフ。
(笑いが起きる)
さきほどの、BosseがViksta-Lasseを録音した時のエピソード(※「曲と曲の間の話を録音していなかったことを後悔した」という話)を聞いて、「父とBosseは二人合わせたらちょうどいいかもしれないな」と考えていました。
そうすれば、音楽とエピソードの両方を録音できたでしょう。
(まだ笑いが続いている)
そして次のライブ(コンサート)の時にはまたBosseが休暇から戻ってきて録音してくれました。
Bosseはまた、Gunnelがよく言っているのですが、本当に思いやりのある人でした。
特にViksta-LasseやViksta-Lasseを取り巻く伝統の継承に関して。
伝統を守ること、Viksta-Lasseのレパートリーを保存する(=人に伝える)ことについて。
Gunnelがよく覚えていることだそうですが、彼ら(LasseとBosse)がどこかへ行って演奏する時、Lasseは高齢だったので心配事などもあったそうなのですが、BosseがLasseをよく手伝っていたそうです。
Bosseはまた、Gunnelの演奏もとても気に入っていました。
Bosseが言うには、「Gunnelの演奏は最もViksta-Lasse本人の演奏に似ているから」だそうです。
そして最近聞いたのですが、GunnelのいとこがGunnelと一緒に弾く予定があった時、Hemköp(ヘムシュープ※スーパーマーケットのチェーン店)のBjörklinge店でちょうどBosseと会ったそうなんです。
いとこの彼は言いました。
「土曜日にGunnelと一緒に弾く予定なんだ」と。
するとBosseは、
「おやおや。最高だな!」
(笑いが起きる)
(※Bosseのコメントは「Då blir det åka av」。意味は色々な意味にとれますが、ここでは「そいつはいいや」「さあいこう」「最高だ」的な意味だと思います)
ということで、最高のやつを演奏します。
Bingsjö(ビングフェー※地名)のSkänklåt(フェンクロート)です。
(※Skänklåt(フェンクロート)は、昔、演奏家が演奏のチップをもらうために歩きながら演奏した曲のことです)
⑧(37:20~)GunnelとÖrjanの演奏1:Skänklåt från Bingsjö(ビングフェーで伝わるフェンクロート)
(39:38~)
(Örjan):もうちょっとだけ、思い出話をさせてください。
私たちはよく旅行に行っていました。
Gunnelと私、それからBarbroもBosseも一緒でした。
ドライブ旅行、というのでしょうか。とても楽しかったです。
またそれとは別に、CajsaとBosseと私とでアメリカに行きました。2回くらい。
そうすると、いつもBosseと私が同じ部屋に泊まることになります。
ちなみにBosseはいびきはかきませんでしたよ、その状況は私にとっては新鮮でしたが…。
(と、わざとGunnelを振り返り、笑いが起きる)(←Gunnelはいびきをかくということ)
まあとにかく静かで、寝るには快適でした。
海外に行くと、胃腸の調子が崩れるということがよくありますね。
Bosseはそれへの対処法を知っていました。彼はいつも寝る前に、何かのカプセル剤を飲むようにしていました。
私たちがアメリカに行った時も、確か1週間半~約2週間くらい滞在したのですが、スウェーデンに帰る前日の夜、「いや、もう今日はカプセルはいらないだろう」私たちは考えました。
アーランダ空港(スウェーデンの空港)に到着して女性陣(妻たち)が迎えに来てくれた時に、震えなくて済むように、と。
(※↑ここの「震える」のくだりは意味がちょっとわからなかったのですが、「カプセルの影響で、もしかしたら飛行機で具合が悪くなるかも」と心配していたのかな?と思います。それで飲むのをやめた、と。違うかもしれませんが)
そしてその夜はカプセルは飲まずに、歯を磨いて、ベッドに入って、電気を消しました。
10分くらい経った頃でしょうかね。
Bosseがベッドからこう言うのが聞こえました。
「…Örjan!…眠れないんだ…!」
(笑いが起きる)
「口の中が、歯磨き粉の味でいっぱいなんだ…!」
(笑いが起きてしばらく続く)
そこで私たちは考えをあらため、カプセル剤を飲みました。
では、「Blinda Kalles polska(ブリンダ・カッレ(盲目のカッレ)伝承のポルスカ)」という曲を演奏します。
⑨(41:19~)GunnelとÖrjanの演奏2:Blinda Kalles polska(ブリンダ・カッレ(盲目のカッレ)伝承のポルスカ)
(44:18~)
(Bengt):ÖrjanとGunnel、ありがとうございました。
私はこの機会にぜひGunnelに再びお伝えしたいことがあります。
Viksta-Lasseの昔の民族衣装を私に保管させてくださって(ゆずってくれて)、あらためて本当にありがとうございました。
本来はこういうものはあなたや親族が持つべきものなので、本当に、ありがとうございます。
さて、次もデュオの演奏です。
(続きはまた明日)
続きはまた明日にします。
Örjanは話がうまいんだなあ、とこれを見ていて本当に感心しました。
オチがわかりやすいので、私も訳しやすいです。意味がとれないところがあっても、話の流れがわかりやすいので、想像しやすいです。
ちなみに話に出てきたスーパーマーケットHemköpは、スウェーデンでよく見るチェーンのスーパーの1つです。
明日もどうぞお楽しみに。
お読みいただき、ありがとうございました。