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「人に利用されること」が怖かった私が、再び「人のために動こう」と思うようになった話

/ ニッケルハルパ奏者

私がついこの前まで感じていた不安や恐怖と、それについての最近の気持ちの変化について書きたいと思います。

人に利用されること/わかってもらえないことへの不安・恐怖

私は、ずっと「人に利用されること」や、「自分(やニッケルハルパやスウェーデンの音楽)のことをわかってくれていない人に振り回されること」に対する、漠然とした不安や恐怖を持っていました。

いつからそういう恐怖を抱いていのかはわかりませんが。おそらく色々な出来事や経験を経て、なんとなく、そういうものへの抵抗が強くなってしまったのだと思います。過剰反応のように。

もともとは、人のために動いたり、頑張ったりすることが苦にならない性格だったと思うのですが、それがだんだんと行き過ぎて、ある時から犠牲のようになっていって、すごくつらくなってしまった時期がありました。

いったんそういう時期を経ると、振り子が振り切れて、それまでとは反対方向へと猛進していくような感じで、今までの自分がとっていた行動と真逆の行動や考え方をとるようになりました。

とにかく自分優先じゃないとやってられない、「人のために動く気力なんかない」「利用されたくないし振り回されたくない」みたいに思う時期が、結構長くありました。

自分でも「どうにかしたいなあ」とは思っていたのですが、どうにかしようとしてもどうにもならなかったので(笑)、しょうがなくそのままにしていました。

気持ちの変化

それが最近、気持ちが変化しました。

変化のきっかけはわかりません。

4月頃から続けているゆるい筋トレのおかげで元気になったのかもしれないし、睡眠時間を大切にするようになったからかもしれないし、感謝する日記のアプリ(1日3つ感謝できることを書く)をつけるようにし始めたからかもしれないし(笑)

この前のコンサートのおかげかもしれないし、普段の楽器の練習のおかげかもしれないし。

それらの要因に加えて、周りの人のおかげというのもあると思いますが。

「自分のためだけに動いていてもたかが知れている。人のために動いてこそだ」

と、最近思うようになりました。

「自分のため」だけを考えるのは窮屈だった

「自分のために動く」というのは、大切なことだと思うのですが、自分のため「だけ」で動こうとするとかえって窮屈だとわかりました。

本当に窮屈なんです。これって私の利益になるの?ってことばかりを考えるのは(笑)

自分の行動に制限をかけている気持ちです。

もちろん、なんでも全部「奉仕」の精神ではできないと思いますが、人のために動くことが、長期的な視野を持てば、めぐりめぐって自分の利益につながることもあります。

まあ、こういうことを書くと非常に打算的ですが(笑)、人のために動くことで自分が得られるものはたくさんあります。自分自身の学びはもちろん、その人からの信頼であったり、自分が困った時に助けてもらえたり。

自分のためではなくて、もっと周りを含めた、「全体(業界全体とか)を盛り上げること」に貢献した方が良いな、と強く思うようになりました。

自分のために動くだけでは、行動範囲が限られるし、行動意欲もあまり湧かないんです。

「自分のため」ってなると、「まあ、とりあえず今やらなくてもいいか…」ってなっちゃうんです(笑)

私の場合は、先延ばししてしまいます。自分のためとなると、面倒くさくて、腰が重くて…(笑)

特に、自分がそれで「困るわけではない」場合は、最終的に「やる」よりも「やらない」が勝ってしまいます。圧勝です。

それが、「人のため」と思うと、わりと簡単に「まあ、とりあえずやってみるか」と思えるかも、と気づきました。

「自分のため」と思っていた時には勇気が出なかったことに、挑戦できるようになったり。

それに、何かちょっとでもやると感謝してもらえたりします(笑)

もちろんいつもいつも感謝してもらえるわけではなく、かえってダメ出しを受けたり、自分のやったことに対してスルーされてしまうこともあります。

でも、「自分の行動」や「意欲」というのは、他の人に、「なんらかの影響」を与えると思うんです。

薄皮一枚のような、ほんのわずかなものかもしれませんが。

たとえば、ダメ出しを受けてしまうような場合とか、あまり良いやり方ができない時であっても、自分が行動するのを誰かが目にすることで「あの人が頑張っているから自分もやってみようかな」って、その人がなんとなく思ってくれていたり。

誰も口には出さなくても。

人はお互いにやっぱり強く影響しあっているので、「自分の行動が誰にもなんの影響も与えず、全くの無に帰す」ということは、実はあまり無いと思っています。

そんな風に考えながら、「まあ、とりあえずやってみるか」と思って何かしら行動することは、何もやらない時に比べて、自分の行動範囲を広げてくれるんだな、と思うようになりました。

人のために動くことで、自分のためだけを考えて動いていた時の「窮屈さ」から、解放されると思いました。

全体に貢献して、自分にも良い流れを作る

さきほども書きましたが、自分のためだけに動いていても、たかが知れています。

自分一人にできることは、小さなことでしかありません。それでいくら頑張っても「頭打ち」だと思いました。

だから、人のために動いて、全体とか、誰かに貢献できるようなかたちで周りの人とつながっていって、「周りの人と一緒に何かをやる」ことがとても大事だと思うようになりました。

そのためには「まずは自分が誰かのために動く」ということが始まりだと思いました。

全体に貢献できれば、そこに含まれる私にも良い流れが作れるだろうし、また、全体に貢献する過程で自分の中にできる「マインド」とか「経験」とか「技術」は、自分自身の事業やプロジェクトにも役立つだろう、と思っています。

自分が周りに与える影響について気づくこと

「利用される」とか「振り回される」と思ってしまっている時って、「自分が周りに与える影響」を全然考えられていない時なんだな、と気づきました。

さきほども書いたように、人はお互いに影響を与え合っています。

たぶん本人たちが意識するよりもかなり大きい割合で。

誰かの親切な行動は誰かを救うことにもなるし、それを見ている人たちの中にも優しさが生まれるかもしれません。

「自分はこんなに頑張っているのに、誰にも感謝されない」とか「自分のやっていることには価値が無い」と思ってしまっている時でも、実は本当は、周りの人はその人にとても感謝しているし、その人の行動は周りの人に影響を与えていると思います。

ただ、本人にはそれが全く見えていない。

もしくは、本当は見えているのに見ようとせずに「無視」していて、一人で勝手に絶望しているんです。

これは冷静に・客観的に考えれば、わかることのような気がしますが。

そういう「周りの状況が見えていない時」に、つい「自分は人に利用される」とか「振り回される」と思ってしまうのかな、と思います。

本当はとても感謝されているのに。

「利用されている」のではなくて、「周りの役に立っている」のだし、自分のそういう行動が別の誰かに勇気を与えているかもしれません。

(もちろん、あからさまにだまされているとか、そういう場合はまた全然別ですが)

そのことに気づくだけで、視点がぐるりと大きく変わって、「利用されている」とか「振り回されている」と思っていた気持ちやその時の自分の行動が、「全く別のもの」に変化して見えてくるんじゃないかなと思いました。

自分の持っているものを、人のために活かす、という方向へ。

それで、周りも自分も含めて、一緒に前に進めたら良い、というか進めるはずだ、と思っています。


ということで、自分の気持ちの変化について、今回書いてみました。

「大人になると、考え方はなかなか変わらない」と言う意見がありますが、どうなんでしょう?

私は、大人も、2歳の子どもと変わらぬ勢いで毎日変化して成長していると思っています。

そう思わざるを得ないくらい、自分も周りも、気持ちや考え方に変化があるのを日々感じていますので。

1年前と今とでは、周りも自分も、全然違いますから。

お読みいただき、ありがとうございました。