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スウェーデンの村・社会とのつながり(Så byggdes Sverigeを見て⑧)

/ ニッケルハルパ奏者

建築物から、スウェーデンのここ100年間の町(農村部から都市部まで)の様子をたどっていくTV番組「Så byggdes Sverige」(全8回)。この番組を見て知ったことや学んだことを去年の年末から書いてきましたが、今回で最終回です。

今回はスウェーデンの「村(By)」「社会とのつながり」についてです!

★今までの記事はこちら↓

スウェーデンの一軒家(Så byggdes Sverigeを見て①)

スウェーデンの都市部の発展(Så byggdes Sverigeを見て②)

スウェーデンの工業地域/産業都市について(Så byggdes Sverigeを見て③)

スウェーデンの田舎(Så byggdes Sverigeを見て④)

スウェーデン都市部の住宅の歴史(Så byggdes Sverigeを見て⑤)

スウェーデンの郊外(Så byggdes Sverigeを見て⑥)

スウェーデンの町の中心部の変遷(Så byggdes Sverigeを見て⑦)

今回メインで使われていた、番組サントラの曲↓

8.By(ビー、村)

By(ビー)ですが、スウェーデン語の子音「y」は、口を「ウ」にすぼめた状態で「イー」と発音します。

(なので、カタカナだと「ュ」のような感じになり、「By」なら「ビュー」みたいに表記にされることも多いかと思います)

意味は「村」。スウェーデンの地名は「○○by」という名前の所が多いのですが、これは「○○村」ということです。

今回の番組タイトルは「村」ですが、村そのものの歴史というよりは、「村に存在していたような人と人とのつながり」に焦点が当てられている回になっています。

1920年代の村での生活

当時はスウェーデンには農民が多く、農業は最も一般的な職(収入)でした。

村にもまだ人がたくさん住んでいて、人口の多くが(都市部などではなく)村に集中していました。

農家は、自分たちが育てたもので自給自足の生活を送るだけではなく、余分に収穫した野菜や卵、苗(種?)などを売って生活。まだトラクターが無い時代だったので、馬の力を借りて農作物を育てていました。

村で重要なのは、お互いに助け合うこと。協力関係が欠かせませんでした。

『長靴下のピッピ』で有名なアストリッド・リンドグレーン(スウェーデンの作家)の作品『やかまし村のこどもたち』が、まさにそんな村での農民たちの生活を描いていました。これは彼女の父が育った地、スモーランド地方のSevedstorp(セーヴェーズ・トルプ)を舞台にした物語です。

(※なんて書きつつ、私自身は『やかまし村~』の内容をあまり覚えていませんが…YouTubeに映画化した時の映像が出ているのでもしよければご覧ください→https://youtu.be/wCyyaQqHOsY?si=hc0UPYTEmk0o6F8-

トラクターの登場、農業の機械化→人手が不要に→都市部へ人が移動する

番組4回目の「田舎」の回でも見ましたが、その後、トラクターが登場。

農作業に大きな変化が訪れます。

まず、機械は馬と違って疲れないので、長時間の作業が可能に。そして、より効率的な作業も可能になることで、人の手が不要になっていきました。

村での仕事を失った人々は、職を求めて都市部へと移り住んでいきます。都市部では新しい職業がどんどん生み出されていきました。

都市部に移り住んだ人の中には、①本当は村にいたいけど、仕事が無いので仕方なく都市部へ行く人と、②村での閉塞感が嫌で、憧れてあえて都市部へ行く人(特に若者)、この両方がいたそうですが、結果として多くの人口が都市部へと流れていったそうです。

都市部で村を再現する動きー「近隣住区(Grannskapsenhet)」のコンセプト

そんな中、「村にあったような人同士のつながり」(※Bykänslan=直訳すると「村の感じ」)を再現しようと注目されたのが、「近隣住区」という考え方でした。

これは人間関係が希薄になりがちな都市部において、「人と人とのつながりを感じられるような小さな単位での社会を形成しようとする(そういう町づくりを目指す)」試みで、都市計画の新しいコンセプト(理想)として、(第二次大戦以降に)多くの都市で掲げられるようになったそうです。

(※「近隣住区」について、ウィキペディアの説明→「計画的に築かれた住宅地の単位で、田園都市構想とともに20世紀のニュータウン建設を支えた理念の一つ。幹線道路で区切られた小学校区を一つのコミュニティと捉え、商店やレクリエーション施設を計画的に配置するもの」)

こういった地域では、マンション(団地)を建設するだけでなく、その近くに「お店」・「公園」・「噴水などの広場や遊び場」・「保育園」・「学校」などがそろっていました。

(※番組6回目の「郊外」の回に出てきたようなABC町と似ていますが、マンションのデザインが凝っていたり、公園・保育園・学校も存在している、というのがまた少し違う部分かと思います)

また、これらの地域は非常によく計算されて設計されていたそうで、たとえばお店を作る際にも、入り口をあえて少し「せまく」作ることで、人と人とがゆずりあったり、すれ違う時になんとなく挨拶してしまう、という仕組みを取り入れていたそうです。

子どもを中心とした環境づくり

別の回でも紹介されていましたが、当時はちょうど「子どもの成長の重要性」というのが社会に認識され始めていた頃で、保育園や学校の充実・子どもの成長にふさわしい環境を整備する重要性(子どもが暮らしやすい住居や、安全な遊び場を作ることなど)が強くうたわれていた時代でした。

「近隣住区」のコンセプトで作られた地域もそれは同じで、たとえばマンションのドアにドアノブが2つ上下についていたり(1つは大人用・1つは子ども用)、子どもが外で遊びやすいような環境を作ったり、今で言う児童館のようなものを作ったりしていたそうです。

(※「マンションのドアにドアノブが上下に2つ並んでいる」というのは、私もスウェーデンで見かけてはいたのですが、1つが「子ども用」だったということを、番組を見て初めて知りました。ただのデザインだと思っていました)

人と人との出会いの場ー散歩道や緑地の設置

近隣住区のコンセプトを成功させる要素として「子どもが皆同じ学校に通っている」というのは大きな要素だったそうですが(子ども同士のつながりがあることで、大人たちのつながりも作りやすい)、他にも重要だったのが、「人と人との出会いの場」を地域内に作ることでした。

そのために設計されたのが、たとえばちょっとした「散歩道」や「遊歩道」、「緑地」などです。

このようにして、人々が散歩したり楽しんだりして、自然と交流が生まれるようなスペースも積極的に作られました。

1960年代ー様々な地域で近代化がすすむ

その一方で、これまでの回でも出てきましたが、1960年代以降は様々な地域で近代化がすすんでいました。

世界の他の国々の産業発達(戦後の復興と経済成長)の影響で、特に1970年代以降、スウェーデンの産業は、分野によっては徐々に衰退し始めました。工業地域に住んでいた人々は、「その地域の地盤となっていた産業」が失われることで職を失い、次第に都市部へ移り住みます。(スウェーデンの工業地域/産業都市について(Så byggdes Sverigeを見て③)

その分、都市部では住宅不足が起こり、郊外での「ミリオーン・プログラム(1965~1975年の10年間で「100万戸の住居」を建設する計画)」が進められ、郊外に人が集まっていきます。(スウェーデンの郊外(Så byggdes Sverigeを見て⑥)

それは村も同様で、村での生活も近代化する(電気が通る、トイレが家の中にできるなど)一方、村の消滅や過疎化も徐々に進んで行きました。

村の存在をおびやかした要素3つ

ここで、「特に村の存在をおびやかした要素」として、番組では3つの要素が挙げていました。

1つ目は、自治体再編。当時800あった自治体が260まで減らされることになり、村の力(決定権)も公的サービス(郵便局など)も村から消えていったそうです。

2つ目は、農場の大規模化。国は「より少ない人手でより大きい農場を運営する」ことに対して積極的だったため、小さな農家には厳しい時代になりました。

そして3つ目が、失業(仕事が無いこと)。さきほども書いた通り、機械化により人手がいらなくなり、仕事がなくなってしまいました。番組では、「これが一番大きな要素だった」と言っていました。

人がいなくなれば、お店も減る。お店がなくなれば、人も減る。

1980年代以降ーポストモダンな住宅。様々な形での「村」

さて、そんな中でまた別の動きがあります。

都市部のコンクリートジャングルでの暮らしに疲れた人たちが出てきたのです。

郊外の団地にも住みにくい。

かといって、いきなり田舎に行っても仕事が無い。

この矛盾する要素を解決する手段として、「都市部からは少し離れつつ、通勤ができて、かつての村のような人々のつながりを感じられる」ような場所を目指して、1980年代に設計されたのが、ポストモダンな住宅地でした。

1980年代の住宅(マンションなど)は、それまでの郊外のミリオーン・プログラム(100万戸住居建設計画)で建設された「シンプルな外見の設計」に対抗するかたちで、「パステルカラーを使ったカラフルな色調」や「装飾」を使いながら、「ユニークな形のもの」が建設されたそうです。

また、この頃から都市設計で大切にされ始めたのが、町の「適度な規模感」や「住み心地」、「安心感」でした。

「大きすぎず小さすぎない」規模のマンションや住宅地を作ることで、適度な距離感の社会をその地域に作ることが目標とされました。

(これは、あまりに規模が大きすぎると、人々が互いに無関心になってしまい、何かトラブルが起きた時に「自分ごと」としてとらえるのが難しくなるし、小さすぎると閉塞感を覚えて窮屈になってしまうからです)

2000年代に入ると、都市部はますます大きくなり、村はますます人口が減っていきました。治安が悪くなるところもありましたが、一方で、「町おこし・村おこし」に立ち上がる住民も増えています。

古い家屋を、昔の状態を再現しながらリフォームして、あえて「観光施設」として残す動きもあり、冒頭の『やかまし村』の舞台となった地域Sevedstorpも今は観光施設として貸し出されたりしているそうです。

「誰も気にかけなくなった家・地域」というのは、すぐに荒れてしまうそうですが、誰かが自分ごととして立ち上がると、それに協力する人たちが出てきます。

番組では締めくくりとして、これまでの回を総括しつつ、「今では様々な地域で、様々な形(タワマン・団地・一軒家の並ぶ住宅地)で、それぞれの『村』が作られているのかもしれない」とまとめて終わっていました。


こんな感じです。

今回はこれまでの総括的な話が多かったです。私のこの記事で上手くまとめられたかどうかはわかりませんが、何か参考になれば良いなと思っています。

個人的には、スウェーデンの町や建物について色々と知ることができておもしろかったです。スウェーデン語の勉強にもなりました。

こうして見ていると、時代の流れというのはだいたい少し「いきすぎて」から、「戻る・修正する」ということの繰り返しが多いのかな?と感じました。

では、読んでいただきありがとうございました!