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勇気や希望をくれる人のことを見続ける

/ ニッケルハルパ奏者

自分に勇気や希望をくれる人の方を見続けることは、とても大事です。

でも、難しいです。

自分に対して批判的な人の方を向いてしまうことの方が実際は多いかもしれません。

今回は「勇気や希望をくれる人のことを見続ける」について書きます。

批判的な人に目がいきがち

色々な人と接していると、いつの間にか「自分と合わない人」に気をとられてしまうことがあります。

「話していて違和感のある人」「一緒にいるとなぜか緊張を感じる人」「人の批判やあらさがしをしている人」「批評家」「自分の機嫌によって場の空気をコントロールしようとする人」

そういう人に出会うと、「なんなんだろうこの人は」とか、「なんでこんな言い方をするんだろう」とか、「自分の対応がまずかったかな」とか私は考えてしまいます。

そういう風に考えているうちに思考がどんどん暗くなり、視野が狭まります。

少なくとも世界は広がりません。

だから、そういう人の方を向くのはやめにしようと思いました。

もちろんとても気になってしまうのですが、そこであえて違う方向を向きます。

自分に勇気や希望をくれる人の方を見るんです。

勇気や希望をくれる人の方を見る

他人の「良いところ」をたくさん知っている、ちょっと能天気そうな人よりも、「批評や批判が上手い人」の方が頭が良さそうに見えたり、カッコ良さそうに見えたり、博識そうに見える時があります。

その見た目や空気にだまされてはいけない、と思います。

自分が向かうべきは、他人の良いところをたくさん見つけることができて、小さなことにも関心を寄せることができて、見ていて勇気や希望をくれる人や、背中を押してくれる人です。

音楽で言えば、他人の音楽や、過去に組んだ相手の批判・批評をする演奏家よりも、「自分自身が次の音をどう出すのか」についての好奇心でいっぱいな人。

なんとなくすごそうに見える演奏家、ではなく、その演奏を聴いて、心から自分が「すごい」と思える演奏家。

音に、勇気や希望や感情が満ちている人。

そういう人の方を向き、そういう人のことを見続けます。

(最近見たコンサート↓)

勇気をくれる世界とつながる。たとえばスウェーデン

私の場合は、勇気と希望をくれるものは、音楽や人以外にも、「スウェーデンの風景」があります。

スウェーデン以外の国でスウェーデンの音楽をしていると、たまに「スウェーデンっぽさを競う意識」とか「現地っぽいかどうかのマウントのとりあい」みたいなものを感じてしまう時があります。

私の気のせいかもしれませんが。

そういうのを感じると率直に「窮屈だなあ」「面倒くさいなあ」と思います。

それが、スウェーデンにいると、「そんなのどうでも良くない?」と思えて、すごく楽になるんです。

何がどうであれ、とりあえず今はスウェーデンにいるのだから、スウェーデンっぽさや博識さを競うなんて無意味だ。

この風景とこの気持ちがあれば、それで充分だ。

そんな風に思えます。競うこと自体が小さいことだと思えます。

そんなおおらかな気持ちと自信は、私が日本にいる時でも、スウェーデンの音楽を聴いたり、スウェーデンの風景を見たり、スウェーデンのTV番組(ガーデニングか家作り関係の番組)を見るだけでも、私の中に湧いてくることに気がつきました。

TV番組はたとえばこちらなどが好きですが→Trädgådstider(ガーデニングなどの番組)Husdrömmar(マイホームを建てるドキュメンタリー)

スウェーデンとつながることが、私に勇気を与えてくれます。

自分がやっていることがスウェーデンっぽいかどうかに関わらず、スウェーデンを感じて「ほっとする」この気持ちが自分の中にあるだけで、OKです。

スウェーデンの景色はパワーがあるし、スウェーデンの人達の考え方は、合理的なのにあたたかい。

それに、伝統音楽の世界はやっぱり楽しくて美しくて大切なものです。

その世界と直接つながってしまえば、他の人の意見は蚊帳の外になるし、批判的な人のことすらも、あたたかく見られるような気がします。

明るい方を向き続けるのは難しい。それでも見続ける

一方で、勇気や希望をくれる人の方を見たり、勇気や希望をくれる世界とつながり続けるのは、とても難しいとも思います。

なぜかはわかりません。

いつも明るくいるのが、おバカで能天気に思えるからかもしれません。

楽観的になるのが怖いからかもしれません。

良いものばかり見続けることには抵抗が出ます。

自分の思う通りにいかない出来事、自分のことを嫌っているかもしれない人、一緒にいて気づまりな人…。

そういう出来事や人のことを見続ける方が、「楽」に感じる時もあります。

その楽さに、抵抗します。

明るく平和な方を見続けることに「抵抗」が出たとしても、そちらを見続けます。

(↓この右側のアコーディオンのおじいさん、セッションに行く度に会いました)

演奏も、トークも、結局は「自分が見ている世界をお客さんや周りの人と共有すること」です。

自分自身が、スウェーデンの風景と、そこで楽しく暮らす人たちの姿と、国籍に関わらず、伝統音楽や様々なものを通じて出会った人たちとの交流で得たものを、心に持ちイメージし続けられるかどうか、です。

それができれば、必ず伝わると思います。

勇気や希望をくれるもの方を見続けたいと思っています。


以上、「勇気や希望をくれるものを見続けること」について書きました。

お読みいただき、ありがとうございました。