①・②・③に続き、ニッケルハルパ奏者Eric Sahlströmの動画の解説と訳をしていきます!
今回で最後までいきます。
①・②・③はこちら→Eric Sahlströmの動画(解説・訳)①、Eric Sahlströmの動画(解説・訳)②、Eric Sahlströmの動画(解説・訳)③
動画
今回は、前回の最後の方を含めて、6:09~再生にしています!
曲作り~Hardrevetのエピソード
Jan Ling:曲はどうやって思いつくのですか?
Eric:歩いている時が一番思いつきやすいですね。音がやってくる(音が思い浮かぶ)ので、あとからそれに付け足して(構築して)いきます。
ある日、森の中を散歩していたら、狩りをしている人がいました。
ウサギ(野ウサギ)狩り(Harjakt)です。
それで、(猟師の相棒の)犬が歩いているのが見えたのですが、その犬のすぐ後ろを、野ウサギが跳んでいたのです。
それがまるで、「野ウサギが犬を追って狩りをしている」ようでした。
その方がおもしろいと(野ウサギが)思ったのでしょう(=犬に追いかけられるよりも、自分が犬を追いかける方がおもしろいと思ったのでしょう)。(※ここ、もしも違っていたらすみません)
その様子を見てすぐに、私はポルスカを作りました。
タイトルはHardrevet(ウサギ狩り/ウサギ追い)。これ以上に良いタイトルは見つけられないぞと思いました。
(※hare(ハーレ)…野ウサギ。それに対し、ペットやキャラクター等の普通のウサギは「kanin(カニーン)」と呼ばれます)
(※jakt(ヤクト)…狩り、猟。そのうちの一種が「drevjakt」=追いたて猟)
Jan Ling:曲を聞かせてもらえますか?
7:00~7:52、Ericの演奏(Hardrevet)
Eric:(最後に低音弦をボーンとはじいて)猟師が野ウサギに向けて銃を撃ったので、その場面も曲に入れないといけません。
Sture Sahlström(1923-2009)登場
Jan Ling:Eric、あなたは「お父さんとお祖父さんがニッケルハルパを演奏していた」と以前話していました。
でもそれだけではなく、サールストルム家にはあなた以外にも今の世代でニッケルハルパを演奏する人がいますね。
たとえば、あなたの弟さんのSture(ストゥーレ)です。
(画面に急にStureが登場)
(Stureに対して)あなたのニッケルハルパはどうやって手に入れたのですか?
Sture:これはEricが作りました。彼の製作の中でも、最初の頃に作ったものの1つだと思います。彼が削り出して作っていて、スプルースでできています。
Jan Ling:お二人はMasbo(マースボー)で育っていますね。そこにお父さんとおじさん(※叔父か伯父)も住んでいました。Masboでの音楽の様子について教えていただけませんか。
Sture:たとえば、こういうことがたまにありました。父とおじはもう寝ていたのに、村の若者たちがやってきて、ドアをノックするのです。「踊りたいから演奏してくれないか?」と。
広間の床は徐々に擦れて(削れて)いってしまったので、新しい床に張り替える必要がありました。当時は靴底に金属が貼ってありましたから。
(※Klackjärn=靴底に貼った金属(Wikipedia)。靴底が擦り減らないように(+音が鳴るように)といった理由で、当時は靴裏に金属が貼ってありました。タップダンスの靴のような感じです。今は、踊る時にはこういった金具のついた靴は「履かない」ことがマナーになっているかと思います)
Jan Ling:床を傷つけるんですよね。
Eric:父が弾いていたスレングポルスカ(※)を弾きましょうか。
(※スレングポルスカ(Slängpolska)…「スレングポルスカ」というのは通常、スウェーデン南部を中心に踊られる「歩くようなダンス」の種類を指しますが、実はウップランド地方では、別のダンスを指す言葉でした。なので、この曲も「現代のスレングポルスカが指す曲とは別のタイプの曲」になっています)
9:15~EicとStureの演奏(Tobogubben)
おわり
参考・補足
Hardrevetのエピソードについて
Hardrevetのお話が出ました。
このエピソードはVäsen Duo(ヴェーセン・デュオという2人組)がコンサートの時にも話していて、その時の様子も訳した記事があります↓
「Väsen Duo i Bror Hjorths Hus」(2021)コンサートの日本語訳②
実はヴェーセンのお二人が話している内容と、今回のEricの話の内容とでは、詳細が違う部分が結構あるかと思いますが(私の訳の問題もありますが)…
こういうエピソードって話す間に変わったり(後から詳細を思い出して付け加えたり、思い違いがあったり、ちょっと盛っちゃったり)するものなので、その辺はざっくりと聞いておいても良いのかなと思います。
(訳はなるべく会話に忠実にしようとは思っているのですが、間違っていたらすみません)
いずれにしても、Ericの演奏ってやっぱりすごいな~!!と思いました。しっかり強弱もつけているし、昔の録音技術でも、音の美しさが伝わってきます。
靴底の金属の話
靴底の金属の話ですが、留学中(特に初期)にダンスの先生が何度も「室内で踊る時に、金属のついた靴は履かないでね!!」と言っていて、当時の私は「普通そんな靴持ってなくない?なんでそんなに何度も言うのかな?」なんて思っていたものです。
あまり日本では見ない気がするのですが、昔のスウェーデンではよく履かれていたのでしょうね。
私が留学していた学校では、月に2回くらいダンスで学校の広い部屋を開放する時があったのですが、1度、どうやら金属のついた靴を履いて来た人(一般の人)がいたみたいで、その人が通ったあとだけ床が全部傷ついてしまっていて、先生や職員さんたちがかなり腹を立てていました。
スレングポルスカ
さきほど注釈で書いた通りですが、少し前のウップランド地方では、「スレングポルスカ」というのを(今一般的に使われる「スレングポルスカ」とは)別の意味で使っていました。
「Släng(スレング)=投げる」という意味があったので、スレングポルスカも、「投げるような感じの(ジャンプするような)ダンスだった」とも言われます。
(それに対し、今一般的になっている「スレングポルスカ」は、もともとスウェーデン南部を中心に踊られてきたダンスで、歩くような穏やかな雰囲気のダンスです)
なんとなく、今で言うボンドポルスカに近いのかな?と思っていて、今回EricとStureが演奏している曲も、今は「ボンドポルスカ(Bondpolska)」というタイプに分類されますね。
なので、たとえばビス・カッレの曲で有名な「32番」という曲があり、これがよく「スレングポルスカ」と紹介されているのですが、
「あれはスレングポルスカじゃない!当時のウップランドのスレングポルスカは別のダンスだったんだぞ~!あれをスレングポルスカと言わないでくれ~」
と先生の1人がよくぼやいていました。
ただ、現代の傾向として、「歴史的にスレングポルスカが踊られていたかどうかに関わらず、なんとなく『この曲ってスレングポルスカ踊れんじゃね?』みたいな曲は、どれでもスレングポルスカって言ってしまおう!」みたいな空気があるので、そういう意味で、スレングポルスカと呼ばれる曲は「増えて」いるかもしれません。
(歴史的にスレングポルスカが踊られていた地域というのは、スモーランド地方やスコーネ地方など、中部~南部の地方になりますので、そのあたりの伝統曲を「スレングポルスカ」と呼ぶのは理にかなっていると思います)
細かい解説を入れてしまいましたが、こんな感じでEricの出演部分を訳・解説してみました。
参考にしていただけましたら嬉しいです!
